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「みにたより293」

「みにたより293」

人間と言うものは勝手なもので、自分がかわいいので、何とかして自分をかばおうとしている。亡くなられた三浦綾子さんが、対談の中で次のようなことを言っていた。「自分は、リンゴの皮もむけないほど役立たずであるにもかかわらず、ただ小説を書いていると言うだけで、大事にしてくれる人がいる。しかし、自分の役に立ってくれる人はかわいいが、じゃまする人をかわいいと感謝する、という思いにはなかなかいかない。どうも自分勝手な自分を見る」と言う。

「たとえば、自分が大切にしている高価な器があったとする。自分が留守の時、誰かが壊してしまったら、ものすごい形相で怒るだろう。しかし、その大事にしている器をだれも見ていないところで自分自身が壊したとしたら、他人が壊したと同じような形相で怒るだろうか。『あ、しまった』と言って頭を軽くたたくかなでるかして、あたりを見渡して、そそくさと後かたづけをして、しらんかをしているのではないか。一番恐ろしいのは、『すべての尺度は自分である』と言うように、自分がしたことはたいしたことはないと過小評価し、他人のことになると不当に評価すること」といっていた。

自分が中心になって、自分かわいさのあまり、ゴムのような「伸縮自在の物差し」を心に持って、自分で勝手に伸ばしたり縮めたりして測って、人を裁いてしまうのだ。イエス様はそんなわたしたちの心を知っていらしたから、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と言われた。弟子たちはイエス様の憐れみの深さ、愛の広さを、なかなか理解できなかった。 また、ゴムひもの物差しでイエス様を測り、イエス様を十字架に追いやってしまったのが、ユダヤ人のパリサイ派の人々ではなかっただろうか。

 しかし、この自在の物差しを「赦しとして」神様がもたれたらどうだろう。その人にふさわしい赦しを与えてくださる神様の愛。老若男女、貧富、力の強弱に関わらず、神様の愛はその人に充分に注がれる。ありがたいことです。


 キリストは、すなわち神である

だからキリストの手は、 またわたしまで伸びてくる。

八木重吉

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by minitayori | 2017-03-04 21:42