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聖書より一言

2010・6月20日(日) 聖霊降誕後第4主日 ルカによる福音書7:11-17 
列王記上17:17-24 ガラテヤの信徒への手紙1:11-24

聖書 : ルカによる福音書7:11-17
7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。 12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。 13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。

聖書より一言 : もう泣かなくてもよい

リルケの詩「秋」

木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
大空の遠い園生が枯れたように
木の葉は否定の身ぶりで落ちる
われわれはみんな落ちる この手も落ちる
ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手に支えている者がある


 死というものは非情なものです。牧師という仕事柄、病の人を看取る機会も多かった。いつも思うことは、病の床に伏す人だけでなく、その方を看護する人への慰めとケアーがどんなに大切かということである。人の死は永遠の別れ、残された者たちはただ泣き、諦めるしかない。聖書のナインの女性の場合、夫を先に亡くし、今亡くなったのは一人息子であった。どれほど深い悲しみであったことだろうか。できることなら自分が代わってあげたい、私も自分の娘が急病になって生死をさまよった時、真剣にそう思った。
 聖書には、極限の悲しみの中にいるこの婦人の葬列を止めた方がいた、と記されている。イエス様が彼女の横に立ち、憐れに思ってくださった。御自分で彼女の悲しみを背負い、彼女には「悲しまないでよい。」と言われた。
 リルケの「秋」と言う詩を載せた。最後に、「ただひとり この落下を 限りなくやさしく その両手に支えている者がある」という言葉がある。今日の聖書にある婦人の、喜びの声のような気がした。

by minitayori | 2010-06-17 22:02