礼拝に備えて 7月30日 マタイ福音書11章25~30節

7月30日 聖霊降臨後第8主日 マタイ福音書11章25~30節

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◆わたしのもとに来なさい

11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。:26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。

11:27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。

11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

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「礼拝に備えて」

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」若いころ、≪文語体≫で暗記した大好きな聖句、人生の時々に励ましてくれたみ言です。

み言の中でいくつかの個所に心ひかれていますが、今日はその中の一つを取り上げてみたいと思います。「わたしのもとに来なさい」と言うみ言葉を聴くと、私は旧約聖書の創世記3章の、神様とアダムとの会話を思い出します。

禁断の木の実をとって食べた最初の人アダムは、その時から人間としての大切なものを失いました。隣人(エバ)を愛する心を失い、自分を恥じる心を持つようになり、さらに神様を恐れ、木の陰に隠れてしまいました。

エデンの園に連れて行ってくれた神様、大切な伴侶エバを造ってくださった神様。アダムは神様に似せて造られ、ご自分の愛する子として、神様に代わってこの世界を守る仕事を与えてくださいました。しかし、アダムは神様に背を向けてしまいました。このアダムに対する神様のお心は怒りではなく、悲しみに満ちていました。

 神様は、アダム(人)を愛しておられたから、木の陰に身を隠すアダムに、「あなたはどこにいるのか」、つまり「隠れていないでわたしのもとに出てきなさい」、と語りかけてくださったのです。神様の人、つまり私達人間に与えられた神様の愛のお心は、天地創造の時から今に至るまで、変わることのない愛のお心です。

 疲れた人、重荷を負って苦しんでいる人、悲しんでいる人、担いきれない寂しい心を持って生きている人達に、「今わたしのもとにいらっしゃい。わたしはあなたのすべてを知っている。安心してわたしのもとにいらっしゃい。わたしはあなたをわたしの子として迎えよう。全ての重荷と苦しみを持ってきなさい。そしてわたしの愛する息子として、共に生きようではないか!『私をもう一度、あなたの子供にしてください。』その心だけでいいのだよ」と言っていてくださいます。

 私は、多くの人に囲まれ愛されて、幸いな牧師生活40年を送ることができました。しかし、日曜日の夜には、自分の力に不相応な仕事が無事に終ってほっとすると同時に、やりきれない寂しさを感じ、誰もいない暗い礼拝堂で一人祈って過ごしたことも度々ありました。そんな時に心に語りかけてくださった神様のみ言は、若い時に覚えた聖書の言葉でした。それは、神様の語りかけ、神様の招きでした。「わたしのもとに来なさい。」このみ言に全てを委ねて、眠りにつくことが出来ました。

 あなたも神様の招きに応えて生きてみませんか。≪神共にいます≫、あなたの重荷を神様は知っておられます。その重荷を共に負っていてくださいます。 
 平安と喜びがあなたの心を満たしてくださるように祈ります。































by minitayori | 2017-07-29 20:42 | Trackback | Comments(0)

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