礼拝に備えて2013・6・9 マタイ4:1-11 誘惑に勝つために 

2013・6・9 マタイ4:1-11 
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4:1 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。 2 そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
 3、すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 4 イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」
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「礼拝に備えて077」
 教会は先週の水曜日(6日)を灰の水曜日として、この日から受難節(イエス様の苦難を覚える40日)としてイエス様の苦難のご生涯を学んでゆく。
 イエス様の苦難の始まりは、その全生涯に及ぶが、公のご生涯としての始まりでは、その初めに荒野に導かれて、悪魔の誘惑に合われたことが記される。
 悪魔とは、神に敵対するものと言われるが、悪魔はすべての者を神に敵対させ、悪魔に従うように仕向ける。
旧約聖書の初め、神様が世界を造り、人間をご自分に似せて造られたときに、神様は恵みと愛の満ちるエデンの園に人を置かれ、園の中のすべての物を人に与えられた。
 その中で一つだけ、神様は人に禁じられた。それは園の中央にある善悪を知る木の実だけは取って食べてはならない、取って食べると死ぬからと言われた。
 しかし、蛇に姿を変えた悪魔は、人に神様の命令に疑いを持つように誘惑の言葉をかけた。神様に従うのではなく、自分の意思に従うようにと誘惑したのだ。
 聖書のいう罪とは、正しいこと、つまり神様の言われることに背くこと、的を外して生きる、道を外れて生きることなのである。
今日の日課で悪魔が誘惑しているのは、この時の誘惑に酷似している。ここで問われているのは、神にゆだねて生きることができるかどうかである。神の子なら何でもできるはず、好きなようにしてごらん、と悪魔はささやく。
 人をうらやみ、憎み、苦しめ、悩ます心が私たちにはある。その心のどこかに、自分の思い通りにすることが一番だと思う心がある。右か左かと迷った時には、WWJD=What would Jesus do.イエス様ならどうされるか、と考えてごらんなさい。 教会学校の子供に言ってきたことだ。イエス様は神様がお考えになることが一番正しいから、神様にすべてをゆだねて生きる、と言われて悪魔をしりぞけられた。
 迷った時、心騒ぐ時、神様に聞いて、今目の前にある小さなことに精いっぱい尽くしていこう。小さな花が、置かれたところで一生懸命、神様の期待にこたえて咲いているように。

by minitayori | 2014-03-08 22:07 | Trackback | Comments(0)

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