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「みにたより314」

「みにたより314」

 ある人が、「神様、私にもっと耐えやすい十字架を与えてください」と、数十年も繰り返し願い続けました。神様も哀れに思い、いろいろな種類の十字架が置いてある場所に連れて行き、自分の好きな十字架を選びなさいと言いました。そこには三メートルもある大きなものから、一メートル位のものもありました。探している内に、わずか5センチくらいの小さな十字架を見つけて、「神様、これをください」と、喜び勇んで頼みました。神様は、「よろしい、もって行きなさい。しかしこれからは文句を聞きたくないよ」と言って与えました。彼はありったけの感謝の言葉を神様に述べました。そこで神様は、「今あなたは初めて感謝をするのか。よくご覧。その十字架は今まであなたがずっと持っていた十字架じゃあないか」と。

このお話は神学生の時に、年に一回地方で天幕伝道をした時に、大先輩の先生がお話の中で引用された心に残ったお話です。この天幕伝道では、見知らぬ家にチラシを配りけんもほろろに追い返されたり、時にはお茶を飲む相手をさせられたり、様々な経験しました。伝道と言うものの大変さを、身にしみて感じた時期でした。現実の牧師生活に入ってから、楽しい事もありましたが、苦しい事も多く、自らの足りなさを感じて逃げ出したいと思ったことも何度かあります。私にはこの十字架は重すぎます、と神様に祈ったこともあります。しかし、今振り返って、神様のなさることは全てよし。自分一人では負いきれない重荷を、神様は共に荷ってくださって、時にはみ言で励まし、友人や、先輩の助けを通してこの働きを全うすることができるようにしてくださいました。人は、それぞれ置かれたところで、神様からいただいた重荷を荷って生きています。主婦であれ、社会人であれ、高齢者であれ、病気で入院している人であれ、みなその場所に置いてくださった神様のみ心と言う重荷を負って生きているのです。

私は、花を写しに度々散歩に出かけ、色々な花を見つけます。よく手入れされた家の花、荒れ果てた庭の花、道端で咲く花、床下で咲く花、どの花も置かれた場所で一生懸命咲いています。聖壇に飾られる花も、道端で咲く花も、みなその場所で一生懸命咲いている、それが神様に託された自分の務めだから。
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どんな状況下であれ一生懸命、神様のみ心の中でき、それが美しく咲き続ける秘訣なのですね。




by minitayori | 2017-07-29 21:06