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礼拝に備えて 7月16日 マタイ福音書10章16-33節

礼拝に備えて 7月16日  マタイ福音書10章16-33節

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◆恐るべき者

10:26 「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。:27 わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。:28 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

10:29 二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。

10:30 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。

10:31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」:32 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。:33 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」 

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「礼拝に備えて」

 イエス様は弟子達を選び、宣教に送りだすにあたって、弟子たちの注意すべき事について話し、また励まされました。人を恐れることはなく、畏れるべきは神様である事。その神様は、「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。」と教えました。

 ここで使われているアサリオンという通貨は、当時最小の通貨であったと言われています。現代でいえば一円硬貨とも言えるでしょうか。二羽の雀が一アサリオンで売られている、その一羽と言うのは、お金では評価できないほどの小さな存在であるわけです。その小さな存在でさえ、父なる神様のみ心の中にあって、神様のお赦しがなければ地に落ちることはないと言われます。

私たち一人一人は自分がどんなに小さく思えても、神様にとってはかけがえのない「たった一人だけ」の存在なのです。何かができるから尊いのではなく、何もできなくても今生きている事、神様に命を与えられてる事、そのことが誰の目にではなく、神様の目に貴い存在なのです。引退をして、自分の事を考える時が多くなりました。神様のお役にたてるような自分ではなかったのに、神様は必要な時に必要な助け手を備えていてくださいました。

家族もそうだが、先輩の先生たちに支えられ、励まされてきました。こぼれ落ちそうな時もあったが、信徒の方のアドバイスや助けによって乗り切ってきました。時には自分のふがいなさに、涙を流したこともありました。しかし、そんな時に特に神様を身近に感じることができました。

弱さゆえに、足りなさゆえに神様にすがって生きることができた、とも言えます。

何も誇れるものはないが、神様を身近に感じ、支えられて生きてこれたことだけが自分の足跡として、神様を証していると思っています。

 一羽の雀さえ愛したもう神様のみ手の中で、弟子達も自分の小ささの中に、神様の大きな愛を感じて過ごして来たのではないでしょうか。その様な信仰者の仲間のはしくれに招かれていることを感謝しつつ生きていこうと思います。

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by minitayori | 2017-07-15 21:03