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5月21日 礼拝に備えて ヨハネによる福音書14章14~21節

5月21日 復活後第5主日 ヨハネによる福音書14章14~21節

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14:15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。:16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。

14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。:19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。:20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」


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「礼拝に備えて」

 ある人が、人は別離に始まり、別離に終わる存在であると言った。知らぬうちに神からの別離を受け継ぎ、この世に生を受けるときには母からの別離があり、そして人生の間に何度も別離を繰り返して、最後にまた、愛する人との別離を経験しなければならない。こう考えてみると、人生というものが悲哀に満ちているように感じてしまう。

 しかし、人の一生の始まる以前に、人は罪によって神様との別離を経験している。しかし、神との別離は神と人ではなく、人の罪による一方的な別離であって、神様はその初めより、決して私達を見捨ててはいなかった。アダムが罪を犯し、神様の目から逃れようと木の陰に隠れた時も、神様は人に呼びかけられた。「あなたはどこにいるのか?」

 神様は人を見捨てず、いつも心にかけていてくださる方であることを、聖書は始めから伝えようとしている。あなたは神様から見捨てられてはいない。一人ぼっちではなくて、神様の愛する子として、その愛の中でいつも見守られている。だから、あなたはどんな時にも神様と二人ぼっちなのです。

 今弟子たちは最後の晩餐の席上で、イエス様の受難と召天によって、イエス様がいなくなることを教えられて不安の中にいた。その弟子達を励ますために、イエス様は「父は弁護者を送る」と約束してくださった。昔の訳では「助け主を送る」という言葉だった。それぞれに意味合いが違うような気がするが、今はそれにこだわることはやめよう。大切なことは、どんな時にも一緒にいてくださる、神様の愛のみ心があるという事だから。

 わたしが献身して牧師になることを父に話した時、父はわたしを勘当した。離別と孤独の戦いが始まった。しかし、振り返って、両親は離別ではなく、送り出したと思っていたのだ。話はしなかったが、繁忙期に家に帰ることを暗黙のもとに赦し、仕事を手伝い、帰るときには母を通して、交通費となにがしかの小遣いを持たせてくれた。

 封筒に入った両親の愛を握りしめて学校に帰った。孤独はあったが、自分を子どもとして見守ってくれる親の愛、兄弟の愛がいつも共にあることが支えであった。その愛が神様の愛と一緒になって、くじけそうになる私を支えてくれた。愛を持っていつも心にかけてくれる人が身近にいる人は幸いだと思う。あなたに、神様は助け主=愛の心をいつも変わらず注いでいてくださいます。安心なさい。


by minitayori | 2017-05-20 21:08