桜並木のトンネル道路

光が丘公園の桜並木
桜のトンネルのように見える。この道はどこに続いているのだろうか。
明るい未来へ続いていてくれるといいなーと思った。

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by minitayori | 2017-04-15 17:58 | Trackback | Comments(0)

「みにたより299」

「みにたより299」

 先日、車で通過して見てきた、近くの公園(光が丘)の桜を、ゆっくり見たいと思って出かけた。歩いていける距離だが、弱くなった足腰の痛みを考え、バスで出かけた。

 バスは満員であったが、目の前のいすに座っていたご婦人が、杖をついてよろよろしながら立っている姿を見かねたのか、席を譲ってくれた。結構ですとお断りしようと思ったが、転んでからでは遅いと思ってご好意に甘えた。このバスは地域循環の公共バスで、小形のバスなので、小さなカーブでも立っていると危ない。申し訳ないと思った。この人も並んでやっと座っただろうに・・・。次のバス停で隣が空いたので、その人は笑顔を私に向けて席に着いた。私はありがとう!と小声で言って目的地に行った。

桜もきれいだった。もう散り始めてはいたが、新緑の葉がまばらに見えて、それもまた美しかった。青空もきれいだった。私の心も晴天だった。足と眼が弱くなったので、外に出るのが怖くなってきている。これではいけないと思うので、あまり人のいない所を選んで散歩して、足腰を強めていきたいと思っている。生きている限り、神様からどのような働きを示されるかわからないので、何とかお答えできるように、日々鍛錬して備えていたいと思っています。

アパートの裏庭にツツジが咲き始めた。寒い間は花が少なかったので寂しかったが、チューリップやサツキ、芝桜が一斉に咲き始めて、華やかになってきた。春を飛び越して夏が来そうな予報だが、折角の春の花、ゆっくりと咲かせてあげたい。また楽しみたいですね。e0191585_17372721.gif



by minitayori | 2017-04-15 17:39 | Trackback | Comments(0)

キリエ 復活の朝

復活の朝
天使たちが

「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

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by minitayori | 2017-04-15 17:32 | Trackback | Comments(0)

4月16日 復活祭 ヨハネ福音書 20章1-18「復活の朝」


4月16日 復活祭 ヨハネ福音書 20章1-18

e0191585_16025858.jpg20:1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。:2 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

20:6 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。:7 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。:8 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。:9 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。 20:10 それから、この弟子たちは家に帰って行った。

20:11 マリアは墓の外に立って泣いていた。おられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。:15 イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」:16 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。:17 イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」

20:18 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。


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「礼拝に備えて」


 イエス様の復活の出来事は、私たち人間の理解を超えた出来事です。聖書はそのことを弟子たちの様子を通して正直に書いています。今日の日課の出来事の中で気になるところがあります。それは復活の最初の証人に選ばれたのがマグダラのマリアであったことです。

当時、女と子供の証言は裁判では採用されませんでした。それくらい低い地位にあるものと考えられていた人を、イエス様は大切な復活の証言者として選ばれたのです。実際、マリアの復活の証言を聞いた弟子たちは、信じようとはしませんでした。弟子たちはイエス様の姿が墓の中にないことは見て、「いない」ことは信じました。しかし、イエス様が約束された「復活」については、理解できなかったのです。理解しがたい事柄であったからです。

しかし、マリアは違いました。復活は彼女の理解を超えることでしたが、イエス様を愛し、「イエス様のご遺体を自分で引き取りたい」と願い出ます。イエス様への愛と信頼、涙を持って、彼女は自分のできることをしたいと願いました。その心の中で、復活の主に出会うことができたのです。

イエス様の復活は神様の業です。人間の小さな理解の中にとどまるものではありません。イエス様が、私たちのためになしてくださった全てのことの中に、感謝と共に身を置いたときに、初めて受け止めることができるものです。十字架は私のため、イエス様の死も復活も、それは私たちへの神様からの愛のプレゼントなのです。理解ではなく、感謝を持って受け、神様に愛されていることを喜んで日々をすごしましょう。

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by minitayori | 2017-04-15 17:23 | Trackback | Comments(0)

キリエによる受難

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〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕
  ルカ福音書23:34



  イエスは大声で叫ばれた。

「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。ルカ福音書23:46


by minitayori | 2017-04-15 17:05 | Trackback | Comments(0)