例は尾に備えて 4月9日 枝の主日 マタイ福音書21章1-11節

49日 枝の主日 マタイによる福音書211-11

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21:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。:3 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」:4 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。:5 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」

21:6 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、:7 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。:8 大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。:9 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」:10 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。:11 そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。

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「礼拝に備えて」

 聖書の個所を読むとき、その時々のイエス様のお心を考えることにしている。特に聖書のお話を手話に変えるようになって、言葉の変換ではなく、自分が感じ取った出来事の、心を伝えるというように心がけてきた。

 今週の聖書にもいろいろ気にかかることがある。一つは「子どものロバ」に乗って入城されたこと。弟子たちがその上に自分の上着をかけ、群衆が自分の上着を道に敷いて、イエス様はその上を歩いて行かれたこと。

 群衆が「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫んだこと。

 まず、こどものロバ、誰も乗ったことがないロバ。この言葉の裏には、神様へのお捧げものの儀式がある。イエス様はご自身を神様への捧げもの、人々の救いのために神様に捧げる犠牲として捧げられるために、誰も乗ったことのないロバに乗ってエルサレムに入られたのだ。

 それだけではなく、ロバの子は背が低くイエス様がまたがってエルサレムに入られ、群衆の中を歩かれると、群衆と同じ目線になったのではないかと思われる。馬に乗って上から見下ろす救い主ではなく、群衆と同じ目線に立たれる救い主として、今も私達の所に来てくださる。また、群衆の汗と涙の染みついた上着の上にまたがり、群衆の服を敷いた道を歩まれた。イエス様は、私達の汗と苦しみと涙と悲しみのただ中にいてくださるのだ。何と心強いことだろうか。

また、群衆は「ダビデの子ホサナ!」と、強力な王である救い主の到来を喜んでいた。しかし、イエス様はその群衆の心の中にある叫び、あと数時間で、イエス様を「十字架につけよ!」と叫ぶであろう人間の弱さを知っておられた。その群衆を見つめつつ、そのただ中を歩かれたのだ。弟子達もやがて、イエス様を「知らない!」と言い、イエス様を裏切ってしまう。弟子のひとりユダは、銀貨30枚でイエス様を敵の手に売ってしまった。イエス様は何と言う孤独の中におられたのだろうか。それでもイエス様は最後まで群衆を、あなたを愛し続けてくださった。今日の枝の主日(受難主日)、このことを深く覚えたい。


by minitayori | 2017-04-08 16:55 | Trackback | Comments(0)

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