礼拝に備えて 12月10日 待誕節第2主日 マルコ福音書1章1-8節

1210日 待誕節第2主日 マルコによる福音書11-8

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1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。

1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

1:6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。

1:7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

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「礼拝に備えて」

 洗礼者ヨハネを思う時、いつも自らも謙遜でなければならないと思ったものだ。ヨハネはイエス様の従兄弟であり、イエス様も認める偉大な預言者であり、救い主の到来かと思われるほどに民衆の心をつかんでいた方だった。そのヨハネが「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」とイエス様について紹介している。


 私に洗礼を授けてくださった宣教師は、つたない日本語でイエス様のことを一生懸命伝えてくれた。当時高校生であった私達何人かの出席者は、礼拝後、よく一緒に集まって、理解しがたかった日本語のお話について話し合い、宣教師の態度、表情全体から迫ってくるイエス様の愛とお姿について話し合い、説教と聖書と説教者からイエス様に出会う事の大切さを学んできた。


 自分が牧師になって、よい説教はできなくても、会衆や教会堂や交わりの中にいるイエス様がこの人に出会ってくれるようにと願った。牧師は教会とその群れをゆだねられているが、全ての主であり羊飼いはイエス様であり、集う一人一人が教会のすべてを通してイエス様に出会えるように、と祈りつつ日々を過ごしてきた。 洗礼者ヨハネも、自らの務めを正しく理解し、先駆者であり続け、自らは一預言者のままで、ヘロデ王の愚かさのゆえに、首を切られて死んだ。それが彼に与えられた使命だった。かなしい生涯であってっも、神のみ心に沿って歩みなら、それは幸いな道。与えられた日々を、み旨に沿って生き、感謝で終わりたいものです。

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by minitayori | 2017-12-09 22:29 | Trackback | Comments(0)

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