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「みにたより319」


「みにたより319」


 今年は、私達の教会の大先輩、マルティン・ルターの宗教改革500周年を迎えて、様々な行事が計画されている。ルターは沢山の書物を残したが、大半は彼の講義の受講者によるノートから生まれたものだと言われる。最近になってたびたび耳にする言葉がある。

その言葉とは「マルティン・ルターはかつてこう言っています。『たとえ明日この世界が滅びることを知っていても、それにもかかわらず、私は自分のリンゴの木を植えるだろう』」というものである。

 この言葉は、将来に対する希望が消えつつあるように見えるときに、人々になお可能性があることを、希望があることを強調し、勇気を与えた。私はこの言葉を聴いたとき、すぐに神様のお心とイエス・キリストの出来事を思った。天地宇宙を創造された神は、イスラエルをはじめとして多くの人々に愛のみ手を差し伸べた。ある時には指導者を与え、また、神の聖なるご意志を語る預言者を立たしめた。

ある時には優しく、ある時には厳しく。にもかかわらず人間は、神のみ旨を痛めるような行為をたびたび繰り返してきた。それにもかかわらず、神は神の御子イエス・キリストをこの世に与えられた。ヨハネ3:16節に、「神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。み子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と記されている。

今私達は、かつてない危機に直面している。愚かな一人の独裁者のために、世界中が戦争の危機の中に置かれている。戦争の醜さ、怖さを知らない世代の増えた中で、その危険はいっそう増しつつあるような気がする。

 しかし、信仰者として今私が考えるべきことは、神は人間がどのような状況であったとしても、「罪深さにおぼれていても」人間を愛されたことである。神は人間がキリストにあって新たに生きる事を願って、リンゴの木ならぬ「福音」を人間に植えてくださったのだ。

 マザーテレサは、今自分が手を差し伸べている人が、どのような反応を示そうがお構いなく、キリストの愛を注いだ。明日をも知れぬ病める人に、それこそリンゴの木ーーキリストーー神の愛ーーを植えた。

 私たちの教会に託されていることはなんだろう。時が良くても悪くても、福音を述べ伝える、未来のためにリンゴの木を植えること、この社会の人々のキリストにある魂の救いを願い続けること、なのではないだろうか。神様の創られたこの地球を美しく保ちたい。
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 しかし、それでも人間の英知を集めて、戦争の愚かさを繰り返してはならないと切に願う。







by minitayori | 2017-09-08 22:33