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礼拝に備えて 6月11日 三位一体主日 マタイによる福音書28章16~20節

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◆弟子たちを派遣する

28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。:17 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。

28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

「礼拝に備えて」

 この日曜日は、教会の暦では三位一体主日と呼ばれる大切な祝日です。イエス様が昇天される時に、弟子たちに「父と子と聖霊のみ名によって」、「派遣の命令」を与えました。私はこのみ言に出会った時、牧師としての働きの重さと、働きの壮大さ、広大さに気付かされました。教会、そして選ばれて遣わされた者は、このみ言葉が示される、世界に遣わされていると思ったからです。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 牧師の勤めに任命してくださったのは、天と地の一切の権能を託されているイエス様であると言う事。遣わされた者はイエス様のご命令どおりに「全ての民をイエス様の弟子とするように」との働きに召されている事。私はこのみ言に本当の意味で出合った時から、牧師は教会に来る人のために選ばれた者ではない、今教会の前を通り過ぎて行く人々のためにも遣わされているのだ、と思うようになりました。

 それだけでなく、教会に来られない人々がたくさんいる、いろいろな障害を持っている人々は、教会という壁の高さに、み言葉を聞きたくても阻まれている、音声中心の教会では、耳の不自由な人々は教会に来てもわからない、肢体に障害のある人は教会の階段の下でため息をついて帰ってゆく、ということに心が痛むようになりました。そして今このことは、自分が老境に至って、足腰が弱くなり、耳が遠くなり目が霞むようになって、大変強く感じるようになりました。

 もちろん全部の人々を一つの教会でカバーすることはできないにしても、地域の教会で分担することはできるのではないでしょうか。障害者伝道を40年やって来て、いろいろ気がついたこともあります。教会はイエス様の愛の権威によって、全ての人に神さまの愛のお心を伝えることが使命です。これは神様の願いです。そして私へ託された責任であると思っています。

 教会の礼拝での最後の祝禱を、このような派遣への願いを込めた言であることを覚えつつ聞きたいと思います。同時に、イエス様のお心から漏れる人は一人もいない、あなたも今「全ての民」の一人、イエス様の愛の眼差しの中にとどめていただいている者であることを覚えて、心に平安と喜びを持ってほしいと思います。


by minitayori | 2017-06-10 10:15