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「みにたより317」

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  ユダヤ人精神科医ビクトール・E・フランクルは、自身の体験を記した著書「夜と霧(ドイツ強制収容所の体験記録)」の中に、次のような経験を紹介しています。収容所の中では、ほんの僅かなパンが配られるだけで、誰もが餓死寸前の状況下に置かれていました。

 ある日、一人の同じ囚人でもある労働監督が、そっとパンの一片をフランクルに与えました。そのことを、彼は、「私は彼がそのパンを、自分の朝食の僅かな配給の中から倹約して取っておいてくれたことを知っていた。涙が出るほど私を感動させたもの、生きる勇気を与えたものは、物質的なものとしての一片のパンではなく、彼が私に与えた人間的な眼差しであったことを思い出す」と記しています。

 パンを与えられた者は、この一片で餓死から免れるものではありません。また自分の分を与えた者も、その行為で相手を生きながらえさせるとは思っていないでしょう。パンによる実質的な効果は皆無に等しいと言えます。しかし、フランクルが熱い涙を流したのは、パンのやり取りを通しての、愛のやり取りではなかったでしょうか。死に至る苦しみの中にあっても、それを越えた愛が彼に生きる勇気を与えたのです。この話は、私たちの思いを越えた愛が存在する現実がある、ということを教えています。

 私が小学生の時、我が家は戦争で家・財産をすべて焼かれて、田舎に逃げて行きました。我が家の食事は、顔の映るような水だけのおかゆや、芋を小さく切った雑炊のようなものでした。小学生の時の弁当は、ふかしイモが二つと大根の漬物が二切れくらいでした。ある日の昼食の時、先生が見かねたのか、私を呼んで、白米の入った弁当箱から一口くらいのごはんとメザシを一匹を分けてくれました。涙を流しながら、かみしめながら食べたのを思い出しました。

私の母も人の良さでは天下一品で、買い出しに来る親子連れがいると、我が家の家族は9人もいるのに、おにぎりを作って渡していました。その分誰かが我慢していたのですが、誰も文句は言いませんでした。私も人に優しく、喜びを与える人になりたいと思ったものです。今では懐かしい思い出となって、私の心の中にあります。

 


by minitayori | 2017-08-26 22:09