3月19日 四旬節第3主日 福音書4章5~26節

3月19日 四旬節第3主日 福音書4章5~26節

e0191585_11131548.jpg4:5 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

4:7 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。

4:8 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。

4:9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。


4:13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

4:15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」

4:25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」 4:26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

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「礼拝に備えて」

 何年か前に、山手線に乗って渋谷に行った。車内で何気なく都留市の広告を見ていた。すると面白い広告の文字が目に入ってきた。それはひらがなで「であいであい」と書いてあるあけだった。スポンサーの名前が分からないままに、その意味を考えていた。「であいであい?」何だろうと思っていると、不思議なことに気がついた、「であいで、あい」」とも読めるのだ。

 その時渋谷について電車を降りる時に、この広告が「旅の出会い」を表現しているものとやっとわかった。しかし、自分が考えていた「出会いで、愛」と言うのもいいなとも思っていた。

 今日の日課で、イエス様はヤコブの井戸のところで、一人のサマリヤの女と出会っている。この女性は不幸を背負い、町の人々からつまはじきにされていた。通常は朝早くか、夕方涼しくなってから水を汲みに来るのにこの女性は日中、多分炎天下一人で水を汲みに来ている。人々と会いたくない、会えない事情があったのだろう。しかも聖書はサマリヤの女と記している。ユダヤ人から軽蔑されていた名前だった。

 その女性とイエス様は出会った。イスラエルにとっては歴史的に由緒あるヤコブの井戸のほとりで。イエス様はサマリアの女の人の境遇を瞬時に知り、声をかけられた。悲しみと孤独の中にいるこの女の人は、イエス様との出会いの中で、人を差別しないイエス様の愛、神様の愛をすぐに感じ取ったであろうと思われる。彼女は心の底からキリストと言われる救い主が来られることを信じ、出会いを願っていた。自らの悲しみと孤独の中でその願いは切実だったろう。イエス様は心貧しく、救い主との出会いを望む人に言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

今もあなたに語りかけておられる。苦しい時、孤独に感じる時、イエス様と「出会いで、愛。」あなたも経験してみませんか。


by minitayori | 2017-03-18 13:11 | Trackback | Comments(0)

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