先週の池袋教会の聖壇と生花

先週の池袋教会の聖壇
献花は真っ白で清楚なトルコキキョウだった。別名ユーストマ
語源はギリシャ語で(よい)という意味の言葉からきている。
花ことばは、(明るい希望)十字架を見つめつつ希望に生きる

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# by minitayori | 2017-07-15 21:49 | Trackback | Comments(0)

「みにたより312」

「みにたより312」

 日本列島の各所の、大雨や土砂災害の様子がテレビに流れている。知人のいる地方の惨事は、私ごとのように心が痛む。今朝、太陽の日差しがまぶしい小さなベランダに出ていた。同じアパートの子供たちが、元気に庭を走り回っていた。この暑さの中でも、笑い声がはじけるような元気さだった。

暑さのためか、花はすっかり枯れてなくなってしまった。この抜けるような青空と暑い日差しの中で思う事は、熊本の災害の様子だった。暑さの中で救助のために働く若い自衛隊の人々の、首筋に流れる汗が美しく思えた。老いた自分には、何もすることができない、という無力感だけが心の中に苦々しく沸いてきた。

テレビや新聞を見ても、あまり良いニュースが出てこない。戦争への危機感が心の中に湧いてくる。少年時代に戦争の悲惨さを経験している自分は、子供たちの元気な笑い声が聞こえる平和を守ってほしいと心から願っている。e0191585_21263768.gif


 今の日本の政治にそれができるのだろうか。自国第一、経済発展第一、と言いつつ不正が行われ、政治を自分の名誉のために利用しているとしか思ない人々・・・。世界は平和のために一致できるのだろうか。外来種の危険な虫も出てきた。輸入国である日本には、防ぐ方法もないのかもしれないが、結局は被害を受けるのはいつも弱者であることを覚えて欲しいもの、日本の、いや、世界の未来を託されている政治家の人々にも、心して欲しいと思う。

 年寄りは「唇寒し・・」と小さくなって、ただ無力感・不安感だけが心の中に大きくなる。そして孤独感や寂寥感で無口になってゆく。せめて教会は、神様の愛の中で感謝の笑顔と明るい会話ができる場所であってほしいと願っている。


# by minitayori | 2017-07-15 21:28 | Trackback | Comments(0)

ひまわり

ひまわり
先週の教会の帰りは暑かった。とくに練馬は東京で
一番暑いという噂です。帰り道に楽しめる花があるが、
この日はひまわりが目とまった。透析専門の病院の
下の30センチ程の地にひまわりが咲いていた。
毎日数台の送迎車が、出入りしている。
車いすの人や杖を突いている人が病院に入ってゆく。
その通用門の横にこの花は咲いていた。
希望を持って生きようね、語りかけていた


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# by minitayori | 2017-07-15 21:22 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月16日 マタイ福音書10章16-33節

礼拝に備えて 7月16日  マタイ福音書10章16-33節

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◆恐るべき者

10:26 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。:27 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。:28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

10:29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。

10:30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。

10:31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」:32 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。:33 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」 

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「礼拝に備えて」

 イエス様は弟子達を選び、宣教に送りだすにあたって、弟子たちの注意すべき事について話し、また励まされました。人を恐れることはなく、畏れるべきは神様である事。その神様は、「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。」と教えました。

 ここで使われているアサリオンという通貨は、当時最小の通貨であったと言われています。現代でいえば一円硬貨とも言えるでしょうか。二羽の雀が一アサリオンで売られている、その一羽と言うのは、お金では評価できないほどの小さな存在であるわけです。その小さな存在でさえ、父なる神様のみ心の中にあって、神様のお赦しがなければ地に落ちることはないと言われます。

私たち一人一人は自分がどんなに小さく思えても、神様にとってはかけがえのない「たった一人だけ」の存在なのです。何かができるから尊いのではなく、何もできなくても今生きている事、神様に命を与えられてる事、そのことが誰の目にではなく、神様の目に貴い存在なのです。引退をして、自分の事を考える時が多くなりました。神様のお役にたてるような自分ではなかったのに、神様は必要な時に必要な助け手を備えていてくださいました。

家族もそうだが、先輩の先生たちに支えられ、励まされてきました。こぼれ落ちそうな時もあったが、信徒の方のアドバイスや助けによって乗り切ってきました。時には自分のふがいなさに、涙を流したこともありました。しかし、そんな時に特に神様を身近に感じることができました。

弱さゆえに、足りなさゆえに神様にすがって生きることができた、とも言えます。

何も誇れるものはないが、神様を身近に感じ、支えられて生きてこれたことだけが自分の足跡として、神様を証していると思っています。

 一羽の雀さえ愛したもう神様のみ手の中で、弟子達も自分の小ささの中に、神様の大きな愛を感じて過ごして来たのではないでしょうか。その様な信仰者の仲間のはしくれに招かれていることを感謝しつつ生きていこうと思います。

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# by minitayori | 2017-07-15 21:03 | Trackback | Comments(0)

フクロウ

フクロウ
池袋からサンシャインに行く途中の地下道路には、
池袋のにちなんだ鳥フクロウの絵や人形が飾ってある。
昨年夏、孫と一緒に20年ぶりくらいに出かけたが、
道がわからなくて、孫に教えてもらっていった。
あの距離はもう今は歩けないかもしれない。
いっておいてよかった。

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# by minitayori | 2017-07-15 20:53 | Trackback | Comments(0)

聖壇と十字架

7月2日の池袋教会の聖壇の花
聖壇の十字架は、あなたのためにイエス様のが十字架にかかられたことを示し、神様の愛を伝えています。この日は聖餐式が行われ、見える形で「あなたのために流された血、イエス様の体。」をいただきます。

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# by minitayori | 2017-07-08 18:01 | Trackback | Comments(0)

「みにたより311」

「みにたより311」

昨夜、九州地方の大雨による被害が甚大であることをテレビニュースでみました。地震があったり、地割れがあったり、今度は最大級の大雨で巨大な木材が流れてきて、橋や川沿いの家屋が壊れている様子を、心を痛めながら見ていました。

私は、昔静岡にあった聖書学院にいた時(20歳ぐらいの時)、アルバイトで山の中にあるキャンプ場で過ごしました。必要なものを背負子に入れて背負って運ぶという大変な仕事だったのです。お米やスイカなどを、毎日人数分運ぶのだから大変でした。山の奥ですから天候の変化も激しくて、ラジオしかない時代でしたから、はらはらしながら天気の状況を毎日聞いていました。

ある時、最後のキャンパー達をバス停まで送って、いよいよ私達の帰る準備になりました。山小屋を閉め、台所を洗い、戸締りをして帰らなければなりません。そのうちに台風が近づき、雨風が強くなってきました。暴風が山小屋を吹き飛ばすのではないかと思うほど激しくなりました。電気は消え、皆一部屋に集まって、ローソクの光りで肩寄せ合って一夜を明かしました。次の朝は台風一過で爽やかな青空でした。しかし、キャンプ場から降りて行く道が、崖崩れで通れないというのです。道の途中にある山が崩れ、濁流で大きな石が流れてきて、橋も堤防も壊れていました。

仕方がないので、どこかバスの通じている所まで歩こうと言うことになり、大きな荷物を背負って、崩れた崖や、わずかに残っているコンクリートの上を歩いて帰りました。そのコンクリートにも、まだ時々流れてくる石があたって大きな音を立てます。34時間歩いたでしょうか、やっとバスの通る所までたどり着き、無事に聖書学院に帰りました。

九州の災害のひどさは比べ物にならないかもしれません。私達の場合、若者だけだったから無茶な行軍ができたと思いますが、孤立している村には高齢者の方たちも多いとか、早く助けが行き届いて欲しいと思います。また、昔の静かな村落の生活が始められるように祈るものです。

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昨夜少しは涼しくなった頃、アパートの周りを一回りしました。食後の日課の散歩です。夜空の雲間に、月の光が静かにさしていました。被災地の人々が、この月の光を心静かに眺める時が早くきてほしいと祈りながら。


# by minitayori | 2017-07-08 17:45 | Trackback | Comments(0)

雨の滴

雨の滴
この美しくも優しい雨の滴が、豪雨となると多くの被害を
もたらす。小さな愛の力が、悲しみを押し流すほど集まる
ことを願いつつ

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# by minitayori | 2017-07-08 17:39 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月9日

7月9日  マタイ福音書9章351015

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◆群衆に同情する

9:35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

◆十二人を選ぶ

10:115以下省略

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「説教に備えて」

 今日の日課には、イエス様が、弟子を宣教に派遣するために選ばれた様子が記されています。イエス様は群衆を見て、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」と記されています。そして、そのお心を伝えるために弟子を選ばれたのです。

 私は今、宣教派遣の重大さに衝撃を感じつつこの個所を読んでいます。つまり、イエス様の使者たるものは、まず何よりも「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」、このイエス様のお心を持つ者にのみ赦される働きである事です。

 それは牧師だけではなく、み言葉に召された信徒一人一人が、同じようにイエス様のお心に送り出されて教会ができていると言う事です。教会に集い、賛美と祈りがささげられる所には、このイエス様のお心が満ち満ちているはずです。だから教会に来た人達は温かい教会の交わりに包まれて、イエス様の愛に触れて、イエス様に向かって生きようと決心をするのではないでしょうか。

 この働きの連続が教会を支え、今も受け継がれていると思うのです。私は信徒の家を訪問する時、いつも畏れつつ、この家に平安をもたらせるような交わりが与えられるようにと祈りつつ、家の戸をたたいたものです。わずか10分の病床訪問から、1時間を超える家庭集会のような交わりまで、精一杯の努力をしてきたと思っています。

でも、今、今日のみ言葉に触れて、自分が本当にこのイエス様のお心を、命がけで担って来ただろうかと反省しています。「イエス様が群衆を深く憐れまれて弟子を選ばれた。」そのお心が、自分の一生懸命さの中で忘れ去られていたのではないだろうか、そんな反省の心が出てきます。

今からでは遅い気がしますが、残された一時一時、命ある限り、この身に負えるイエス様のお心を担って生きて行きたいと思わされています。


# by minitayori | 2017-07-08 17:33 | Trackback | Comments(0)

ルリカズラ

ルリカズラ
教会のバス停のところにある病院の入口の小さな花壇に、
涼しげな薄紫の花が出迎えてくれる。
わたしの花辞典を見ても名前を見つけることができなかった。
ある人に「ルリカズラ」という名前を教えてもらった。
毎年迎えてくれる花。暑い中でもほっとした力と気持ちを
くれる。優しい花です。

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# by minitayori | 2017-07-08 16:57 | Trackback | Comments(0)

6月25日池袋教会の聖壇の花

6月25日池袋教会の聖壇の花
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# by minitayori | 2017-07-01 15:48 | Trackback | Comments(0)

「みにたより310」

「みにたより310」
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月曜日、予約してあった病院の検診に行ってきた。難病に関係した検診で、この日は2つの科の予約が入っていた。あまり急激な変化のない病気なので、経過観察ということだが、本当によく診てくださるので感謝、感謝だが、大きな病院なので待ち時間をどう過ごすかがいつもの問題になっている。この日は合計で4時間ぐらいかかったが、それでも短かった方に入る。

その後、薬を調剤薬局で用意してもらう間、店内をぶらぶらしていた。今日は20%引きだと言うので、必要なもの、欲しかった薬を数点購入した。その中で、「認知症予防」と言う薬かサプリメントにちょっと心惹かれて、薬局の方に聞くのもおかしいが、「本当に効くのですか?」と聞いてしまった。

薬局の方は、「やめておきなさい。飲んでもすぐには効かないし、飲み始めたら飲み続けなければなりませんからね」と、親切に教えてくれた。しかし、薬局の方の言いたいことは、無駄な抵抗はやめなさい、と言う意味だったのかもしれないと思った。考えてみれば、ボケてくるのも自然の恵みなのだから、抗う事はないかと思った。優しくなるボケ方もあるからね。かわいい老人になりたいものです。

今年は梅雨の季節に雨が少なかったのか、近くでよく見かける紫陽花の花が小さい。また早くも色が落ちてしまった。ゆっくり見る間もなかった。そういえば、昔よく見かけた赤い紫陽花の花が少なくなった。私の思い違いだろうか。温暖化が進んで海の魚の生態も変わってきているとか。今年の夏も暑いと言う予報です。熱中症にならないように気をつけましょうね。


# by minitayori | 2017-07-01 15:44 | Trackback | Comments(0)

赤いアジサイ

赤いアジサイ
わたしの周辺で見るアジサイは、ほとんど青いアジサイです。先日リハビリの
送迎の車中で、赤いアジサイを見ないねーという話になった。東京湾が緑にな
り、花の咲く季節も少し変わってきた。皆高齢の方たちだから昔話に花が咲く。
練馬のこの辺は、ほとんど畑、大根が有名でしたよ、などなど。今年も暑そう
日本は亜熱帯になってしまったのかねー。このアジサイは4年前の清瀬にて。

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# by minitayori | 2017-07-01 15:35 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月2日聖霊降臨後第4主日マタイ9章9~ 

7月2日 聖霊降臨後第4主日 マタイによる福音書9章9節-13節

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◆マタイを弟子にする

9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。

9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

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「礼拝に備えて」
 イエス様はマタイ5章~の山上の説教の中で、次のようにお教えられました. 5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。

イエス様の教えられる「幸い」とは、私たち人間の考える常識とは違っているように思えます。しかし、イエス様の教えられることは、うっかりすると私達が損と思うような、また不幸とさえ思えることの中に、実は、最高の祝福があると言う事なのです。それは何でしょうか。

私達が幸せと思えるものが、手元になくなった時に、また、悲しみや苦しみのどん底にある時にこそ、私達は本心で神様の救いを求めるからではないでしょうか。苦しみの中にある時に、自分の力を超えた存在に対して、すがり頼る心が生まれてくるのです。

私は牧師になってから、何人もの人の臨終に立ち会いました。私の父もそうでしたし兄もそうでした。熊本での最初に出会った人も、一人は膵臓癌でもうひと方は胃癌でした。引越しの荷物も解かないままで、訪問に出かけました。

その方は長く柔道をしており、頑丈な身体でした。ホスピスに入り、最後の時を静かに待つと言う日々を送っておられました。最後は痛み止めで心を平安に保つだけの治療でした。私は訪問するたびに神様の国についてのお約束を話しました。「全て労する者、重荷を負う者、われに来たれ、われ汝を休ません。わが与えしくびきを負いて我に従え。されば汝安きを得ん。」これは高校の時に暗記した文語の聖書の言葉ですが、その方には文語の方が心に響いたようで、何度もうなずいてくれました。癒されない病の中で、全ての病をいやしてくださるイエス様に真に出会い、心豊かに、平安の内に旅立たれました。自らの力に頼れなくなった時にこそ、イエス様が共に歩いてくださる幸いを感じたのです。私はそう確信しました。
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♪主イエスと共に、歩きましょう、どこまでも、主イエスと共に歩きましょう、いつも。
うれしい時も、悲しい時も、歩きましょう、どこまでも、
 うれしい時も、悲しい時も、歩きましょう、いつも!

教会学校の子供の歌声が、神様の声として脳裏に響いてきます。



# by minitayori | 2017-07-01 15:23 | Trackback | Comments(0)

ブーゲンビリア

ブーゲンビリア
いつも通る小さな婦人服のお店の前に咲いている。大きな鉢植えに咲いて
いるのだが、店主のおじさんは「心ない人が枝を折って持ってゆくので困
る」と嘆いていた。もっと紫が濃いのだがわたしのカメラではうまく出なか
った。花の真ん中に白いめしべがあって、粒rな瞳のようにかわいい。

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# by minitayori | 2017-07-01 15:01 | Trackback | Comments(0)

ユリの花

ユリの花
強い日差しの中、駐車場の片隅に一輪のユリの花が咲いていた。
渇きに喘ぐように化弁がしおれかかっていた。しかし、それでも
頭をあげて凛としている姿に感動した。もうすぐ暑い夏が来る
神様のお守りの中で、いつも凛としていたい。


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# by minitayori | 2017-06-24 18:55 | Trackback | Comments(0)

「みにだより309」

「みにだより309」
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先日のテレビのドキュメンタリーで、百キロマラソンに挑もうとする高齢の女性の方が出ていた。その方は難病のために、一時は酸素マスクを付けなければ自呼吸ができないほどになり、両手両足もマヒしてしまったそうだ。しかし、何と言おうか不屈の精神と言おうか、リハビリで立ち上がり、歩けるようになり、若い時にしていたマラソンができるようになろうと努力して、とうとうフルマラソンに参加した。そして今100キロマラソンに挑もうと練習を始めていると笑顔で話していた。年齢を聴き洩らしてしまったが、もう70代になっておられたと思う。練習に付き合った松岡修三元プロテニス選手が、早いと言って音を上げるぐらいだった。一時は寝たきりになったのに、身体の中に覚えているマラソンをしたいと言う思いが、立ち上がらせたと言っておられた。人間は現実に打ちひしがれたらおしまいだなーと思った。生きる希望を未来に据えて、積極的に生きることで、何かが始まるのだと言う事も感じた。次の日早速、足を鍛えようと思って散歩に出たが、暑さに負けて引返して来た。自分の意志の弱さに、これではだめだと夕刻にもう一度散歩に出てきた。梅雨の合間の青空に浮かぶ白雲が夕日に輝いて美しかった。

いよいよ関東地方も梅雨になって、雨の日が多くなる。私にとっては腰の痛みが出てくる辛い季節だが、花粉症の人にとっては安心して外出ができる季節となるのだろうか。ある人にとっては良く、ある人にとっては悪い、これ神様の平等のはからいかもしれない。

あるお母さんが、朝洗濯をして娘と一緒に干していた。今日はきっと神様がいい天気を与えてくださいます、と娘と一緒に話しながら干し終わった。すると、しばらくしてぽつりぽつりと雨が降って来た。「神様がきっと良い天気を与えてくださいます」と話したお母さんは、娘がどう受け取るか心配で娘の方を見ると、娘は「神様は農家の方が雨をくださいと、先にお願いしていたのを聴いてくださったのね」と、笑顔で話していた、というお話をある方から聞いた。子供の柔軟な信仰と優しさに教えられたとその方は話していた。また、いつも善い事を考えていよう、神様のなさるお心の素晴らしさに目を留めていよう、そう思ったとその方は話してくれた。

梅雨の季節は紫陽花がきれいに見える季節、楽しんでいきたいです。同時に土砂災害にまでなって被害を受けている方々の事を、神様がみ心に留めていてくださることを忘れずに祈りに覚えて過ごしたいですね。

     人生雨のち晴れ。明日は明るい日を信じて

 

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# by minitayori | 2017-06-24 18:39 | Trackback | Comments(0)

ゼニアオイ

ゼニアオイ
良く見る花なのだが、なかなか名前が覚えられない。どうして花の名に
片仮名の名前が多いのだろう。結局日本の在来種ではないからなのだろ
うか。心を和ませてくれる花の外来種は、歓迎ですけれど・・。

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# by minitayori | 2017-06-24 18:30 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 6月25日  マタイによる福音書7章15~29節

6月25日 聖霊降臨後第3主日 マタイによる福音書7章15~29節

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◆家と土台

7:24 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」

7:28 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。

7:29 彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

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「礼拝に備えて」

 マタイの福音書は、イエス様の弟子教育の福音書とも言えます。短い3年の伝道者としてのご生涯のイエス様は、イエス様の弟子としてあるべき心得などなどを、いろいろな角度から教えておられます。

今週の日課では、1)良い木がよい実を結ぶ。2)天国に入る者の資格、3)岩を土台として家を建てる事、などの例えを通して、信仰生活のあり方、希望などを述べておられます。一つ一つは大変覚えやすい例話でつづられており、書物のなかった時代に、弟子たちに覚えやすく、心にしみるようなお話の仕方であった言えます。

しかし、イエス様の弟子たちへの教えの中心は、彼ら自身が良い木になり、天国に入るにふさわしくなる、事を求めておられるのではないように思います。神様への信仰、イエス様への感謝と信頼の心の中で生きることを求めておられるのです。

賢い人は岩の上に家を建てる、の例えにあるように、土台をどこに据えて生きるかが大切なことなのです。良い木がよい実を結ぶと言っても、今更よい木になることはできません。良い枝を接ぎ木していただくことではないでしょうか。良い実を作るためには、時には接ぎ木をすると聞いたことがあります。

自分自身が良い実を結びえないことを覚えて、神様にイエス様への信仰と言う接ぎ木をしていただき、イエス様と共に良い木となって愛の実を結ぶのです。その様な生き方をする人が、イエス様の実を結ぶことができるのです。

その様な生き方をする者こそが、神様の国へと招かれるのです。神様はイエス様によって私たち一人一人を神様のみ国に招きたいと思ってくださっているのです。神の国へと招いてくださるのは神様、人生の土台を岩にしてくださるの神様、良い実を結べるようにしてくださるのも、神様の大きな愛のみ業なのです。安心して神様にゆだねて日々を平安と感謝の中で生きるようにしましょう。


# by minitayori | 2017-06-24 18:25 | Trackback | Comments(0)

浮きつり草

浮きつり草
散歩途中の植え込みの下に、ひと塊りになって咲いていた。名前が
わからなくて困ったが、やっと見つけました。隠れていンまく手も
珍しく手きれいな花なのに、と思った。大きな葉の下に隠れるよう
に咲いていたのは、梅雨の大雨に備えてなのかもしれない。
また来るからね!それまで頑張ってと一言。

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# by minitayori | 2017-06-24 18:19 | Trackback | Comments(0)

道端のユリ

ユリ
大きな園庭の花も素敵だが、日陰に咲いている少しの花は違った意味で
美しく感じます。なぜ心が引かれるのでしょうか。自分がおかれたとこ
ろで、自分に与えられたときに、自分の色で一生懸命咲いているからでし
ょうね。ひそやかであっても、力一杯生きることが美しく、好きです。

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# by minitayori | 2017-06-17 17:18 | Trackback | Comments(0)

「みにたより308」

「みにたより308」
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 幼稚園児に読んであげた童話の中にこんなお話がありました。

ある里のオウムが、山奥に遊びにゆきました。山奥の鳥や獣たちは、オウムを喜んで迎え、楽しく親切に遊んでくれました。そしてオウムは、山奥の鳥や獣の親しいお友達になりました。

 オウムが里に帰ってー年ほどたったある日のこと、山奥に火事がおこり、山はー面の火の海となりました。オウムは自分に親切にしてくれた山奥の鳥や獣のお友達のことを思いました。そして、自分でできることを何かしなければと考え、里を流れている川に行って、自分の羽に水をいっぱいひたして山奥に飛んでゆき、山火事の上から羽の水を落としました。こうして、オウムは何回も里と山奥との間を往復しましたが、山火事はー向に消えません。

 これを御覧になっていた神様が、オウムにおっしゃいました。

「オウムよ。おまえが羽に少しばかりの水をふくませて、せっせと山火事を消そうとしても、とうてい消えはしないよ。」

 オウムは神様に言いました。「神様、わたしのこんな小さな力では、火事が消えないことは、わかっています。でも、山の鳥や獣のお友達のことを思うと、じっとしてはおられません。わたしはお友達を救いたいのです。」

 神様はオウムのこの愛に満ちた美しい心に感心なさって、どしゃ降りの大雨を降らせてくださいました。そして、山火事は消え山奥の鳥や獣たちは救われました。オウムの美しい心、友を思う真心、愛の心が神様に通じて奇跡が起こったのです。

 世の中には、苦しんでいる人、悩んでいる人がどんなに多いことでしょう。私たちは、どんな小さいことでもいい、自分のできることをして、世の中の苦しむ者、悩む者、悲しむ者の力になってゆきたいと思います。e0191585_17091297.gif


 たとえ、それが小さく力のないわざに見えても、神様はきっと、私たちの真心、愛の心を受け止めてくださり、私たちの思いにまさる大きな力で、私たちを助けてくださるに違いありません。


# by minitayori | 2017-06-17 17:11 | Trackback | Comments(0)

紫陽花

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紫陽花
近くの豊島園の紫陽花園、今が盛りと咲いている。わたしの近所にも
咲き始めたが、少し小ぶりで、日がさし始めると輝きがなくなって
しまう。やはり、アジサイは梅雨の雨の時期が一番生き生きしていま
すね。私達は神様の恵雨の中でいつも生き生きとしていたいですね。

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# by minitayori | 2017-06-17 17:04 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 6月18日 聖霊降臨後第2主日 マタイによる福音書6章24―34

6月18日 聖霊降臨後第2主日 マタイによる福音書6章24―34

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6:24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

◆思い悩むな

6:25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。:28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。:29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

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「礼拝に備えて」

 「思い悩むな!」イエス様はおっしゃいました。何を食べ飲もうか?何を食べようか?何を着ようか?などなど、具体的に私達が日々直面することの中に、信仰のあり方を示しておられます。イエス様のお答えは明白です。「神様が全てをご存じであり、私の神、あなたの神として責任を持ってくださるから、大丈夫ですよ。」

 だから「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

 このお言葉を読んで、エジプトから旅立ったモーセに与えられた、十戒の事を思い出しました。私の洗礼を受けた教会では、礼拝の初めに、立って十戒を唱和することから始めていました。「汝われのほか何ものをも神とすべからず。べからず、べからず、べからず、・・・」と十の戒めが並びます。式文は、十戒を守れない人間の罪への警告と、その罪を赦すためにイエス様が十字架にかかってくださった喜びのみ言へと私達を導いてくれます。 その教会の中で私の信仰は育ってきました。

 そのためか、実は、神様とは怖い方だと言う思いが、ずっと心の底にありました。イエス様の十字架の愛と福音とに、出合う事が出来なかったのです。しかし、ろう者の人々と一緒に聖書を学ぶうちに、違う事を教えられました。それは十戒は「べからず!」ではなくて、そのすぐ前に、「わたしはあなたの神、主です。」と言う言葉があります。わたしはこの言葉に出合うことができました。

 しかも、その神様は「あなたを奴隷の地から導きだした神である」と言われています。十戒は、神様が救いの手を差し伸べてくださる方であるから、この神様のおっしゃることに従いなさい、神様の国と神様の義の中に包まれて生きることを求めなさい。つまり、何よりも先に神様の愛がある。イエス様のお言葉もそうなのです。

 「思い悩むな。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」イエス様が命がけで用意してくださった神様の愛の手の中で、安心して生きること、その時にきっとあなたの心に平安が満ちてきます。


# by minitayori | 2017-06-17 16:53 | Trackback | Comments(0)

神宮外苑の花菖蒲

神宮外苑の花菖蒲
何年も前に、熊本から帰ってきた私たちを娘が神宮外苑に
連れて言ってくれた。花菖蒲が満開だからと招かれたが、
東京に21年もいたが神宮外苑が初めて。恐る恐る電車で
行った。複雑な電車の路線に戸惑い、便利になっているの
に驚きながらの、小さな旅でした。東京ってすごいなー!

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# by minitayori | 2017-06-17 16:31 | Trackback | Comments(0)

「ペンテコステ」礼拝の聖壇の花

先週「ペンテコステ」礼拝の聖壇の花
赤いバラと赤い聖壇布がとても美しく見えました。しかし、
赤はイエス様の流された血潮の色「あなたのために流した血」
神様のお声が聞こえる。

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# by minitayori | 2017-06-10 10:37 | Trackback | Comments(0)

「みにたより307」

「みにたより307」

 先日、ゴミ出しの日に、杖をついて袋を持って出かけた。杖を壁に立ててゴミを分別して出し、やれやれ終ったと晴れ晴れとして帰って来た。一時間ほどして杖を立て懸けてそのまま忘れてきたことを思い出し、探しに行った。この日は可燃ごみの日で、いつもなら異物は持って行かないのに、この日だけは親切に私の杖は廃棄物として見られたのか、持って行ってくれてしまった。

 私の杖は、本来は山登り用の杖で、中にクッション(バネ)が入っていて、先端に杖様にゴムを付け自分でて改良したもの。ちょっと残念だったが、古くてゴミに見えたのかもしれないとあきらめた。以前にも雨の時の大きな傘に、杖の頭のゴムを付けて使っていたが、電車の中に忘れてきてしまった。その内に、自分自身を忘れてしまわないか心配になるが、時が来れば花は咲く、全てを受け入れること、今心配しても仕方がないから、今は楽しく生きていたいですね。

 小石川教会のろう者会の夏の修養会、50周年記念の旅が終った。私は残念ながら足腰の弱さを考えて、34日の旅は無理と思いあきらめた。熊本・天草の旅、ろう者、通訳者の20名余が参加した。30年前に私の教会に神学生として来ていた方が、今熊本の教会で牧師として働いていて、この修養会に参加していろいろお世話をしてくださった。また熊本時代から親交のあった方が様々な手配を引き受けてくださって、助けてくださった。e0191585_10293371.jpg

 いろいろな人々に支えられての旅、ろう者会の人々も他の参加者も、この会の目的にしているものを感じ取ってくれたらと思う。      

「天草の天主堂」


# by minitayori | 2017-06-10 10:32 | Trackback | Comments(0)

小さな花でも群れていると楽しそう。

一人でいると小さな花
しかし、群れていると楽しそう。散歩の途中でにぎやかな
声が聞こえてくるような気がした。幼稚園のように小さな
花が楽しそうに語り合っていた。昔務めた教会に幼稚園が
あったね。楽しかったね、園児たちとのおしゃべりが。

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# by minitayori | 2017-06-10 10:21 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 6月11日 三位一体主日 マタイによる福音書28章16~20節

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◆弟子たちを派遣する

28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。:17 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。

28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

「礼拝に備えて」

 この日曜日は、教会の暦では三位一体主日と呼ばれる大切な祝日です。イエス様が昇天される時に、弟子たちに「父と子と聖霊のみ名によって」、「派遣の命令」を与えました。私はこのみ言に出会った時、牧師としての働きの重さと、働きの壮大さ、広大さに気付かされました。教会、そして選ばれて遣わされた者は、このみ言葉が示される、世界に遣わされていると思ったからです。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 牧師の勤めに任命してくださったのは、天と地の一切の権能を託されているイエス様であると言う事。遣わされた者はイエス様のご命令どおりに「全ての民をイエス様の弟子とするように」との働きに召されている事。私はこのみ言に本当の意味で出合った時から、牧師は教会に来る人のために選ばれた者ではない、今教会の前を通り過ぎて行く人々のためにも遣わされているのだ、と思うようになりました。

 それだけでなく、教会に来られない人々がたくさんいる、いろいろな障害を持っている人々は、教会という壁の高さに、み言葉を聞きたくても阻まれている、音声中心の教会では、耳の不自由な人々は教会に来てもわからない、肢体に障害のある人は教会の階段の下でため息をついて帰ってゆく、ということに心が痛むようになりました。そして今このことは、自分が老境に至って、足腰が弱くなり、耳が遠くなり目が霞むようになって、大変強く感じるようになりました。

 もちろん全部の人々を一つの教会でカバーすることはできないにしても、地域の教会で分担することはできるのではないでしょうか。障害者伝道を40年やって来て、いろいろ気がついたこともあります。教会はイエス様の愛の権威によって、全ての人に神さまの愛のお心を伝えることが使命です。これは神様の願いです。そして私へ託された責任であると思っています。

 教会の礼拝での最後の祝禱を、このような派遣への願いを込めた言であることを覚えつつ聞きたいと思います。同時に、イエス様のお心から漏れる人は一人もいない、あなたも今「全ての民」の一人、イエス様の愛の眼差しの中にとどめていただいている者であることを覚えて、心に平安と喜びを持ってほしいと思います。


# by minitayori | 2017-06-10 10:15 | Trackback | Comments(0)

ドウダンツツジ

ドウダンツツジ
塀の中から道端に出てきて、「こんにちわ!」と挨拶をしているよう。
一人歩きの老人の散歩はさみしそうに見たかい!でも、みんなに会いに
来ているのだと語りかけた。自然の中の友達です。

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# by minitayori | 2017-06-10 10:08 | Trackback | Comments(0)