7月30日の池袋教会の聖壇

7月30日の池袋教会の聖壇
雄大なお花が飾られていて、山の上から見た秋の阿蘇の
風景を思い出しました。花はいける人の信仰告白であると
思います。昔牧会していた教会でご奉仕して下さったご婦人
に繰り返し聞かされました。私はは祈りつつ花をいけます。
礼拝が祝福されたものとなりますようにと!感謝!

e0191585_20200111.jpg

by minitayori | 2017-08-05 22:04 | Trackback | Comments(0)

「みにたより315」

「みにたより315」

 また九州地方に台風の被害が出そうです。大雨と洪水被害に続いての災害で、耐えきれないほどにお疲れのことと思い、心が痛みます。出来ればボランティアに行きたいねと話はするのですが、結局は、迷惑をかけるだけで役に立たないね・・・。申し訳なく思うばかりです。

 東京は天候不順とはいえ、局地的には雨が降っても、とりあえず平穏に過ごしています。申し訳ない気持ちになります。

以前、ルーテル教会宣教百年記念大会の後、ろう者の人々と長崎のハウステンボスに行きました。私は熊本在住のろう者の友人の、墓前礼拝を頼まれていたので、それを終えて一人でハウステンボス行きの最終電車に乗りました。台風のためこれが最後の列車です、というアナウンスを聴きながら、風の吹きすさぶ中を、目的地に着き、何も見ることができないままに、宿に入りました。

その夜、ちょうど長崎に台風が上陸したと言うので、ものすごい暴風雨。家はきしみ、窓は膨らんで今にも壊れそう。私は風の音に眠られず、きしむ窓を抑えたりして夜を過ごしました。次の日の朝、ハウステンボスの中の木は倒れ、あちこちの屋根瓦が飛んでいました。交通網は寸断され、電車もバスも不通、途方に暮れていると、同伴してくださった方が旅慣れた方で手配してくださり、レンタカーの中型バスを貸りて、博多まで行くことが出来ました。新幹線も満席でしたが、何とか東京まで帰りつくことが出来ました。

大変な思い出ですが、振り返ると、大変だったことが忘れ去られて、思いがけない出来事が懐かしく感じます。でも、もう一度経験したいとは思いませんが・・・。繰り返される自然災害の中にいる人々に神様が寄り添い、助けて下さるように祈ります。

by minitayori | 2017-08-05 21:55 | Trackback | Comments(0)

ムクゲ

ムクゲ
日曜日、暑さの中疲れて帰ってきた私たちを、お向かいの家の
庭のムクゲが「おかえりなさい!」というように満開の花びら
で迎えてくれた。疲れているとき、さみしく思う時、不思議に
花が目につく。小さな声が聞こえてくる。
「頑張って今日も楽しく咲いていよう!」と

e0191585_20113680.jpg

by minitayori | 2017-08-05 20:18 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 8月6日 平和の主日 ヨハネ福音書15章9―12節

8月6日 平和の主日 ヨハネ福音書15章9―12節

e0191585_19574293.gif


15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

e0191585_19582131.jpg
「礼拝に備えて」

 平和であることの幸いが、忘れ去られてきたような気がします。しかし、今こそ本当の平和を求めなければならない時と思われる昨今です。世界のだれもが平和を願っていると思うのに、平和運動をしながら、それぞれ主義主張があって、平和を願う人々の中で争いがあることも不思議なことです。

 人はだれもが、自分の主義主張が一番正しいと思っています。自分の考えや方法だけが一番正しいと思ってしまうのです。その自己中心の心が、対立や争いを作って行くのでしょうね。それは友人関係にも、家族関係の中にも起こる事柄です。悲しい事ですが。

 イエス様は、弟子達を送り出すにあたって、イエス様のお心を、弟子たちに繰り返し教えておられます。イエス様は「あなた方に平和を与えよう。それは父なる神様とイエス様との間にある平和である。」と言われました。それは「愛と信頼に基づく平和」でした。イエス様が弟子たちに伝えたもの、委ねた平和とは、この神様への信仰と信頼に基づく平和であったのです。 

 最後の任地である熊本に着任して、最初の12月24日のの朝、教会の大切な婦人会のメンバーが急死されました。心筋梗塞でした。前日の夕方までクリスマスの準備をしてくださり、また明日ね!と帰られたのが最後の会話でした。その方はクリスマスに孫にあげるキルトの靴下を、孫の数だけ完成していました。毎年の恒例のプレゼントだったそうです。しかし、その年は手渡すことが出来ませんでした。深夜に容体が急変して、そのまま召されてしまいました。私は早朝呼ばれて病院に行ってご遺体にお目にかかり、臨終の祈りをして教会に帰り、熊本での初めてのクリスマスの準備です。25日クリスマスの飾りつけの中で葬儀が行われました。その方はお孫さんに、クリスマスの靴下をなぜ毎年贈っていたのでしょうか。ある説では、靴下は人の身につける物で一番汚れているもの、その様なもの(イエス様)を用いてクリスマスの恵みは届けられる、と説明されていました。 その方の、お孫さんたちへの願いがこもっていたのではないかと思いました。

イエス様のように「愛を伝えるために仕える人になりなさい。」「隣人を愛して仕える人になりなさい。」「愛を持って隣人との間に平和を作る者となりなさい。」そのご婦人の願いは、ご家族やお孫さん達に立派に受け継がれています。弟子達、私達もイエス様のお心を担って、愛によって平和を作りだす者でありたいと思います。
e0191585_20022440.gif


「愛を行いと思うなら、まず家庭に帰りなさい。あなたを待っている身近な家族から始めるのです。」マザー・テレサ


by minitayori | 2017-08-05 20:10 | Trackback | Comments(0)