山茶花

山茶花
咲ききった花は間もなく散るのだろうが、後ろにつぼみが
今咲こうとしている。何事か教えているように見えた。

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# by minitayori | 2017-12-09 23:04 | Trackback | Comments(0)

「みにたより331」


「みにたより331」


 もう何年前になるか、忘れるほど昔の話だが、飯田にいる時にフインランド宣教90周年記念にあわせて、信州に伝道師に来てくださった方々の墓参を兼ねた感謝の旅をした。5月であったと思うが、ドイツで二泊し、ルターのゆかりの地や宗教改革の発端になった城教会にも行って来た。



 ルターが宗教教育を受けたアウグスブルグ修道院では、礼拝堂で先の見学者が終わるまでの少しの時間を静かに過ごした。ルターが献身した時にうつぶせになって涙を流した場所に、同じように横になってみた。冷たかった。その聖壇の脇に石のいすがあった。ルターが最初に説教した後で、自分のようなものが説教してよいのかと苦しんで涙を流し、祈っていたと言ういすにしばし座って、自分にもその様な謙遜な気持ちがあるのか、しばし反省の時を持った。


 修道院の会堂で、みんなで「神はわがやぐら」の歌を歌ってきた。今年カトリックとの合同の礼拝が行われ、教会でも何人もの方が参加し、先週の日曜日思いで話しが弾んでいた。それを聞きながら、私も昔の旅をお思い出していた。あの頃の写真はどこに行ってしまったのだろう・・・。フィンランドについてはまたの機会にお知らせします。老いて外出も思いのままにならぬ今、思い出の中に楽しみを見出しています。静かな旅です。
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 ビッテンベルグの城教会の
一室にありました。
ルターはこの部屋で聖書を誰にでもわかるやさしいドイツ語に訳した。この隣の石の部屋に潜んでいたといわれます。


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# by minitayori | 2017-12-09 22:52 | Trackback | Comments(0)

公園の紅葉

公園の紅葉
花を探しに散歩に出たが、今回は紅葉が目立った。
イチョウの葉はすっかり落ちてしまい、みんなで
落ち葉の掃除をしていた。イチョウの葉は車にひかれ
ると道路にくっついて取れなくなる。この木の落ち葉は
風に吹かれてどこまで行くのだろう。


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# by minitayori | 2017-12-09 22:37 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月10日 待誕節第2主日 マルコ福音書1章1-8節

1210日 待誕節第2主日 マルコによる福音書11-8

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1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。

1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

1:6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。

1:7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

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「礼拝に備えて」

 洗礼者ヨハネを思う時、いつも自らも謙遜でなければならないと思ったものだ。ヨハネはイエス様の従兄弟であり、イエス様も認める偉大な預言者であり、救い主の到来かと思われるほどに民衆の心をつかんでいた方だった。そのヨハネが「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」とイエス様について紹介している。


 私に洗礼を授けてくださった宣教師は、つたない日本語でイエス様のことを一生懸命伝えてくれた。当時高校生であった私達何人かの出席者は、礼拝後、よく一緒に集まって、理解しがたかった日本語のお話について話し合い、宣教師の態度、表情全体から迫ってくるイエス様の愛とお姿について話し合い、説教と聖書と説教者からイエス様に出会う事の大切さを学んできた。


 自分が牧師になって、よい説教はできなくても、会衆や教会堂や交わりの中にいるイエス様がこの人に出会ってくれるようにと願った。牧師は教会とその群れをゆだねられているが、全ての主であり羊飼いはイエス様であり、集う一人一人が教会のすべてを通してイエス様に出会えるように、と祈りつつ日々を過ごしてきた。 洗礼者ヨハネも、自らの務めを正しく理解し、先駆者であり続け、自らは一預言者のままで、ヘロデ王の愚かさのゆえに、首を切られて死んだ。それが彼に与えられた使命だった。かなしい生涯であってっも、神のみ心に沿って歩みなら、それは幸いな道。与えられた日々を、み旨に沿って生き、感謝で終わりたいものです。

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# by minitayori | 2017-12-09 22:29 | Trackback | Comments(0)

近くの公園の紅葉

近くの公園の紅葉
いつも行く公園の紅葉が美しかった。この日は快晴だったので
特に美しく見えた。あと数日は残らないだろうが、精いっぱい
美しく生きている。えらいなー

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# by minitayori | 2017-12-09 22:15 | Trackback | Comments(0)

11月26日 池袋教会聖壇の花





11月26日 池袋教会聖壇の花
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# by minitayori | 2017-12-02 20:50 | Trackback | Comments(0)

ルターの紋章

「きよせたより330」

  ルターの紋章
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ヴィッテンベルグにあるルターの記念館の「カテリーナの入り口」にルターの浮き彫りがかかっている。その浮き彫りの中には「穏やかにして信頼しているならば、力を得る」という銘が刻まれている。

その反対側に、石で刻まれたルターの紋章がある。その銘刻にはVIVIT=主は生きたもう」と言うキリスト信仰の一貫した確信が記されている。ルターは自分の紋章について「私の神学の記章」と言っているが、彼自身が書いた以下の文章は、宗教改革の全教理の要約として役立つことが出来た。

  

「ルターが友人に送った葉書に書かれている文」

 「第一に、自然な色のハートの中に黒い十字架があるが、われらを救い給う十字架の主を信ずる信仰を思い起こさせるものである。なぜなら、心から信ずるものが義とされるからである。それは黒い十字架、肉を殺し、苦痛を与えずにはおかないものであるが、ハートの色を自然に残しているし、我らの人間性を破壊するものではない。つまり、その十字架は生命を殺すものではなく、かえって保つのである。なぜなら、『義人は信仰によって生きる』からだ。しかし、『十字架につけられた主を信じる信仰によって』である。このハートは白いバラの花の真ん中にはめ込まれている。これは信仰が、喜びと慰めと平安をもたらすものであることを示す。要するに、信仰はわれらを愉快なバラの野に運び込む。その平安と喜びはこの世の平安や喜びとは違うので、バラは白であって赤ではない。白は霊とすべての天使たちを表す色であるからだ。

 バラのおかれている背景は空色である。それは、魂と信仰のその様な喜びが、来るべき天の喜びの始めであり、その喜びは、事実もうすでに今のわれらの喜びの中にすでに現在し、信仰によって受けることができ、しかしながら、いまだあらわになっていないことを示すものである。*このルターの紋章に用いられたバラは、またクリスマスを表すシンボルでもある。救い主の予言を表している。そしてこの白いバラはクリスマスに咲くと言われている。クリスマスの只中に、十字架を思うルターの信仰を、私たちも学びたいものです。 (参考資料絵画によるルターより)


# by minitayori | 2017-12-02 20:40 | Trackback | Comments(0)

近くの生垣の紅葉

近くの生垣の紅葉
木にあるときは木に連なり、
風に吹かれ落ちれば大地にゆだねる。
いつも今が一番美しいのでしょうね。

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# by minitayori | 2017-12-02 20:32 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月3日 マルコによる福音書11章1-11節



123日 降臨節第1主日マルコによる福音書111-11

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11:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、11:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。:3 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』といったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」 11:4 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた:5 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。:6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。:7 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。:8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。:9 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。:10 我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」:11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

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「礼拝に備えて」 イエス様とはどのようなお方なのだろうか?マルコはその福音書の中でイエス様をどのような方として描こうとしているのだろうか?私はいつも聖書を読む時に、聖書の言葉を通してイエス様のお姿とみ心を聞き、読み取ろうと努力している。多分切り絵を作る時の習性かもしれないが。

 この時、イエス様はどんな眼差しをしておられただろうか。その眼差しでイエス様のお心が分かるようにと考える。しかし、今までの作品で、そのお心が表せたものはほんのわずかにすぎない。でもその様なものが完成すると、絵を見てくれる人にイエス様のお心が伝わる、と思って努力してきた。
 今は体力も、視力も衰えてきてなかなか作成に取り掛かれないが、あと何点かは作成したい作品がある。さて今日のエルサレム入城のイエス様のマルコの描写の中に、私はいくつかのメッセージが示されているように感じます。
 群衆は強い王、自分達を解放してくれる王の到来を待っていた群衆は、借り物の子ロバに乗ってよろよろと入城されるイエス様のお姿に戸惑いを感じたであろう。しかしロバは平和の象徴だった。イエス様は力ではなく愛による平和な国の到来を、このお姿を通して示していた。
 さらに子ろばの背に乗ったイエス様は、丁度群衆と同じ目線で群衆を見ておられた。私はここにも心惹かれる。群衆と同じ目線でその苦しみや悲しみを見つめてくださるイエス様のお姿に、いつも身近なイエス様を感じるのです。
 しかも、イエス様は「:8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。」イエス様は群衆の汗と涙、苦しみと悲しみの染みついた上着をご自分の歩む道として選ばれたのです。その様に思う時、私はイエス様がとても身近に感じます。私と同じ目線に立って様々な悲しみや苦しみを見つめていてくださるイエス様。また苦しみや悲しみ、悩みや孤独のただ中に共に歩んでくださるイエス様のお姿を感じるのです。
 まだこの場面のキリエを作っていませんが、頭の中だけでこのイエス様のお顔、目線を感じています。多分もう作れないでしょうが、頭の中だけで描いています。







































# by minitayori | 2017-12-02 20:28 | Trackback | Comments(0)

スイセン

スイセン
飯田の教会にいたとき、園庭の雪の中からスイセンの花が
出てくると春が近いこと知り、心温かくなったのを思い出
します。東京は、いよいよ寒い冬が来ることを覚悟します。

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# by minitayori | 2017-12-02 20:07 | Trackback | Comments(0)

近くの公園の紅葉

近くの公園の紅葉
紅葉の写真を写す時は太陽光を通して写すと美しい色に写せる。
この日は少し太陽光を入れすぎてしまった。でもきれいですね

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# by minitayori | 2017-11-25 20:33 | Trackback | Comments(0)

「きよせたより329」

「きよせたより329」

3キロで生まれてきた孫が6キロを超した。私の顔を覚えているのか抱き上げるとニコ!として高い高いをしてほしいと目で催促している。答えてやりたいが、そろそろ無理になって来た。34回すると息切れがするのだ。孫もそれがわかるのか、それ以上には要求しないで、にこにこしている。老いたる爺の姿を笑顔で包んでくれる。

 「にんだもの」最近ノーベル経済学賞を受けられた外国の方がテレビに出ていた。その方の人生を変えた言葉として、「にんげんだもの!」と相田みつおさんの言葉があったと紹介されていた。私も10年ほど前にこの相田さんの個展が開かれていた宿で九州地区の牧師会が開催され、その写真と作品をゆっくりと拝見させていただいた。

 この方の経済理論は、人間だから・・こう考え失敗もするだろう。物を買う時にもその心理を読み取った日常に生かされるアイデアを考案して、会社に提案し、無駄が省かれ相当の経済効果が表れていると言う事でした。なんとなく見ていたので、詳しい事は忘れてしまったが、後で大切さに築くのも「にんげんだもの!」なのかもしれませんね。e0191585_20223115.jpg



 人間だから、病気にもなり、老いもする、忘れることも多くなる。昔を懐かしんで、老いたる自分に感傷にふけるのも「にんげんだもの!」あきらめではなくて受容して、今の自分足元を見つめつつ、

明日を明るい日と信じて生きることが必要だと、改めて思っています。

 


# by minitayori | 2017-11-25 20:29 | Trackback | Comments(0)

庭の小菊

庭の小菊
先週大きなバラに目を奪われていたが、その下に小菊が
美しい花を咲かせていた。私も忘れないで、と言われた
ようだった。ごめんね!

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# by minitayori | 2017-11-25 20:26 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月26日 聖霊降臨後最終主日 マタイ福音書25章31-45節




1126日 聖霊降臨後最終主日 マタイ福音書2531-45

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25:31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。25:32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』


中略


25:45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』

25:46 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」


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「礼拝に備えて」

 教会の暦も、信仰の成長を意味する緑の色が終り、次週からはイエス様の苦難を表す紫に代わる。紫はイエス様の到来をイエス様がかつてなしてくださった十字架の苦難が私のためであることを感謝の内に覚えつつ、来るべき新しい時の始まりに備える時期になります。

 今日の日課でイエス様は、神様の国に入りたいと思う者は、いと小さき者への愛を行うものであると言われる。当時の宗教家たちは、見えるところでは慈善らしきものを行い、見えない所では自分の思いのままに、自身の幸せのために行動すると言う偽善が横行していた。

 イエス様は神様の国で喜ばれるものとは、人の苦しみを理解し、悲しみを共有できる人の国だと言われたのです

マザーテレサの言葉に

   親切で慎み深くありなさい

あなたに出会った人がだれでも

前よりももっと気持ちよく

明るくなって帰れるようになさい

親切があなたの表情に

まなざしに、ほほえみに

温かく声をかけることばにあらわれるように

子どもにも貧しい人にも

苦しんでいる孤独な人すべてに

いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい

世話するだけでなく

あなたの心を与えなさい。

 

私がこの言葉に出会ったのは随分昔のことですが、熊本にいた時近くのデパートで開催されたテレサの写真展があり、そこで再びこの言葉に出会ったマザーテレサの等身大の写真の中の穏やかな瞳を見ながら、この言葉を読んでいて、痛く心打たれたものである。

私の心のどこかに、疎開先で自分の家も貧しいのに、買い出しに来る子供連れの親子に親切にしていた母の面影があった。教会のあるべき姿はこの母とイエス様の教えとがどこかで結びついていたように思う。心の底でマザーテレサの言葉に共鳴できるのも、このような背景があるからかもしれない。


# by minitayori | 2017-11-25 20:21 | Trackback | Comments(0)

秋の空

秋の空
台風接近の朝の空。どんよりしたくもり空の上に青空がある。
次の日は晴天だった

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# by minitayori | 2017-11-25 20:09 | Trackback | Comments(0)

紅葉

紅葉
住宅の中の公園に紅葉がやってきた。紅葉は秋を感じさせ冬への
心構えを新たにします。明日の日曜日は真冬並みの寒さとか

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# by minitayori | 2017-11-18 18:14 | Trackback | Comments(0)

「みにたより328」

「みにたより328」
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 先週は児童祝福礼拝でお話をした。説教題に立つのは2年ぶりぐらいになるかもしれない。児童は少なく3名だったが、百歳までの非常に広範囲の年齢層でのお話。幸いにも今目が悪くなっていて説教台壇からだと、最前列にいた二人の少年しか見えない。

 この子供たちの目が輝くようなお話が出来ればと思って、目を見つめながらお話をしましたた。今語るべきことが伝えられたかな?正直無我夢中でした。久しぶりに、神学校の時の指導教授のお言葉を思い出した。説教壇に立ったら、この20分だけが最後の命と思って、神様のお心をお話しすること、と言われた。

厳しいお言葉だが、自分にとってだけではなく、礼拝に初めて来た人、会員の人にもこの時間は最後の礼拝になるかもしれないし、教会に接する最初の最後になるかもしれない、と思うとおろそかにはできない。

 でも、全身全霊を持ってみ言を伝えると言う事は、体力がないと出来ないことです。毎週説教する牧師先生の努力と疲れを思い、改めて感謝したいと思った。


# by minitayori | 2017-11-18 18:10 | Trackback | Comments(0)

山茶花の蕾

山茶花の蕾
すぐ散ってしまうサザンカだが、次に咲く花が待っていた。
頼もしいですね、元気なつぼみがあるのは。

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# by minitayori | 2017-11-18 18:05 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月19日 聖霊降臨後24主日 マタイ福音書25章1-13節

11月19日 礼拝に備えて 聖霊降臨後24主日 マタイ福音書251-13

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25:1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。 25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。:3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。:4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。:5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 25:6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。

25:7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。25:8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』 25:9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』 25:10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。 25:11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。:12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。25:13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
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「礼拝に備えて」

 私達の信仰は、一度持てばよいというものではなく、主の来臨の日まで常に新たにし、持ち続けなければならないものです。今日の日課の愚かな5人の娘は、自分の決めた予定の分だけの油で花婿を迎えようとしていました。花婿が遅れてきました。花婿が遅れたのはいいわけにはならない。花婿が主役ですから花婿の到着に合わせて、自分の勤めである火をともして迎えなければならなかったのです。


 愚かな5人のおとめは自分の考えの中で油を持って花婿を迎えようとして、自分の務めを果たすことが出来ずに、婚宴の席に連なることができませんでした。いつも神様のみ心を考え、神様に従う心を失わないように。またたえずイエス様に聞いてイエス様のみ心を行う者でなければならないんのです。

 その御心とは、互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように。」と言う事でした。それがキリスト者の備えるべき来るべき日に備えての油なのです。

 先週、教会に行くときにパスモで改札を通りました。しかし、降りようとしたら、赤い表示が出て改札口の扉が開きません。23度繰り返していましたが、駅員におかしいと尋ねました。「料金が不足しています。」パスモにチャージしてください、と言われて、しばらくチャージしていなくてカードが空になっているのに気付きました。

 後ろには23人の若者がいてにこにこしていました。しょうがないなー!と言うような顔でした。未だに最近の便利なものになれていない自分にはずかしくなりました。毎回改札を入る時に、残りの金額が出るからそれを見て少なくなったらチャージしないとね、と娘に教えられました。でも、私には通過する時にさっと残金額を読み取ることは難しい。いつも心がけて絶やさないようにチャージしておくことですね。信仰も。
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# by minitayori | 2017-11-18 18:01 | Trackback | Comments(0)

バラ

バラ
アパートの柵からはみ出すように、大きなバラが咲いていた。
道行く人にほほ笑みかけるように!

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# by minitayori | 2017-11-18 17:51 | Trackback | Comments(0)

11月5日の池袋教会の聖壇の花

11月5日の池袋教会の聖壇の花
全聖徒の主日、召天された方を覚えての礼拝が行われました。
復活の象徴である百合の花が目立っていました。

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# by minitayori | 2017-11-11 21:04 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ327」

「ミニタヨリ327」

 私の寝室の頭の所に、来年のカレンダーが飾られている。このカレンダーは星野富弘さんの詩画によるカレンダーで、毎年熊本の友人が送って下さるものです。もう来年の一ページめの画面がでているので紹介しよう。

   自分の背中

 自分の顔が いつも見えていたら

 悪い事なんか 出来ないだろう

 自分の背中が いつも見えていたら

侘びしくて 涙が出てしまうだろう

 あなたは私の顔をいつも見ている

 私の背中をいつも見ている。

 この詩には星野さんが筆を口にくわえながら描かれた花が描かれている。先にご紹介した「ホトトギス」の絵でした。今日偶然アパートの周りを散歩していたら、「ホトトギス」の花が咲いていた。少し盛りが過ぎてしまっていたが、カメラを持って写して来ました。「ホトトギス」なんとなく遠き昔のロマンを感じさせる花の名前ですね。

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 最近身近に花を見る機会が多くなりました。バラや菊の花などが見られます。寒さの中で花と出会うと、なんとなくほっとします。ここにも神様に守られて、命の花を咲かしている。神様のみ守りを感じるのです。

 天候不順さに負けないで、神様に守られて、自分の与えられた勤めを立派に果たしている花に、神様のお守りとお支えの恵みを感いました。

# by minitayori | 2017-11-11 20:58 | Trackback | Comments(0)

ホトトギス

ホトトギス
この近辺にはホトギスの花が2,3か所で咲いている。
私はケアハウスで初めて見たが優雅な名前で好きです。

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# by minitayori | 2017-11-11 20:51 | Trackback | Comments(0)

11月12日 神の愛に生きる マイ福音書22章34-40節

 1112日 神の愛に生きる マイ福音書2234-40

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◆最も重要な掟

22:34 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。22:35 そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。

22:36 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」

22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

22:38 これが最も重要な第一の掟である。22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

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「礼拝説教」

聖書の中には神様のお心が示されています。いろいろなお話が書いてあります。難しいお話もあります。けれども、内容は一つです。私が牧師になった初めの頃、ある先生を教会に招いてお話をしていただきました。その先生は、聖書の中はどこを開いても、神様の愛が書かれている、と言われました。聖書の最初には天地創造の後、最初の人間が、神様がしてはいけないと注意された事「エデンの園の中央にある善悪を知る木の実は食べてはいけない。」と言う命令を破って、おいしそうだと思ってとって食べてしまいました。その後すぐに、アダムさん達は神様を恐ろしく思うようになって、木の陰に隠れました。でも、神様はその様な心を持ってしまったアダムを心配して、「アダム、どこにいるの、私の前に出ておいで!」といわれました。悪い事をした人間ですが、神様は怒ることなく、心配して、どこにいるの?私の前に出ていらっしゃい!と呼びかけていてくださったのです。

 当時、神様に仕える人達は、神様は正しい方で、罪を憎まれる方、だから、正しい行いをして神様に喜ばれる人間にならなければならない、と教えていました。律法学者はイエス様を陥れようとしてこのような質問をしました。イエス様は問いに応えて言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

これが最も重要な第一の掟である、と。

イエス様のお考えは、神様がまず最初に人々を愛され、助けました。罪を犯した私達を見捨てない。「わたしはあなたの神、主である。」神様があなたの神、となって下さる方ですよ。だからこの神様に従い、その愛の中で生きなさいね。と教えられたのです。

さて次にイエス様は、新しイエス様の教えを与えられました。それは『隣人を自分のように愛しなさい。』とう事です。何故てしょう。

ガリラヤ湖と塩の海の話。

  イエス様の住んでいた国にはヨルダン川がありました。その上流の方にはガリラヤ湖がありました。そこには魚が沢山住んでいて、周りで生活をしている人々を助けていました。

そのヨルダン川の下流にもう一つの湖がありました。そこは死んだ海、または塩の海と呼ばれていました。二つの湖の違いはなんでしょうか。同じ川につないでいるのにどうして違ってしまったのでしょうか。

ガリラヤ湖は山から水を貰いますが、その水を下流に流します。だから水はいつも新鮮で、魚が住んで、人々を助けています。しかし、死の海は同じ水を貰いますが、その先は砂漠で水を流せません。太陽の強い光で水分は蒸発してしまいます。海よりもずっと低いために塩分が多くなり、魚が住めないのです。受けるばかりで与えることが少ない人の心も同じです。人の愛も神様からいただきますが、使わないと腐ってきます。そして傲慢な心、自己中心の人間のにおいが出てきます。イエス様は、神様に心を向け、神様の愛をいただいて、ありがとうという感謝の思いを持ちながら、人を愛する人になる、その様な生き方をするように私達に、いや教会にも望んでおられるのです。


# by minitayori | 2017-11-11 20:44 | Trackback | Comments(0)

増えた裏庭のバラ

裏庭のバラ
一輪だけ咲いていた裏庭のバラ。今日は友を与えられて二輪の
バラになっていた。これからも友達が増えるといいね。

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# by minitayori | 2017-11-11 20:34 | Trackback | Comments(0)

10月29日の聖壇の花

10月29日の聖壇の花
この日の聖壇の色は赤、牧師のストールも赤、お花は赤いバラと
赤のカーネーションを組み合わせて活けられていた。赤は教会の
特別の記念の日の色、この日は宗教改革の記念の日曜。

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# by minitayori | 2017-11-04 17:57 | Trackback | Comments(0)

「みにたより326」

「みにたより326」

秋風と共にインフルエンザが流行しそうです。我が家でも幼児がいるので、早々と予防注射を打ちに行った。今年は予防接種用のワクチンの入荷が少ないとかで、その日に申し込んで注射して参りました、幼児の孫は保育園で早速軽い風邪を貰ってきました。目の前でクシャンとまともにくしゃみを浴びるが、インフルエンザではないようでよかったと胸をなぜおろしています。一緒に添い寝していた家内は移ったようだが。

それにしても我が家の近くの川越街道の風の強い事。台風前後の時など向かい風になると前に進まない。追い風になると突き飛ばされたようになってしまう。ベビーカーに乗せて帰宅しようとしていたお母さんが、飛ばされそうになっていた。

少子化対策、働き人改革主婦の方の力が用いようとされているが、保育園不足は切実な問題だと痛感した。娘も20箇所以上の保育園を見て回り断られて途方に暮れている時に、幸いにも無認可保育園で一人空きがあって受け入れてくれ、働き開始に間に合った。

本当にいろいろな問題があるものです。現役で遠方にいる時の長女の子供が生まれた時、途方に暮れたが、結局は一人で頑張った、とか。今改めてその苦労話を聞かされて、申し訳なかったと思っている。

こんな時にふと口づさむ歌がある。

♪いろんなことありましたよ。イエス様信じた後も。

だけど僕の心の中に、喜びがある。

悲しい事もありましたよ。苦しみ悩んだことも。

だけど、僕の心の中に、神様への感謝がある。

君もお出でよ、イエス様のもとへ。

そのままでいいんだよ。新しい人生だから。

*この作詞作曲は、湖浜先生と言う単立の牧師が作られた。不思議なご縁があってよく知っている先生だ。アバコで手話の講習会をしている時に初級のクラスに参加してくださったのだ。聖書の言葉の手話の解説をしているのを一生懸命聞いていてくださった。
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後で牧師と知り、数冊の信仰雑誌も出しておられると聞いた。平易な文章の本だったので、上級の通訳のクラスでテキストとして用い、手話に変換できない言葉については、先生の教えを受けた。懐かしい思い出です。


# by minitayori | 2017-11-04 17:52 | Trackback | Comments(0)

友呼ぶバラ

友呼ぶバラ
先週裏庭の薔薇の木の上に一輪だけ咲いていたバラ。
友を呼んだのか今日は二輪になっていた。
一人より友といるほうが楽しいものね。

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# by minitayori | 2017-11-04 17:44 | Trackback | Comments(0)

11月5日 全聖徒の主日 ヨハネによる福音書15章1-17節

115日 全聖徒の主日 ヨハネによる福音書151-17

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◆イエスはまことのぶどうの木

15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

*中略(聖書を読んでください)

わたしあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

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「礼拝に備えて」

 ぶどうの実がたわわに実る季節になりました。店頭に並ぶ葡萄の房も少し安くなり、口に入るるようになりました。昔東京にいた時に、娘達を連れて勝沼のブドウ園でぶどう狩りをしたことがあります。ブドウ園に入ると、ぶどうの枝が縦横に伸びて、それを支えるために支えの棒があちこちに立っていました。

 ブドウ園が持ち主によって愛され、丹精込めて育てられていることが分かりました。またこのぶどうの木は、接ぎ木されながら大きくなり、より甘く大きな実がなるように育てられている事を知りました。そのことを思うとひと房ひと房が農家の方の真心を込めた賜物に思えました。

 こんな様子を知っておられたイエス様は、弟子達に最後の説教の中でぶどうの枝のように、神様につながって生きていなさいと教えられたのです。それだけでなく、良い木に結ばれたぶどうの実が甘くおいしかったように

良い木に接ぎ木されたぶどうの枝は、園丁の心を受けてその木にふさわしい実をを結ばなければならないと教えられているのです。またその様に生きる者のだけが、神様の国の一員となる事が出来るのです。 日曜日、教会では聖餐式が行われます。聖壇を囲んで天上に召された者、そして今地上に住む私達が、神様の家族として一つになることを信じ受け止める時でもあるのです。心して礼拝に参加したいものです。
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心して=心に覚えて、それはイエス様の私達への願い、人々を差別なく愛すると言うお心を持ち、行う者となって生きると言う事です。あなたは「イエス様の友です。」そうイエス様は言ってくださいましたから。



# by minitayori | 2017-11-04 17:40 | Trackback | Comments(0)

サザンカの花

サザンカの花
寒くなってサザンカの季節がやってきました。待っていましたと
言うように、一斉に咲きが占めました。純白のサザンカ。
つぼみにはベビー服のようにピンクの色がついていました。

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# by minitayori | 2017-11-04 17:31 | Trackback | Comments(0)