11日の池袋教会の聖壇の花

11日の池袋教会の聖壇の花
次週から聖壇の色が紫になる。四旬節に入り、イエス様の苦難を
覚える週が始まるからだ。その日を迎える準備のようンに白一色。
十字架で赤い血が流れる。紫・苦しみ。私たちの救いのために。

e0191585_22122736.jpg


# by minitayori | 2018-02-17 22:19 | Trackback | Comments(0)

「みにたより359」

「みにたより359」

春が来たかと思ったらまた寒くなった。寒さの中で足腰の弱ってゆくのがからだで感じるようになった。人生には山坂谷がある、と誰かの結婚式で、先輩の方が話しているのを何回か聞いたことがある。山には登る苦しみもあれば、頂上に達した時の楽しみもある。

神学校の卒業が決まった時、青春の最後の思い出に東京から故郷まで自転車で帰ろうと思った。なけなしの小遣いで中古の自転車で300キロの道を走破した。箱根では上りは、変則ギヤ―のついていない自転車だったので歩いて登り、くだりでは、ブレーキが壊れそうになって歩いて下った。

そういえば箱根では池袋教会の教会学校のキャンプが開かれており、そこで一泊。家内は当時教会学校の教師をしていて、度々その時のことが話題になる。学生が奉仕しているのに、神学生は暇でいいなーとおもっていたと。この自転車の旅は静岡を超えて、金谷の峠で土砂降りの雨に合い、合羽を着て自転車をこいでいたら後ろからきたトラックの爆風?にあおられて崖下に転落。

足に切り傷を作って、結局は近くの駅まで歩き、愛知県の自宅まで電車で帰り、初志貫徹のために次の日にもう一度駅に預けておいた自転車で完走。二三日家でアルバイトをして帰京の費用を貰い、中古自転車は廃棄して東京に帰った。苦しい経験は後で思いだすと楽しいものですね。

考えて見れば、コッペパンと牛乳だけの野宿に近い旅。苦しさを乗り越えた、目的を完走したと言う思い出だけだが、若いっていいものだと今は思う。苦しい時、体がきつい時、この決めたことを最後までするという心の中の決意に忠実であると言う事が、自分の生き方になっていたように思う。古い昔のことを思い出した。

e0191585_21432066.jpg
寒さに震えながら皆既月食を写そうと頑張ったがここまで写して
ギブアップ。かけたところは光が暗く、私のカメラでは写せなかった。



# by minitayori | 2018-02-17 21:55 | Trackback | Comments(0)

聖壇に飾られていた花

聖壇に飾られていた花
いつもは全体として見られるがこの日は一つ一つの花に
眼を注いでみた。いろいろな花が一つの花瓶に活けられ
ていた。前の花、後ろの花、どの花もおかれたところで
文句も言わずに咲いていた。君がいるから美しい、そっ
と語ってあげた。

e0191585_21271540.jpg

# by minitayori | 2018-02-17 21:48 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月18日 四旬節第1主日 マルコ福音書1章12―13節

218日 四旬節第1主日 マルコによる福音書11213

e0191585_21292903.jpg


1:12 それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。:13 イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

e0191585_21312508.jpg
「礼拝に備えて」

 マルコは非常に簡潔にイエス様の荒野での誘惑について記している。誘惑の内容もイエス様と悪魔とのやり取りも記していない。ただ、天使たちがイエス様に仕えていた、とだけ記しています。マルコは自分の福音書を通してイエス様が神様の子であったことを端的に伝えようとしている。そのためには「天使が仕えていた」と語ることで充分であったのだろう。

 昔、誘惑と試練と言う言葉はギリシャ語でが同じ言葉で書かれていると聞いた。原文の書かれた本をあげてしまてないので確認が出来ないが、「ヘイラスモス」という言葉で記されていたように思う。同じ言葉で書かれているのは、誘惑と試練と言うのは似た形で私達の所にやって来て、私たち自身がどちらかを選んでしまう。

 誘惑を選んで身を滅ぼしたアダムの例がある。アダムは誘惑にあった時に神様に従う事によって、誘惑を退け、信仰を強くし、神様への信頼関係を強くすることが出来たはずだった。日常の中で多くの誘惑がやってくる、苦難や悩みとしてもやって来て、私達を神様から引き離そうとする。その時、神様のみ心を第一にすることで信仰を強くすることが出来るのだ。今私の行っている教会の婦人の有志の方に讃美歌を手話で歌えるように教えている。先週は「神の国と神の義を、まず第一としなさい。」と言う歌を学んだ。

 神様の国と神の義を第一とするなら、全ては与えられる、という短い歌を手話で歌った。イエス様は、全ての誘惑を神様を第一とすることによってしりぞけ、ゲッセマネの園で十字架の時を前に、血の汗を滴らせ苦悶の中で「み心がこの身になりますように!」と 祈られた。苦しい時、悲しい時、孤独になった時、「み心がこの身になりますように。」と祈りつつ与えられ

e0191585_21404094.gif
た道を歩み続けるっものでありたい。


# by minitayori | 2018-02-17 21:41 | Trackback | Comments(0)

2月4日の池袋教会聖壇の花

2月4日の池袋教会聖壇の花

e0191585_22482862.jpg

# by minitayori | 2018-02-10 22:50 | Trackback | Comments(0)

「みにたより358」

みにたより358」

 宗教改革者ルターの書かれた書物の中で「ソラ=のみ」と言う言葉がある。ある書物の中でこの言葉に出会って、神学生時代を思い出した。ドイツ語を習い始めたばかりで、語学の不得手な私はその言葉の語尾変化の多さに戸惑ったものだった。神学の学びの中で教授が繰り返しこの言葉を使っているのに気がついた。そしてその言葉が、「ソラ」しと言う言葉で、「~のみ!」と言う強い意味を持った言葉であることを知った。ルターは、この言葉を宗教改革の中で、信仰生活の基盤となるべき3つの言葉に当てはめて用いている。「聖書・恵み・信仰」と言う言葉の前にこの「ソラ」言う言葉を付けて、自分の教える信仰の基礎となることを伝えているのだ。 当時は教会の権威が強く、その教えさえ守っていればよい、という考えで一般の人々はっ聖書に触れることすらできなかったのだ。当時の聖書は書店で売っているようなものではなく、手書きで分厚く、一説によればルターの入った修道院でさえ、食堂の入り口に鎖で繋がれて置かれていたとの由。触れるだけで恵みがあるとさえ思われていた。ルターはまずこの聖書を、当時のドイツ人の日常使っている平易な言葉に翻訳し、この聖書によってのみ信仰が培われ、聖書によってのみ神の恵みが与えられると教えた。そのためにこの「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」と言う言葉を用いて信仰の根源を分かりやすく教えたのです。 自分が今まで本当に無学で会った事教えられ、改めて勉強しようと思ったが、勉強のあまり好きでなかった私にとっては、決して楽な道ではなかった。しかし、学びの奥深さと道の遠さに打ちのめされた時でもあった。でも、新鮮な出会いは意欲を与えてくれ、あまり勉強としては出来なかったが、落ち穂拾いのように、細々と、感謝しながら恵みを受けてきた。その細々という努力は、手話で聖書を学ぶ時に意外なほど役に立った。自分に与えられた道を一生懸命歩くことは、イエス様が与えてくださる助けを経験するためにも、必要な道であると、今になって思う。自分に与えられた道で、自分らしい花を咲かせ、そして色美しく輝ける道であると思い、若くしてルーテル教会に出会い、厳しい道に導かれてきたことを感謝している。e0191585_22450399.gif



 


# by minitayori | 2018-02-10 22:46 | Trackback | Comments(0)

山茶花

山茶花
実は椿かと思って写してきたのですが
どうも山茶花のようでした。兄弟かな。

e0191585_22361073.jpg

# by minitayori | 2018-02-10 22:38 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月11日 マルコ福音書9章2-9節

2月11日 変容の主日 マルコによる福音書92-9

e0191585_21534718.jpg


◆イエスの姿が変わる

9:2 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、

9:3 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 9:4 エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。

9:5 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 9:6 ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。:7 すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

9:8 弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。:9 一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。

e0191585_21442333.jpg

「礼拝に備えて」

 山の上で真っ白に輝く変貌されたイエス様に出会った弟子たちの驚きと喜びはどんなに大きかったことだろう。私もお目にかかることが出来たら、もっと信仰強くあることが出来たのに、若い時に思ったものです。

 しかし、変容とは真っ白に輝いて私達を驚かすことではないと思うのです。聖書を読んでいて。イエス様の十字架が、イエス様のお話が私に向けられたお話であり出来事であることが分かった時、その時変容のイエス様に出会っているのです。e0191585_22064278.jpg



 先日、私が通っている池袋教会の写真を写していた。まだ誰も来ていなかったので礼拝堂の後ろから会堂全体を写していた。家に帰って写真を見て驚いた。聖壇に一本だけあるはずの会堂に3本の十字架が見えたのです。両脇にある窓の光と会堂の中にある電気とが不思議に組み合わされて、両脇に日本の十字架があり、聖壇の正面にある十字架と合わせて3本の十字架に見えたのです。

 両脇に輝く十字架、そして正面の聖壇の後ろの壁に付けられた木の十字架、その貧しい十字架が、私のために担ってくださったイエス様の十字架だと思った。私にとっては、いつも見ている十字架が、特別に「あなたのため、私のためのイエス様の十字架」として身近に感じ、体が震える思いだった。

 



# by minitayori | 2018-02-10 22:30 | Trackback | Comments(0)

胡蝶蘭の花弁

胡蝶蘭の花弁
天使が羽を広げているように見えますね。
私たちの未来は天使のみ手に迎えられる。
ゆだねて今日を一生懸命生きよう。

e0191585_21495319.jpg

# by minitayori | 2018-02-10 21:54 | Trackback | Comments(0)

先週の池袋教会の聖壇の花

先週の池袋教会の聖壇の花
寒波が波状的に到来している。しかし、ここ教会には春が来ている。
花の便りです。春よ来い!早く来い!

e0191585_22084536.jpg

# by minitayori | 2018-02-03 22:12 | Trackback | Comments(0)

「みにたより357」

「みにたより357」

寒くって、雪道で滑るのが怖くて、しばらく家にこもっていた。アパート近くは住宅街やアパートが多く、雪かきが出来ていなくて、未だに先週の雪が凍って滑りやすい。高齢者世帯が多いのか、雪かきもままにならぬのだろう。私も先週は散りとりで雪かき、かがんで雪かきをしたので、腰、ひざ、股関節を痛めてしまった。

アパートでは一年に一度かそこらのために雪かき用の道具を備えておくこともできないし。リハビリの送迎の車も先週はお休みになった。家の中で歩き回ると言ってもわずかな距離ですからね。久しぶりにちかくのコンビニに行って買い物をし、コーヒーのいい香りがしたので、百円コーヒーを飲んで帰って来た。しかし、久しぶりのコーヒーが強すぎたのか腹痛を起こしてしまった。病気になると健康であった時のありがたさがわかる。何でもそうですね。あることが当たり前になってしまうが。いざなくなってしまうとその尊さを痛感する、身の回りにあるものに日ごろから感謝の心を持って接していないといけないと改めて思った。

先日、クイズの本を読んでいた。食卓編「いつもはなくてもよいが、なくてはこまるものはなーに?」??何だろうと思った。答えは「醤油差し」!よく考えてみて、自分の周りにも大切さを忘れている物が沢山ある。鼻紙だったり、ペンなどもそうだ。勿論、大切な妻のことも忘れてはいけないが。今日は急の腹痛で孫の離乳食が羨ましかった。「健康」のありがたさも感謝を忘れがち。大切なものに囲まれている。大切なものは私を守っていてくれるものばかりなのだ。身体や心、日々の生活に必要なものすべてが大切。改めて感謝しつつ大切にしていきたいもです。

e0191585_22062273.gif


# by minitayori | 2018-02-03 22:07 | Trackback | Comments(0)

チューリップ

先々週の聖壇に飾られたチューリップ
りりしくしっかり頭ともたげ、姿勢正しく十字架に向かう姿が
私にはとてもお印象的でした。

e0191585_21571007.jpg

# by minitayori | 2018-02-03 22:00 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月4日 マルコ福音書1章29-39節

24日 顕現節第5主日 マルコ福音書12939

e0191585_21534718.jpg


◆多くの病人をいやす

1:29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。:30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。:31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。

1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。:33 町中の人が、戸口に集まった。

1:34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。:36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、

1:37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。

1:38 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」

1:39 そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

 

e0191585_21442333.jpg

「礼拝に備えて」

 クリスチャンになって「すくい」の尊さと厳しさとを知った。神様が御独り子をくださったほどに、世のすべての人を愛しておられることを知り、私がその救い、イエス様に出会った事を感謝したが、神様が世のすべての人々の救いを望んでおられることを知って、身近な家族の救いを祈り続けてきた。しかし、現実には任地は自分の家族とは遠くに離れていた。

 今引退してからも、遠くに離れている。しかし、今日の聖書の中に。シモン・ペトロの姑が熱を出して知られたイエス様は、彼の家に行き姑の病気を癒された、と記されている。イエス様は弟子のペトロの心の痛みのすべてご存じで、弟子の家にその姑の病を癒された。

 このお話を読んでから、私の心は自分の願い、祈り、悩みのすべてを委ねて、自分のなすべきことに専念することの大切さを思った。今年の3月に新しく牧師になる三人の牧師がいる。皆同じ気持ちを持っているに違いない。

牧師夫人として働かれる方にも両親家族がいる。心痛めることも多いだろうが、イエス様がその弟子の願いを知って下さることを覚えて、遣わされたところで精一杯支え合って、神様の御用を担ってほしい。

任地のことについても、どこに遣わされるかわからない不安があるだろうが、今日のみ言葉では「近くのほかの町や村へ行こう。」と弟子達を招いておられる。「行こう」は、「行け!」ではなく、「イエス様も一緒に行く、イエス様と一緒に行こう!」と言う意味。

そこで、イエス様が一緒に働いてくださる、だから、『安心して,行ってほしい。』私は新しい任地に行くと、イエス様のキリエのお顔を書斎に置き、眺めては、問い、聖書を通してイエス様に聞きつつ過ごして来た。心が痛い時は、イエス様は共に悲しみ、時にはよくやったと微笑でくださることもあった。こうして、弟子たちはイエス様に育てられていった。今もそれは続いている事を忘れないでほしい。



# by minitayori | 2018-02-03 21:56 | Trackback | Comments(0)

胡蝶蘭

胡蝶蘭
東京のケアハウスに入った時、信友が持ってきて下さった胡蝶蘭。
大雪の朝、咲きました。病の中にいる信友の回復を祈る花です。
花の中に天使の姿をした花弁があります。次回もう少しきれいに
見えるように写します。

e0191585_21454728.jpg

# by minitayori | 2018-02-03 21:51 | Trackback | Comments(0)

21日の池袋教会の聖壇の花



21日の池袋教会の聖壇の花
この日は小児洗礼が行われ、春の陽気で、教会の中も春の花
しかし次の日は大雪。よかった!



e0191585_22280702.jpg

# by minitayori | 2018-01-27 22:35 | Trackback | Comments(0)

「みにたより356」

「みにたより356」

 近年にない寒波が東京にもやってきました。アパートの前の駐車場にも雪がつもり、朝一番に階段と通り道に出る道だけは確保しようと雪かき始めようとした。しかし、雪かきの道具がない。仕方がないので小さなチリトリでしゃがんで雪道を作った。10センチほどの雪だが幅一メートル、長さ78メートルの雪かき。道具がないのでしゃがんで一時間ほどしてやっと道を作ったと思ったら、今まできれいにしてきたはずの道には3=4センチの雪が積もっていた。

 関節と腰の痛みが出始めたので雪かきはあきらめたが、大変dした。私の故郷では雪はほとんど記憶にないくらい降っていなかった。東京の神学校に入学してある朝、真っ白になっている庭を感動して歩いたものです。東京ではあまり大雪はありませんでしたが、それでも12度降る雪には気を付けました。教会の前の道で転んでけがをする人が出てはいけないと思い、雪が降った時は早朝から教会の前の歩道の雪かきをしたものです。まだ30代の頃でしたから、大変さより楽しさを感じました。

 飯田にいた時は駐車場と園児が登園する道とを作るために朝早くから汗を流しました。園の送迎バスのタイヤにチェーンを付けることも覚えました。まだ50代後半の時でした。

東京の今回の雪は50年ぶりとかで、79歳の後期高齢者にはさすがにきつく家に閉じこもり、太陽が出て自然の雪解けを待とうと思いました。所が2日ほど続いた寒波で道路の雪が凍ってしまい、凍って歩き辛い道があちこちにあります。水をまいて雪を溶かしている人もいましたが、それが凍ってスケート場のようになってしまい、転ばぬようにペンギン歩きをして買い物に行きました。

でも、今大雪の中にいる地方の人々の事を思うと青空が見えるだけ幸いだなーと思うとともに、北の国の人々の無事を祈りたいと思います。
e0191585_22160642.jpg



# by minitayori | 2018-01-27 22:27 | Trackback | Comments(0)

大雪の朝

大雪の朝
練馬に転居して初めての大雪でした。
e0191585_22210245.jpg

# by minitayori | 2018-01-27 22:24 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 1月28日  マルコ福音書1章21-28節

128日 顕現節第4主日 マルコによる福音書121-28

e0191585_21543439.jpg


◆汚れた霊に取りつかれた男をいやす

1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。

1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

1:23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。

1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」

1:25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、

1:26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。

1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」

1:28 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

e0191585_21551434.jpg

「礼拝に備えて」

 今日のみ言葉の中でイエス様が会堂に入って会教えられた時のことが記されている。人々はイエス様の教えを聞いて、イエス様のお言葉を通して権威あるものとして教えられるイエス様のお姿に驚かれた。その権威とは何だろうか。ヨハネによる福音書記者はイエス様についてこう証している・「「1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」

 イエス様のみ教えの中に示される恵みと真理とに触れたからこそ、人々はイエス様を信じ、イエス様のみもとに集まってきたと思うのです。それは言葉ではなくイエス様の人々に対する、偏見のない愛、として示されています。洗礼者ヨハネの問いに対して、マタイ福音書記者は「11:4 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。

目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。とイエス様がいらっしゃる所に愛があり、愛が実現され、そこに福音(良き知らせ)があり。福音を通して神様のお心に会える喜びが生まれる、その様に考えると、イエス様のお心を伝えることこそ、説教であり牧会であると思うのです。

 イエス様の存在は、教会の交わりの中にも存在します。勿論福音の説き明かし(説教)の中にも、祈りつつ教会に集う会衆の心にも存在するものだと思うのです。教会はこのようにして権威ある神様のみ言としてこの世に力ある存在となるのではないでしょうか。


# by minitayori | 2018-01-27 22:18 | Trackback | Comments(0)

名前?花

名前?
いつも通る小さな婦人服のお店の前を通った時、ふと足元で
視線を感じた。紫の葉に小さな花が咲いていた。いつも小さな
つぼみのようだが、先日はしっかりと花を咲かしていた。店の
方に花の名前を聞いたが、知らないよ!とつれない返事だった。
そうだね、花にとっては名前なんか関係ない一生懸命咲いている
からきれいなんだものね。

e0191585_22181898.jpg

# by minitayori | 2018-01-20 22:28 | Trackback | Comments(0)

「みにたより335」

「みにたより335」
e0191585_21541534.gif


 今度の日曜日には、次女の長女(つまり私の孫)の幼児洗礼式が行われる。主任の牧師先生のお赦しをいただいて洗礼式のお手伝いをさせていただけることになった。思えば私の最初に洗礼を授けたのは、まだ神学生の時、最終学年の時だった。そこの教会の優しい牧師先生が、介添えをしてくださり、ガン末期の病床での父の洗礼式を行った。そして人生最後であろう洗礼式が、母の体にいる時から見守り、祈ってきた大切な孫であることに、神様の特別のご配慮を感じ、感謝している。勿論、ほかの家族や兄弟、友人の信仰のためにも祈っている。今に至るまで聖壇に立っている事が許されていることも含めて・・。神様が必要としてくださる限り、肉体的に衰えを痛感するこの頃だが、感謝しつつなせる事を心をこめて果たしていきたいと改めて思っています。

 不思議に自分が弱気になると、励ましてくれる信友が支え、力を与えてくれる友が現れる。文字が見え辛くなって、間違いも多くなってきている時に、このような文章で「励まされています。」と言うお手紙をいただき、私の方が励まされています。

 今年の3月には、前任の教会で教会学校で育った青年が、神学校を卒業して牧師になる。「牧師にならないか。」と話し合った。家族思い、妹思いの青年で、家族を守りたい、と大学に進学した。引退後も心に残りそのことについて祈ってきた。彼が神学校に入り、間もなく牧師になる、その知らせを聞いてどんなに嬉しかったことか。

 私はろう者伝道と言う働きの故に、故郷でお手伝いをすることが出来なかった。引退後は出身教区で嘱託の働きででもご奉仕したいと思っていたが、肉体的には無理と考えてあきらめていた。でも出身教会牧師のお招きで伝道集会のお手伝いをすることが出来た。

 思いがあれば通じると言う事かな。

若い牧師たちの未来に、神様の祝福と守りをいのりたい。遣わされる教会での働きを通して一層成長できるように、教会の祈りと支えを願いたい。e0191585_22160642.jpg


 


# by minitayori | 2018-01-20 22:17 | Trackback | Comments(0)

蝋梅

蝋梅
恥ずかしがるように、遠慮しているように小さな花が咲いていた。
良く見たら「蝋梅」の花だった。いつもより遅いような気がする。
そうだね!この天候の変化の激しさではついてゆけないよね

e0191585_21463671.jpg

# by minitayori | 2018-01-20 22:07 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月21日  マルコ福音書1章14-20

221日 顕現節第3主日 マルコによる福音書114-20

e0191585_21543439.jpg


◆ガリラヤで伝道を始める

1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

◆四人の漁師を弟子にする

:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。1:18二人はすぐに網を捨てて従った。:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、:20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

e0191585_21551434.jpg

「礼拝に備えて」

 イエス様はその公生涯の初めをガリラヤで始められた。そこでの第一声は「15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言う人々への訴えであった。神の国はイエス様がいらっしゃる所に自然と生まれてくる。それは、人が失い、しかし、心から求めている大切な事柄です。神の国は神様を父と親しく呼べる心。人々を差別しないで愛する心。その様なイエス様の心が実際に存在する所に生まれる。イエス様はその心を得るために、悔い改めて、福音を信じなさい。と言われました。

 最初の人間は神様の戒めに背いて、まさに背を向けて、禁断の木の実をとり、食べてから神様を恐れて、神様のお顔さえ恐れて見られないものになってしまいました。それだけではなく、「これぞ肉の肉、骨の骨」と一体であることを喜びを持って歌った、最愛の隣人、エバとののしり合う者となってしまいました。

 背くものが神に向かって生きる。今までの生き方を変えて、神に向かって生きる者となることを求められたのです。私はこの出来事を集約する意味で手話を作りました。神様と向かい合って生き、手を握りあえる状態にある人間が(両手を合わせて、左手・人間が手のひらを返して、神様から離れて行った。その人間が左手を返す=向きを変えて神様に向かう=その向きを変えると言う事が、悔い改める、と言う聖書のもとの意味であると思いました。

 反対を向いていた左手が向きを変えると、すぐ後ろには右手=愛の神様=がいらして、また握手、仲直り=和解=が出来る。この一連の動作を教会の大切な手話として、教えてきました。

 さてイエス様は共に働く弟子を選ばれました。人々が生活しているその場所で神様の召しを受けたのです。漁師である最初の弟子には、「人間をとる漁師になりなさい。」と招きの言葉を掛けられました。私達もそれぞれの生きている場所で、私達の経験を生かした招きを下さっています。まず神様のお心に従って、そのお心を生かせる場所が今あなたの歩いてきた道にということではないでしょうか。

e0191585_21593663.gif




# by minitayori | 2018-01-20 22:01 | Trackback | Comments(0)

冬の寒空

冬の空(寒空)
近くの団地の間の道を歩いていたら、青空が不意に切れて、
寒空に変わった。明日は晴れだが月曜は雪とか。風がなければ
良いのだが。雪国の人たち、がんばれ!

e0191585_21460906.jpg

# by minitayori | 2018-01-20 21:53 | Trackback | Comments(0)

ボケの花

ボケ
なんとなくつかいにくいこと言葉ですね。自分がその仲間に
入っているからでしょうか。でも花ことばは違います。
花ことば=早熟な人。

e0191585_23200648.jpg

# by minitayori | 2018-01-13 23:33 | Trackback | Comments(0)

「みにたより334」

「みにたより334」

先週、ベランダで転倒してしまいました。洗濯物を干していた時のことです。目の前にある竿につかまろうとして手を伸ばしたのですが、わたしが思った所より遠くに合ったのが見えなかったのです。さいわいけががなかったので良かった。最近、緑内障になってから遠近の感覚が鈍ってきた。

耳も少し遠くなったのでしょうか、思い込みが多くなって家庭ないトラブルのもとになります。また、聞いたことをすぐ忘れてしまうので困ります。思いこみも多くなり、失敗することもあります。

先日順天堂病院の検診予約の日を間違えてしまい、再予約してもらいました。11月が31日あると思いこんで、122日の予約を一日過ぎてしまってからいざ行こうとして準備をしていたら、一日過ぎてしまっている事に気がつきました。

いろいろ楽しい日々を過ごしていますが、一緒にいる家族には苦労かけています。老いるショック=オイルショック一時期こんな言葉がはやっていましたが、老いるショックは、楽しんで生きるより方法がないようです。これも人生の中のひと時ですから。明日は明るい日とそんな時に思い出す言葉です。だから、今を与えられた時として悔いないように生き、明日に希望を持って眠りに着きたいですね。人間だから老いの時、故障の多い時もありますからね。


# by minitayori | 2018-01-13 23:18 | Trackback | Comments(0)

メジロ

メジロ
アパートの一角にあるしだれ梅の木に、花が咲いたかと見に行った。
しかし花はなく、一羽のメジロが戸惑ったように止まっていた。
昨年梅の花を食べに来たメジロだろうか。もう少し待って!

e0191585_23053601.jpg

# by minitayori | 2018-01-13 23:10 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 334 1月14日 マルコ福音書1章9-11節

334 114日 主の洗礼日 マルコ福音書19-11

e0191585_22582735.jpg


◆イエス、洗礼を受ける

1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 1:10 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。

1:11 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

 「礼拝に備えて」

 イエス様は宣教(公生涯)の初めに、荒れ野で誘惑に合い、その後、今日の日課であるヨルダン河で洗礼を受けられた。このヨルダンの川では洗礼者ヨハネが、人々に罪の悔い改めと懺悔の祈りを持ちつつ、罪の洗い清めの洗礼を受けるようにと勧めていた。

 その同じ場所にイエス様が来られ、ヨハネから洗礼を受けさせてほしいと願い出た。きしい教えで有名であったヨハネは、「神の子であるなたが、この罪の赦しの洗礼を受けるのですか?」と驚いて、自分こそ洗礼を受けるべきであると願い出ている。

 しかし、イエス様は今は、ヨハネから洗礼を受けたい、と願い出られた。何故だろう。神の子であるイエス様は、私たち人間と同じ歩みを始めようとされていたのです。罪の懺悔をし、許しをこう全ての人とその根源から寄り添うためであった。

 イエス様は事実そのご生涯のすべてに置いて、罪人、悲しむ人など社会からおきざれにされている人々と共に歩まれた。いやそれは私達の事でもある。罪を犯し悲しむ時にイエス様は、それは何のためであったのだろうか。イエス様は洗礼の後、天か神様からのお言葉をいただきました。それは「あなたはわたしの愛する子」というすばらしいお言葉です。

このお言葉は罪の洗いをする川の中で聞かれました。悔い改めの涙を流すそのただ中に語られました。それはあなたが神様のお言葉の中に生きるためです。その時あなたも聞くことができます。「あなたはわたしの愛する子。」

e0191585_21541534.gif



# by minitayori | 2018-01-13 23:04 | Trackback | Comments(0)

12月31日の聖壇

12月31日の聖壇
2017年の最後の礼拝、白いチューリップが会衆の皆さんに感謝して
いるようにこうべを垂れていました。聖壇からみると会衆の皆さんが
一年を感謝して神様に向かってこうべを垂れていました。
一年の終わりの祈りの時でした。

e0191585_21571337.jpg

# by minitayori | 2018-01-06 22:03 | Trackback | Comments(0)

「みにたより333」

「みにたより333」

 昨年末から正月3が日の間、31日の礼拝以外ほとんど家にいて過ごした。昨年はいろいろな出来事が我が家にありました。友人の大病と手術は大きな心配ことでした。昨年は妻が緊急入院をし、一週間ほどでしたが、自分がいかに家の事に無関心でいたか、妻の細やかな家の守りの尊さを身にしみました。

 また、昨年8月には次女に初子が生まれ、そのお世話に明け暮れました。腰痛持ちの私には、この5が月の間に体重を倍に増やした孫は、大変でしたが、腰の痛みを忘れさせるかわいさでした。現役中は遠方にいたために孫の世話は出来ず、今さらながら申し訳ないと思いつつ、幼子の笑顔に癒された日々でした。

 しかし、幼子の顔を見ていて、時々、ヨセフさんとマリヤさんはこのかわいい幼子を見つめながらどんな思いでおられたか、いつもそのことが気にかかりました。辛かったろうし、苦しかったであろうと思いました。そんな思いを込めて、昨年は聖家族のキリエを作りました。身の衰えや体力や作業場のなさを考えるととても無理と思えたのですが、ヨセフさんとマリヤさんのお二人の心をどうしても自分なりに残しておきたかったのです。

 結果は不満足でしたので、人前に出せる物ではないとは思ったのですが先の号に載せさせていただきました。沢山の方が見てくださり、感想をくださいました。写真ではヨセフさんとマリヤさんの涙ははっきりとは出ていんせんでしたが、時間を見て手を入れたいと思っていますう。

 痛みがあるからこそ、弱さがあるからこそ祈りがあり、神様に聞く耳が生まれ、祈りが生まれてくるものなのですね。まだ意欲はありますが、視力があり、体力があるうちにまたご紹介できる物が出来るかもしれません。

 この号の星と三賢者の救い主礼拝は、何年か前に作ったものです。

e0191585_21541534.gif


# by minitayori | 2018-01-06 21:55 | Trackback | Comments(0)

三賢者の礼拝 キリエ(小嶋)

三賢者の礼拝
星の中(神様の御心の中で)マリヤさんも
三賢者も神様のご計画を感謝して礼拝した。

思う。  キリエ(小嶋)
e0191585_21394128.jpg









# by minitayori | 2018-01-06 21:50 | Trackback | Comments(0)