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日曜日の礼拝に備えて

3月7日(日) 四旬節第3主日:ルカによる福音書13:1-9 
6そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。 7そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』 8園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。 9そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

み言より一言 双方向の愛

待つこと、耐えること。
花のつぼみ・・、みんな知っている。
みんな 明るいほうを、向いている。
星野富広さんの詩集より

 聖書の神が求める人との関係は、ただ人が神を愛し、信じるというのではなく、まず神が人を愛し、信じてくださる関係で結ばれています。しかし、聖書にはこの神様のお心を無視し、裏切る人間の愚考が記されている。聖書には繰り返し人に裏切られた神の嘆きの声が記されている。しかし、神さまは忍耐して人が悔い改めるのを待っておられる。
 日曜の日課である聖書の譬えは、実のならないいちじくの木が切り倒されて終わってはいない。園丁がもう1年猶予をもらうところで終わっている。待ってくださいと頼んでくださっているのはイエス様。守られているのはわたしたちなのである。
 聖書はこの一年後のことについてはしるしていない。ただひたすらこのぶどうの木を守ろうとする園丁の心だけが強調され、園丁の一生かけた願いの激しさに胸を打たれます。
守ろうとされているのはあなたです! あなたが神様の喜ばれる実を結ぶことができるように、今も園丁は主人の前に立っていてくださる。あなたはイエス様に、神様に愛されているのです。

by minitayori | 2010-03-04 20:39