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礼拝に備えて 7月17日  ルカ10章25~37節

 7月17日 聖霊降臨後弟9主日 ルカによる福音書10章25~37節
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◆善いサマリア人
10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。・・・「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。 10:30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。:31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。:33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、:34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。:35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

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「礼拝に備えて」
 引退して上京し、しばらくは住宅公団の部屋を借りたが、神様のお導きか、救世軍のケアハウスでお世話になることになりました。40年近く教会の中の牧師館に住み、この間、いつ電話が来るか、と備えていたり、牧師館にいつ誰が来てもよいように、心の備えをしながら過ごして来ました。引退して、公団やケアハウスのような守られた所に来て、今まで私達がどんなに緊張して生きてきたかを感じました。
どの教会でも、食べ物が欲しいと訪ねてくる人、お金がないと借りに来る人がいました。 我が家の冷蔵庫には、残りご飯がおにぎりにされて、この時に備えて入っていました。本当にお金がなくて困っている人と、だましてお金をもらいに来る人とがいるようでしたが、その区別が難しいので、しばらく話してからいくらか渡して帰ってもらったりしていました。
 前科20犯と言う人や、今刑務所から出てきたという人もいましたが、むげにも追い払えないので、おにぎりやお金をいくらか渡して帰ってもらったこともありました。ある時交番のお巡りさんと親しくなってその話をして相談したところ、教会がそのような甘い事をするから、味をしめて他の所でもサギまがいのことをするようになる、と叱られてしまいました。
 私の心には、戦後の食糧難の時、買い出しに来た人達に、大家族のわずかな食料を裂いておにぎりにしたり、お芋を包んで渡していた母の姿が強く残っていたのです。母は困っている人を見捨てられなかったのですね。その後、洗礼を受けて今日の聖書を読むようになって、この日課のサマリヤ人の聖書のお話に感動し、母の姿と重ね合わせて理解していました。
 しかし、自分のすることが他の人々に迷惑になると教えられてからは、残り物のおにぎりに麦茶くらいにしたり、どうしてもお金がほしいと言ってくる人には、教会のお金は、会員の方々が一生懸命働いて捧げていただいた大切なお金であることを話して、教会の草取りを手伝ってもらって、時間給のようにしてお金を渡してきました。(もちろん私のポケットマネーです。)
 真面目に草取りをしてくれる人も多くいました。本当に困っているのだと思い、少しのお金に食事を添えて帰ってもらったこともありました。困っている人の隣人になるという事は決してたやすいことではありません。しかし、イエス様の教えに従って、少しでも、恥を忍んで助けを求めてくる人の心に寄り添えたらと、その時々に対処してきました。
 結果として、だまされたことも多くあったと思います。しかし、その中には本当に困っていた人もいたと思うのです。相手がどうであれ、目の前で助けを求めている人を見捨てないこと、それがイエス様に従うことであると思ってきました。サマリア人の愛には到底及ばないことはわかっていましたが・・・。

マザーテレサの言葉集より
 「最大の悪は、愛の足りないこと、神からくるような愛の足りないこと、すぐ近くに住んでいる近所の人が、搾取や、権力の腐敗や、貧しさや、病気におびやかされていても無関心でいること。」


by minitayori | 2016-07-16 16:45