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礼拝に備えて 11月8日 マルコ福音書12章28―34

11月8日 聖霊降臨後第24主日 マルコ福音書12章28―34
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12:28 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
12:33 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
12:34 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

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「礼拝に備えて」
 この律法学者とイエス様との間には、神様に対する思いにおいて、根本的な違いがある。律法学者は知識として、神様の掟を理解し、行為としての儀式を正しくすることに腐心した。イエス様は心からの愛を持って神様と人とに接することを説かれた。
 信仰を、このように間違って理解する人が意外と多いものである。礼拝に必ず出席し、献金や奉仕をしていると良い信仰者であると思ったり、聖書の知識や、信仰生活の長さによって、自分が神様により近くいる者と思い、それができない人たちを裁いたりする。
 多くの場合、それが教会の中にごたごたを起こす原因になったりする。そして、求道者の人々は、そのような教会の内情を見て失望して、せっかく神様を求めてきたのに、失望して去ってゆく。
それが牧師の場合であったり、信徒の場合であったりする。罪を持つ人間の集まり、間違いや失敗、思い上がりが顔を出す場合も、長い信仰生活の中にはあるだろう。自分を自戒し、信徒の人のその様な行為と心を、神様に向けて、神様の本当の願いに耳を傾けるように願ってきた。
教会の歴史はその罪の歴史でもあった。だからルターは、神様に従うことを第一とし、聖書に聞き、イエス様の行為に習い、互いに愛し合えるような優しい心を持つようにと願った。
現役の時には自分の教会の事に一生懸命であった。愛深き教会であるようにと願い、その様に語り、信徒の愛の輪を作るようにと努力してきた。
 欠け多い自分の力だったから、意の通りにならなかった事が多い。今思うと反省する事ばかり。しかし、職を退いて思うことは、今自分にできることは、牧師のために祈り、教会を支えてくれている信徒の人々の心に神様の愛が満たされ、喜びと平安が満たされるようにと祈ることである。
 今はただ、「み国がきますように、御心の天になるごとく、地にもならせ給え(主の祈り)」と、教会のために、世界に平和が来るように祈り続けたい。
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by minitayori | 2015-11-07 17:47