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礼拝に備えて 2月5日 マタイ福音書5章13-16節


25日  マタイによる福音書5章13-16節

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◆地の塩、世の光

5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。:16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

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 「礼拝に備えて」


 この日曜日は多くの教会の総会の日だ。全国の教会で既に終わったか、この日曜日に総会が行われる。私は、教会の総会では、その教会の一年のスローガンとみ言を中心として、世に送り出された教会らしく宣教の業、神様に託された業に専心しようと訴えてきた。準備の段階で自分の中で良く一年を吟味し、その反省の上に立って次にどのような教会にしようか、教会を成長させようかと祈りつつ考えたものである。

 40年の牧会生活の中で、最初の頃が一番純粋に考えていたように思うが、一貫して変わらなかった事は、「隣人にキリストを」という年題を掲げて、外に向かって宣教の働きをしたことである。教会員と共に、子供の伝道集会を行い、百人ぐらい集まった事、講演会を行い、クリスマスを伝道集会と位置付け、毎年三千枚くらいのチラシを自分達の足で町に配った。、

 暑い日のビラ配り、寒い日のビラ配り、それはみな高校生時代に、私の田舎の教会で働いていた牧師のやり方だった。また聖書学院時代に、開拓伝道、天幕伝道をしてビラを配った経験が、身にしみついた伝道方法だったのかもしれない。私が最初に出会った牧師、宣教師は、教会は卸問屋ではなく小売店のようなもの、来てもらえる店にならなければ商売はできないとよく言われた。

 その頃、ある人がこんな話をしてくれた。「『儲ける』と言う漢字は、信+者と書くんだよ。あそこの教会に行ったら、私の魂の平安に必要なものがある、と信じてもらえれば、遠くからでも来てくれる。」この言葉は誠心誠意、自分が作るものに心をこめて向き合っていた父の職人魂、職人精神に通じるものだった。人に信頼されて商売は成り立つ。教会も同じように、人に信頼されて人が来る。失望すれば来なくなる。「地の塩、世の光となりなさい」と言うイエス様の教えは、「人の魂に必要とされる教会、信徒となりなさい!」という教えではないかと思う。 人々は今も、塩味を求め、光を求めている。LEDの冷たい光ではなく、雪国のカマクラの中で、暖かく人を包み込む優しい炎のような光を灯し続ける教会であり、私たちでありたいと思う。




by minitayori | 2017-02-04 17:26