紅葉

紅葉
住宅の中の公園に紅葉がやってきた。紅葉は秋を感じさせ冬への
心構えを新たにします。明日の日曜日は真冬並みの寒さとか

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# by minitayori | 2017-11-18 18:14 | Trackback | Comments(0)

「みにたより328」

「みにたより328」
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 先週は児童祝福礼拝でお話をした。説教題に立つのは2年ぶりぐらいになるかもしれない。児童は少なく3名だったが、百歳までの非常に広範囲の年齢層でのお話。幸いにも今目が悪くなっていて説教台壇からだと、最前列にいた二人の少年しか見えない。

 この子供たちの目が輝くようなお話が出来ればと思って、目を見つめながらお話をしましたた。今語るべきことが伝えられたかな?正直無我夢中でした。久しぶりに、神学校の時の指導教授のお言葉を思い出した。説教壇に立ったら、この20分だけが最後の命と思って、神様のお心をお話しすること、と言われた。

厳しいお言葉だが、自分にとってだけではなく、礼拝に初めて来た人、会員の人にもこの時間は最後の礼拝になるかもしれないし、教会に接する最初の最後になるかもしれない、と思うとおろそかにはできない。

 でも、全身全霊を持ってみ言を伝えると言う事は、体力がないと出来ないことです。毎週説教する牧師先生の努力と疲れを思い、改めて感謝したいと思った。


# by minitayori | 2017-11-18 18:10 | Trackback | Comments(0)

山茶花の蕾

山茶花の蕾
すぐ散ってしまうサザンカだが、次に咲く花が待っていた。
頼もしいですね、元気なつぼみがあるのは。

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# by minitayori | 2017-11-18 18:05 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月19日 聖霊降臨後24主日 マタイ福音書25章1-13節

11月19日 礼拝に備えて 聖霊降臨後24主日 マタイ福音書251-13

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25:1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。 25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。:3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。:4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。:5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 25:6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。

25:7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。25:8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』 25:9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』 25:10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。 25:11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。:12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。25:13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
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「礼拝に備えて」

 私達の信仰は、一度持てばよいというものではなく、主の来臨の日まで常に新たにし、持ち続けなければならないものです。今日の日課の愚かな5人の娘は、自分の決めた予定の分だけの油で花婿を迎えようとしていました。花婿が遅れてきました。花婿が遅れたのはいいわけにはならない。花婿が主役ですから花婿の到着に合わせて、自分の勤めである火をともして迎えなければならなかったのです。


 愚かな5人のおとめは自分の考えの中で油を持って花婿を迎えようとして、自分の務めを果たすことが出来ずに、婚宴の席に連なることができませんでした。いつも神様のみ心を考え、神様に従う心を失わないように。またたえずイエス様に聞いてイエス様のみ心を行う者でなければならないんのです。

 その御心とは、互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように。」と言う事でした。それがキリスト者の備えるべき来るべき日に備えての油なのです。

 先週、教会に行くときにパスモで改札を通りました。しかし、降りようとしたら、赤い表示が出て改札口の扉が開きません。23度繰り返していましたが、駅員におかしいと尋ねました。「料金が不足しています。」パスモにチャージしてください、と言われて、しばらくチャージしていなくてカードが空になっているのに気付きました。

 後ろには23人の若者がいてにこにこしていました。しょうがないなー!と言うような顔でした。未だに最近の便利なものになれていない自分にはずかしくなりました。毎回改札を入る時に、残りの金額が出るからそれを見て少なくなったらチャージしないとね、と娘に教えられました。でも、私には通過する時にさっと残金額を読み取ることは難しい。いつも心がけて絶やさないようにチャージしておくことですね。信仰も。
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# by minitayori | 2017-11-18 18:01 | Trackback | Comments(0)

バラ

バラ
アパートの柵からはみ出すように、大きなバラが咲いていた。
道行く人にほほ笑みかけるように!

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# by minitayori | 2017-11-18 17:51 | Trackback | Comments(0)

11月5日の池袋教会の聖壇の花

11月5日の池袋教会の聖壇の花
全聖徒の主日、召天された方を覚えての礼拝が行われました。
復活の象徴である百合の花が目立っていました。

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# by minitayori | 2017-11-11 21:04 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ327」

「ミニタヨリ327」

 私の寝室の頭の所に、来年のカレンダーが飾られている。このカレンダーは星野富弘さんの詩画によるカレンダーで、毎年熊本の友人が送って下さるものです。もう来年の一ページめの画面がでているので紹介しよう。

   自分の背中

 自分の顔が いつも見えていたら

 悪い事なんか 出来ないだろう

 自分の背中が いつも見えていたら

侘びしくて 涙が出てしまうだろう

 あなたは私の顔をいつも見ている

 私の背中をいつも見ている。

 この詩には星野さんが筆を口にくわえながら描かれた花が描かれている。先にご紹介した「ホトトギス」の絵でした。今日偶然アパートの周りを散歩していたら、「ホトトギス」の花が咲いていた。少し盛りが過ぎてしまっていたが、カメラを持って写して来ました。「ホトトギス」なんとなく遠き昔のロマンを感じさせる花の名前ですね。

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 最近身近に花を見る機会が多くなりました。バラや菊の花などが見られます。寒さの中で花と出会うと、なんとなくほっとします。ここにも神様に守られて、命の花を咲かしている。神様のみ守りを感じるのです。

 天候不順さに負けないで、神様に守られて、自分の与えられた勤めを立派に果たしている花に、神様のお守りとお支えの恵みを感いました。

# by minitayori | 2017-11-11 20:58 | Trackback | Comments(0)

ホトトギス

ホトトギス
この近辺にはホトギスの花が2,3か所で咲いている。
私はケアハウスで初めて見たが優雅な名前で好きです。

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# by minitayori | 2017-11-11 20:51 | Trackback | Comments(0)

11月12日 神の愛に生きる マイ福音書22章34-40節

 1112日 神の愛に生きる マイ福音書2234-40

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◆最も重要な掟

22:34 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。22:35 そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。

22:36 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」

22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

22:38 これが最も重要な第一の掟である。22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

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「礼拝説教」

聖書の中には神様のお心が示されています。いろいろなお話が書いてあります。難しいお話もあります。けれども、内容は一つです。私が牧師になった初めの頃、ある先生を教会に招いてお話をしていただきました。その先生は、聖書の中はどこを開いても、神様の愛が書かれている、と言われました。聖書の最初には天地創造の後、最初の人間が、神様がしてはいけないと注意された事「エデンの園の中央にある善悪を知る木の実は食べてはいけない。」と言う命令を破って、おいしそうだと思ってとって食べてしまいました。その後すぐに、アダムさん達は神様を恐ろしく思うようになって、木の陰に隠れました。でも、神様はその様な心を持ってしまったアダムを心配して、「アダム、どこにいるの、私の前に出ておいで!」といわれました。悪い事をした人間ですが、神様は怒ることなく、心配して、どこにいるの?私の前に出ていらっしゃい!と呼びかけていてくださったのです。

 当時、神様に仕える人達は、神様は正しい方で、罪を憎まれる方、だから、正しい行いをして神様に喜ばれる人間にならなければならない、と教えていました。律法学者はイエス様を陥れようとしてこのような質問をしました。イエス様は問いに応えて言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

これが最も重要な第一の掟である、と。

イエス様のお考えは、神様がまず最初に人々を愛され、助けました。罪を犯した私達を見捨てない。「わたしはあなたの神、主である。」神様があなたの神、となって下さる方ですよ。だからこの神様に従い、その愛の中で生きなさいね。と教えられたのです。

さて次にイエス様は、新しイエス様の教えを与えられました。それは『隣人を自分のように愛しなさい。』とう事です。何故てしょう。

ガリラヤ湖と塩の海の話。

  イエス様の住んでいた国にはヨルダン川がありました。その上流の方にはガリラヤ湖がありました。そこには魚が沢山住んでいて、周りで生活をしている人々を助けていました。

そのヨルダン川の下流にもう一つの湖がありました。そこは死んだ海、または塩の海と呼ばれていました。二つの湖の違いはなんでしょうか。同じ川につないでいるのにどうして違ってしまったのでしょうか。

ガリラヤ湖は山から水を貰いますが、その水を下流に流します。だから水はいつも新鮮で、魚が住んで、人々を助けています。しかし、死の海は同じ水を貰いますが、その先は砂漠で水を流せません。太陽の強い光で水分は蒸発してしまいます。海よりもずっと低いために塩分が多くなり、魚が住めないのです。受けるばかりで与えることが少ない人の心も同じです。人の愛も神様からいただきますが、使わないと腐ってきます。そして傲慢な心、自己中心の人間のにおいが出てきます。イエス様は、神様に心を向け、神様の愛をいただいて、ありがとうという感謝の思いを持ちながら、人を愛する人になる、その様な生き方をするように私達に、いや教会にも望んでおられるのです。


# by minitayori | 2017-11-11 20:44 | Trackback | Comments(0)

増えた裏庭のバラ

裏庭のバラ
一輪だけ咲いていた裏庭のバラ。今日は友を与えられて二輪の
バラになっていた。これからも友達が増えるといいね。

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# by minitayori | 2017-11-11 20:34 | Trackback | Comments(0)

10月29日の聖壇の花

10月29日の聖壇の花
この日の聖壇の色は赤、牧師のストールも赤、お花は赤いバラと
赤のカーネーションを組み合わせて活けられていた。赤は教会の
特別の記念の日の色、この日は宗教改革の記念の日曜。

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# by minitayori | 2017-11-04 17:57 | Trackback | Comments(0)

「みにたより326」

「みにたより326」

秋風と共にインフルエンザが流行しそうです。我が家でも幼児がいるので、早々と予防注射を打ちに行った。今年は予防接種用のワクチンの入荷が少ないとかで、その日に申し込んで注射して参りました、幼児の孫は保育園で早速軽い風邪を貰ってきました。目の前でクシャンとまともにくしゃみを浴びるが、インフルエンザではないようでよかったと胸をなぜおろしています。一緒に添い寝していた家内は移ったようだが。

それにしても我が家の近くの川越街道の風の強い事。台風前後の時など向かい風になると前に進まない。追い風になると突き飛ばされたようになってしまう。ベビーカーに乗せて帰宅しようとしていたお母さんが、飛ばされそうになっていた。

少子化対策、働き人改革主婦の方の力が用いようとされているが、保育園不足は切実な問題だと痛感した。娘も20箇所以上の保育園を見て回り断られて途方に暮れている時に、幸いにも無認可保育園で一人空きがあって受け入れてくれ、働き開始に間に合った。

本当にいろいろな問題があるものです。現役で遠方にいる時の長女の子供が生まれた時、途方に暮れたが、結局は一人で頑張った、とか。今改めてその苦労話を聞かされて、申し訳なかったと思っている。

こんな時にふと口づさむ歌がある。

♪いろんなことありましたよ。イエス様信じた後も。

だけど僕の心の中に、喜びがある。

悲しい事もありましたよ。苦しみ悩んだことも。

だけど、僕の心の中に、神様への感謝がある。

君もお出でよ、イエス様のもとへ。

そのままでいいんだよ。新しい人生だから。

*この作詞作曲は、湖浜先生と言う単立の牧師が作られた。不思議なご縁があってよく知っている先生だ。アバコで手話の講習会をしている時に初級のクラスに参加してくださったのだ。聖書の言葉の手話の解説をしているのを一生懸命聞いていてくださった。
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後で牧師と知り、数冊の信仰雑誌も出しておられると聞いた。平易な文章の本だったので、上級の通訳のクラスでテキストとして用い、手話に変換できない言葉については、先生の教えを受けた。懐かしい思い出です。


# by minitayori | 2017-11-04 17:52 | Trackback | Comments(0)

友呼ぶバラ

友呼ぶバラ
先週裏庭の薔薇の木の上に一輪だけ咲いていたバラ。
友を呼んだのか今日は二輪になっていた。
一人より友といるほうが楽しいものね。

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# by minitayori | 2017-11-04 17:44 | Trackback | Comments(0)

11月5日 全聖徒の主日 ヨハネによる福音書15章1-17節

115日 全聖徒の主日 ヨハネによる福音書151-17

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◆イエスはまことのぶどうの木

15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

*中略(聖書を読んでください)

わたしあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

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「礼拝に備えて」

 ぶどうの実がたわわに実る季節になりました。店頭に並ぶ葡萄の房も少し安くなり、口に入るるようになりました。昔東京にいた時に、娘達を連れて勝沼のブドウ園でぶどう狩りをしたことがあります。ブドウ園に入ると、ぶどうの枝が縦横に伸びて、それを支えるために支えの棒があちこちに立っていました。

 ブドウ園が持ち主によって愛され、丹精込めて育てられていることが分かりました。またこのぶどうの木は、接ぎ木されながら大きくなり、より甘く大きな実がなるように育てられている事を知りました。そのことを思うとひと房ひと房が農家の方の真心を込めた賜物に思えました。

 こんな様子を知っておられたイエス様は、弟子達に最後の説教の中でぶどうの枝のように、神様につながって生きていなさいと教えられたのです。それだけでなく、良い木に結ばれたぶどうの実が甘くおいしかったように

良い木に接ぎ木されたぶどうの枝は、園丁の心を受けてその木にふさわしい実をを結ばなければならないと教えられているのです。またその様に生きる者のだけが、神様の国の一員となる事が出来るのです。 日曜日、教会では聖餐式が行われます。聖壇を囲んで天上に召された者、そして今地上に住む私達が、神様の家族として一つになることを信じ受け止める時でもあるのです。心して礼拝に参加したいものです。
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心して=心に覚えて、それはイエス様の私達への願い、人々を差別なく愛すると言うお心を持ち、行う者となって生きると言う事です。あなたは「イエス様の友です。」そうイエス様は言ってくださいましたから。



# by minitayori | 2017-11-04 17:40 | Trackback | Comments(0)

サザンカの花

サザンカの花
寒くなってサザンカの季節がやってきました。待っていましたと
言うように、一斉に咲きが占めました。純白のサザンカ。
つぼみにはベビー服のようにピンクの色がついていました。

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# by minitayori | 2017-11-04 17:31 | Trackback | Comments(0)

高く伸びた先の一輪のバラ

高い所に咲いていたバラ
下ばかり花を探していましたが、高く伸びた
バラの木のさらに上のところにこのバラは咲いていた。
眼をあげて御覧、そこにも一生懸命咲いている花がある

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# by minitayori | 2017-10-28 21:53 | Trackback | Comments(0)

「みにたより325」

「みにたより325」

先週は無断でお休みしてしまいました。心配してくださった方々に感謝します。日曜日の前後にいろいろありまして、思考が停止してしまい、とてもミニタヨリを書く気力がありませんでした。

人生いろいろありますね。でもその驚きに向かう勇気が、自分の中にまだまだ備わっていない信仰の弱さを痛感しました。先週の土曜日は、私の心友(親友)のコンサートに参加しました。この友は10数年も重い病と闘い、繰り返し手術をしつつ、不死鳥のように甦ってコンサートを続けてきました。今回はデビユー50周年の記念コンサート。その矢先に病が再発、点滴を打ちながら懸命に歌われる姿は、満員の観客の心を打つ素晴らしいコンサートになりました。

私は涙し、祈りながら聴いていました。与えられた才能を、限界のなかで見事に咲かせた大輪の花のようでした。「全ての時に神様は働いて、万事を益としてくださる。」このパウロの書いた聖書の言葉は、今年一年、私どもの家庭では、信じ、委ね、全てを受け止めようと祈り続けた祈りでもありました。

いくつになっても、無力になっても、私たちは命を与えられている限り、神様が必要としてくださっているのです。その立場、状況でしかできないことがあるのです。置かれたところで、置かれた状況の中で精一杯生きること、そのような私たちの生き方を、神様は神様のご栄光のために用いていてくださるのですから。e0191585_17510499.gif

今週も一日感謝の心で、笑顔で過ごしましょう。



# by minitayori | 2017-10-28 21:47 | Trackback | Comments(0)

バラ一輪

バラ一輪
花もなくなりさみしくなって裏庭にバラの花が咲いた。
♪さみしかった僕の庭に花が咲いた。♪

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# by minitayori | 2017-10-28 21:44 | Trackback | Comments(0)

10月29日 聖霊降臨後第21主日 マタイ福音書22章1-14節

1029日 聖霊降臨後第21主日 マタイ福音書221-14

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◆「婚宴」のたとえ

22:1 イエスは、また、たとえを用いて語られた。 22:2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。

22:3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。

22:4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』:5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、:6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。:7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。

22:8 そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。:9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 22:10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。 22:11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。:12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

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「礼拝に備えて」

 聖書の中には現代の私達には理解できない出来事がよく書かれています。逆に、その時代の風習を知ると、非常に深い意味が理解できることがあります。今日の日課の例もその中の一つです。

王子の結婚式に招いた客が少なかったので、この父の王は「僕に、町の大通りに行って、誰でもいいからいっぱいになるまで連れてくるよう、」に命じました。僕はそのようにして、部屋にいっぱいになるように人を集めました。婚宴が始まって、王が入ってくると、婚礼の礼服を着ていなかった一人の人を見つけて、「なぜ婚礼の礼服を着ていないのか?」と叱責し、家の外に放り出した、と言うのです。

私も、アメリカだったと思いますが、宣教師に連れて行ってもらった時に、突然結婚式に出ようと言われて、びっくりしたことがあります。旅の途中だし、当時は貧しく、安物のみすぼらしいものしか着ていなかった私だから、失礼にあたると思ったのです。

しかし、その宣教師は構わないからと言って、強引に連れていかれました。どうも、小さな村では当たり前の風習だったようなのです。日本では考えられないことだと思いました。それにしても、ここの聖書のお話はひどいと思います。大通りを歩いている人を突然、結婚式場に引っ張って来て・・礼服もあったものではないはずなのに、王は怒って「この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。」とは何事かと思うでしょう。しかし、当時の裕福な家の婚礼などでは、式場の入り口で礼服を与えていたようなのです。その与えられた礼服を着ていなかったから王は怒ったのでしょう。

神様の国の祝いの宴は、すべての人に平等に与えられています。しかも、その宴に出るのにふさわしい礼服を、神様はイエス様の十字架の犠牲により買い取り、招かれた人すべてに着るようにと無料で差し出されます。その時に、神様が準備してくださる「信仰」と言う礼服を着ていなさい、と言う警告をイエス様は教えられているのです。あなたのためにも、神様の国に入る礼服は用意されています。
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喜んで信仰と言う礼服を身にまとって、神様の婚宴の宴に参加しましょう。






# by minitayori | 2017-10-28 21:41 | Trackback | Comments(0)

10月8日の聖壇の花

10月8日の聖壇の花
菊の一種でピンポンマムという新種の花でささげられていた。
新しい花で私の図鑑にはない花でした。きれい!

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# by minitayori | 2017-10-14 17:59 | Trackback | Comments(0)

「みにたより324」

「みにたより324」

病気と言う字は、病と気との言葉で出来ていますね。病を持っていてもその日を輝いて生きることが出来ますし、その生き方が人に感動を与え、他の人にも自分に喜びを与えます。

私は最近、身体の衰えや記憶力の衰えに負けそうな時があります。私がその様な状態に陥ると、必ず電話をくださり、励ましくださる方がいます。本当の心の友と言うのでしょうか。

その方は次々に大病を患いながらも、奇跡的に人に感動を与える大きな働きをして居られます。まさに私とは反対に、心が神様に満たされ委ねて、輝いて生きておられると、いつも自らを恥じています。

病にはかかっても、心を強く持って病気にはなるなと、よく病院訪問の時に励ましの言葉としてお話してきました。今その言葉を自分自身に語りながら、生きています。私は引退して、カメラを持って散歩に出るようにしました。野の草、道端の花を見ていると、いろいろなことを教えられます。

誰も見ていなくても、自分の置かれた場所で一生懸命咲いている小さな花。誰もかえり見てくれない様な花に、もっと人目につく様な所に咲いていたら、と見ていると、花が「ここは神様が置いてくださった所、ここで一生懸命咲きます。」と語っている声が聞こえたようでハッとしました。

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どんな状態であれ、そこが神様のみ心によって与えられた所、大切なことは置かれた場所で感謝しながら、「今」を自分の出来ることを精一杯しながら生きることだ、と何度も学ばされました。


 


# by minitayori | 2017-10-14 17:53 | Trackback | Comments(0)

シンフォルカルポス

シンフォルカルポス
珍しい花、お花の担当の方が花屋さんに着ておいてくれた。
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# by minitayori | 2017-10-14 17:47 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 10月18日 マタイ福音書20章1-16節

1018日 聖霊降臨後19主日 マタイによる福音書201-16

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20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。

20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

20:8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。

20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。

20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。

20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

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「礼拝に備えて」

人生の中で、神様に不満を言いたい時がなかったでしょうか。こんなに神様に仕えてきたのに、今の不幸は一体どうしたことだろうか・・など考えたことはなかったでしょうか。家族が病気になった時、仕事がうまくいかなかった時、また自分が身体が衰えてきて思うような働きが出来なくなった時、などなど。

でも命や健康は、神様からの恵み。今までどれだけ感謝もしないで神様からいただいた恵みを無駄に使ってきたことを自分では気がついてはいない。しかし、神様はすべてをご存知で今日まで黙って支えてくださった、その恵みを思い出すことが必要なのです。

今日の聖書では、ブドウ園の農夫が、一日1デナリで雇われ、朝から時間差を持って雇われた人がいた。彼らは皆、主人から一デナリのの約束をしていたが、長時間働いた農夫から不満が出た。働く時間が少ない人と同額であることが不満であったのです。仕事が与えられ、主人の約束通りに支払われたその恵みに気がつかないのです。人生の中で元気で働ける時も、病気の時も、老いて働けなくなってっも、神様は今日と言う日の報酬は同じ恵みを与えてくださっています。生きている事、今与えられている恵みを感謝を持って受け止めて、その心を祈りの中で神様に返すことです。

不満の心で今与えられている素晴らしい時を見過ごすことがないように、神様とイエス様に従って精一杯生きていたいですね。そんなあなたを神様はきっと支えていてくださいます。苦難の時を喜びの時に変えてくださいます。信じて今日と言う日を精一杯生きてください。神様が共に居てくださることを信じて!


# by minitayori | 2017-10-14 17:43 | Trackback | Comments(0)

ルリマツリ

ルリマツリ
教会にゆくときのバス停の病院の小さな花壇に咲いていた
薄紫の清楚な花。花言葉は「同情」。びゅ院に来る人?
いや道行く人すべてへのメッセーイジ

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# by minitayori | 2017-10-14 17:38 | Trackback | Comments(0)

10月1日の聖壇の花

10月1日の聖壇の花
この日の花は誕生日に当たる人に渡された。私の妻が2日の誕生。
大きな花束を持って地下鉄に乗って帰ってきた。暑い日曜だった。

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# by minitayori | 2017-10-07 20:32 | Trackback | Comments(0)

「みにたより323」

「みにたより323」

 聖歌521番“キリストにはかえられません”

 アメリカで最も愛されているゴスペルシンガー、と言われるジョージ・ベバリー・シェーは、あの名曲“キリストにはかえられません”の作曲者でもある。2002年、九十二歳になるこの老人は、五万人の会衆を前に、“キリストにはかえられません”を力強く歌った。豊かな人生の秘訣をインタビューに答えて次のように語っている。e0191585_20182449.jpg



「私は一九〇九年、オンタリオ州のウインチェスターで生まれました。父は牧師でした。当時は六人兄弟。朝になると、母はよく、“歌いつつ歩まん”など古い聖歌を歌って子どもたちを起こすのです。ですから、讃美が生活の中に自然に溶け込み、私は本当に聖歌が好きな子どもになっていました。     sある日曜の朝、私の机の上に一編の詩が置かれていました。ピアノの前に座った瞬間、あのメロディが心の中にあふれてきたのです。私が最初の一節とコーラスの部分を弾き終えた時、母が目にいっぱい涙をためて部屋に入って来て、私をしっかりと抱き締めたのです。母は、当時、二十三歳の私の信仰を心配して、この詩が私の人生に影響を及ぼしてほしいと願っていたようです。ですから、この日曜の朝に、最もふさわしいことが起こったのです。私を変えたこの一編の詩は、レア・ミラーというクリスチャンが書いたもので、母が私のために持ち帰り、机の上においてくれたものでした。“キリストにはかえられません”という詩だったのです。」

私は21歳の時に、この讃美歌に出会いました。聖書学院の学生の時、男女4人のコーラスを作り、いろいろな教会の伝道集会で奉仕をしていました。歌いつつ、何度も涙をし、新たな思いをもって神様に仕える決心を確認したものです。ぜひ皆さんも歌ってほしいと思います。


# by minitayori | 2017-10-07 20:25 | Trackback | Comments(0)

ホトトギスのつぼみ

ホトトギスのつぼみ
道端の小さな花壇にホトトギスのつぼみを見つけた。これから
寒風の秋を迎え、寒い冬を過ごすためにか、コンクリートの壁
に囲まれていた。自然の花の知恵でしょうか。初まで頑張れ!

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# by minitayori | 2017-10-07 20:23 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 10月8日 マタイ福音書18章21-35節 



108日 聖霊降臨後第18主日 マタイによる福音書1821-35

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18:21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」

18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。

「中略」

18:33 わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』

18:35 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。

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「礼拝に備えて」


 昔、神学校の先生から、赦すと言う言葉と、忘れると言う言葉とはよく似ていると言われました。なんとなくこの言葉が心に残っていました。ふと思い出して、スペルがうろ覚えなので、辞書を引こうと思ったが、残念ながら引っ越し段ボールの奥に入ってしまったようで見つかりません。もっともあの辞書の字は、今の私にはきっと見ることが出来ないでしょう。娘に確認して記しています。

 forgive=許す forget=忘れる・・この教えが今日の聖書の教えに深くかかわっていると思うのです。ペトロはイエス様に聞きました。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」と。ペトロが「七回までですか?」と聞いたのは、旧約聖書の教えに従って、最大級の忍耐の心を持って許すことを覚悟している自分を、イエス様に誉めてもらいたかったからなのかもしれません。

 しかし、イエス様は7回までですか?と問うペトロの心には、本当の赦しがない事を教えたかったのです。それは我慢をするだけで、その数を超えると7倍・8倍にして仕返しをするのが人間の心の醜さなのです。

 昔「491」と言う映画があったそうです。その意味は77倍、つまり、490回を超えた、許されざる事柄がある、と言う意味だったそうです。私は見られませんでしたが、これを聞いて思いました。許すと言う事は、本当は忘れる事ではないかと。神様は、人間の裏切りと言う罪を忘れてくださるために、そのすべてをイエス様の十字架に架けてくださいました。

 イエス様の十字架の故に、私達の全ての罪を忘れてくださったのです。
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帰って来た放蕩息子のことを考えてみてください。父の財産を使い果たし、ぼろをまとって帰ってきた息子を、父は「死んでいた息子が帰って来てくれた」と喜んだのです。これが御父、神様のお心です。この神様のお心の中に抱かれて、私達も忘れる愛を持てるようになりたいと思います。





 








# by minitayori | 2017-10-07 20:16 | Trackback | Comments(0)

彼岸花

彼岸花
近くの畑で見つけか。熊本にいたとき田んぼのあぜ道に
群生しているのを見て美しいと思った。それまではなんとなく
色合いや名前から好ましく思えなかったが、田んぼの中の群生
している花を見てから、好きになった。ふしぎな花です。

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# by minitayori | 2017-10-07 20:02 | Trackback | Comments(0)

フウセントウワタ

9月24日の池袋教会聖壇の花
フウセントウワタ
花なのか良く分からないが、花図鑑にはこのように載っていた。
花ことばは(楽しい生活)神様を心に楽しい生活をしましょう。

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# by minitayori | 2017-09-30 21:07 | Trackback | Comments(0)