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礼拝に備えて 2014・9・14マタイ16:13-31

9月14日(日) 聖霊降臨後第14主日  
マタイによる福音書16章13~20
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16:13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
16:14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
16:15 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
16:16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
16:17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

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「礼拝に備えて」
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」イエス様の弟子たちへの質問には、厳しさを感じる。しかし、それは深い愛を土台にした厳しさというべきだろうか。
 このみ言で、創世記における神様とアダムとのやり取りを思い出した。「あなたはどこにいるのか。」罪を犯して身を隠すアダムに呼び掛ける神様のお心には、罪を悔いて神様の前に出てくるようにとの神様の愛のお心があると思った。
 今日の日課では、イエス様は、人々が思っている以上の思いを弟子たちに要求している。神の子としての信頼と愛と従順。それはかつてアダムによって失われてしまったものだったから。背信の回復のチャンスが、今弟子たちに与えられている。
 いや弟子たちだけではなく、私達すべての人間への呼びかけでもある。ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
神様に真正面から向き合って、あなたは私の神、と言えることを神様は望んでいる。それを罪人である私達に許していてくださる。
 私はかつて、自分の勝手な思いを通すために父から勘当されてしまった。最も勘当などという言葉は今は死語に近いかもしれないが。しかし、勘当されて、一人で生きるようになって、改めて父の愛を感じるようになった。厳しい父だったが、多忙期になるとそっと帰って仕事を手伝う私を受け入れてくれた。何も言わなかったが、帰りの汽車賃となにがしかのお金を母を介してそっと渡してくれた。
 夜中に風呂に入る私のために、父は薪で湯を温めてくれた。風呂で何気なく歌う讃美歌を聞いていてくれた。父の愛の大きさ、深さを思った瞬間だった。父は私の卒業の前の年に、がんで召された。しかし、最後に、「お前から洗礼を受けたい」と言ってくれた。私の授洗者第一号になってくれた。
 父である神様はあなたを愛しておられる。神様の子になりたい、と切に思う。神様の子として生きよう。心を神様に向けて、神様を愛してください。神様はあなたを「わが子として迎える」と約束していてくださいます。
 「あなたはメシア、生ける神の子です。」(私の父、造り主です)天の父なる神様は、このペテロの告白を、全ての人に望んでおられるのです。
 

by minitayori | 2014-09-13 21:54