「みにたより396」
「みにたより396」
河野進牧師の詩に「ぞうきん」と言う詩があります。
「ぞうきん」
困ったときに思い出され
用がすめば
すぐ忘れられる
ぞうきん
台所のすみに小さくなり
酬いを知らず
ぞうきんに
近頃やけにこの詩が頭をよぎります。自分がまだこの境地に至っていないことを思い、悲しくなることもあります。親しく語る人も少なくなり、手紙も電話もなくなり、それに代わって散歩の中で草花と語り合い、空の雲を見上げて、心慰められています。それでも、祈りの中で語り合えるイエス様を、身近に感じられる自分の幸せを思わされています。
そういえば昔、私が育った家には、何通りかのぞうきんがありました。それぞれに持ち場があって、仕事場の大切な台を拭くぞうきん、床を拭くぞうきん、玄関の窓ガラスを拭くぞうきん。みんな黙ってその場その場で用いられていました。どのぞうきんが貴いのではなく、用いる人と場所によって変わっていたのです。どれもぼろぼろになって絞れなくなるまで使ったものでした。当時はぞうきんでも貴重な布だったから。
今の自分に当てはめながら、「朝も昼も、与えられた場所で、喜んで仕えるぞうきんになろう。神様が必要としてくださるのだから」と思っています。
by minitayori | 2017-03-25 15:56