<   2010年 01月 ( 27 )   > この月の画像一覧

日曜日の日課の聖書を黙想し、小説教にまとめました

1月31日(日) ルカによる福音書6:17-26
17 イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、18 イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。
20さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。 22人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。 23その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。

メッセージ : 愛を動詞で示されるイエス様
今日も一つ 悲しいことがあった
今日もまた一つ うれしいことがあった
笑ったり泣いたり 望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり
        ・・・・・・・
そして これらの一つ一つを 柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の 平凡なことがあった
               星野富弘さんの詩集より

 聖書にはどこを開いても愛が書いてある。このことばを聴いたのは牧師になってまもなくのときだった。しかし、聖書の中には残酷な戦いの模様が書かれているし、厳しい戒めや神の民の悲惨な生活が書かれている。どこが愛なのだろうと思ったものだ。しかし、今静かに聖書を読み返していると、確かに、どこを開いても神様の愛のお姿、お心がにじみ出ているように思う。戦いの中に神様の苦悩の姿を感じ、貧しさや差別されている人々、虐げられている人々を断腸の思いで見ておられる神様を感じる。
 そのすべては人間の罪からきている。罪というのは、神を持たない状態、自分が一番正しいと思っている心の姿を言っている。イエス様がこられたとき、イスラエルは国家を失い、宗教的な堕落、経済的な貧困で苦しんでいた。わずかな富、知識、地位を誇りにして自分より下のものをさげすんでいる、そのような人間の愚かさを神様は心を痛めて見ておられ、根本的な救いの道を用意してくださった。その救いとはイエス様の十字架であり、救いに至るにはイエス様と一緒に、神様の御心にしたがって歩むことであった。神様はその愛をイエス様の一生と十字架という動詞で示してくださいました。イエス様はその動詞をもっと具体的に一人ひとりに届くように私たちの中に入ってきて一緒に歩んでくださったのです。あなたを神の子とするために。
 あなたへの愛。大きな愛。受け止めてみませんかあなたの心に!

by minitayori | 2010-01-28 21:28 | Trackback | Comments(0)

紅梅が見つめているように感じた

e0191585_21222542.jpg


群れて咲いている紅梅も美しいが、群れを外れて一生懸命咲いているたった一つの花も美しいと感じた。ひとつでも君を美しいと認める私がいるよ!と声をかけながら写した。

by minitayori | 2010-01-28 21:25 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ1月28日

e0191585_21163659.jpg


日曜日には教会へ。神様のお言葉が聞こえます。

by minitayori | 2010-01-28 21:17 | Trackback | Comments(0)

日曜日の聖書の日課より思う

1月24 日(日) 聖書 : ルカによる福音書5:1-11

5シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。
7そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。

み言より一言

主イエスさま
痛みであれ 苦しみであれ
不幸であれ 悲しみであれ
立ち止まらずに
上を向いて
祈から感謝へ 感謝から希望へ
大空に向って羽ばたく、
鳥のつばさのように
嵐を海をこえさせてください
                 河野 進先生の詩集より

 イエス様の弟子としての最初に弟子たちは思いがけない出来事に出会った。一晩中働いても何も得られなかった、その虚しさはどんなにか弟子たちの心を挫折感に打ちのめしたことだろう。
 教会を持っていたとき、礼拝は数ではない、と先輩に言われたことがあるが、私はひとりでも多くの方が教会に集い、神様の福音、イエス様に出会い救われ、神の子として幸せに生きてほしいと思った。この世的には貧しく、病を持ち、希望を持ち得なくても、イエス様が思いがけない道をきっと用意してくださると信じて、希望を持って生きてほしいと思った。教会の会堂にある椅子が空席であることを、悲しまないような牧師にはなりたくないと思った。一杯になってほしいと願い、狭くて増築したいといえるような教会にしたいと思った。残念ながら力足りなくてそれはかなわなかった。
 その願い、その祈りは今も変わらず持っている。日本中の教会がイエス様の救いを求める人であふれてほしいと思う。空席を悲しむ教会であってほしいと思う。

by minitayori | 2010-01-21 20:51 | Trackback | Comments(0)

友、遠方より来る、楽し!

e0191585_20443026.jpg


友の持参してくれた花、春の到来ののように心温かく。感謝!

by minitayori | 2010-01-21 20:45 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ1.21

e0191585_20394985.jpg


日曜日の礼拝に備えての心の準備のために。そして、今週いただいた神様の恵みをおすそ分けします

by minitayori | 2010-01-21 20:41 | Trackback | Comments(0)

菜の花は二代目のようでした

e0191585_2034990.jpg


前回お知らせした学校の正門の前の花壇の菜の花は、かわいそうに全滅していました。踏み荒らされたのでしょうか。その横にまた新しい花壇ができていました。先生の丹精した花。生徒の心を和ませようとする願いをお知らせします。今度は無事であってほしいと思いました。

by minitayori | 2010-01-21 20:37 | Trackback | Comments(0)

温かい日差しの中

e0191585_20254279.jpg


温かい冬の日差しの中、近くの病院の庭に散歩。絨毯のようにひかれた落ち葉の上を小鳥が見えた。
私の眼には醜かったが、とにかく移すことができた。巣に待つ小鳥たちのためか、冬を越すための命のためか懸命に落ち葉の下の虫を探していた。生きる尊さですね。

by minitayori | 2010-01-21 20:29 | Trackback | Comments(0)

1月17日の聖書の日課(ルーテル)

いっときに、一日だけを生き
いっときに、一瞬だけを喜ぶ。
苦しみも平和へ続く道として受け入れ
イエスの如く、
この罪深い世界をあるがままに理解して後悔せず
主の意志に身をゆだねれば、
すべてをあるべき姿にしてくれると信じて
そして、現世では適度の幸福を
来世では、
主と共に至高の幸福を感じることができるように。
                    アーメン
           アメリカの神学者ニーバーの祈りより。

2010・1月17日(日) 顕現節第3主日:ルカによる福音書4:16-32
4:16 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。 
18「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、 
19主の恵みの年を告げるためである。」

   聖書より一言
 この聖書の箇所には、イエス様のご生涯への決心、神様のみ旨を受諾する服従の心が示されている。この聖書に記される人々はみなユダヤ人から阻害されていた人々であった。阻害と言うより、軽蔑され、人間として扱われなかった、と言ったほうが正しいかもしれない。いわゆる正当な、普通のユダヤ人から嫌われている人々を愛し、そのために生きるということは、その人々に与えられている差別を共に受けることであり、同時に差別をしている人々の心の痛みをも受けることであった。イエス様の愛は徹底していた。差別されている人々を愛し、差別をしている人々が、神様のお心に反していることをご自分の行動をもって示された。イエス様のやさしさや愛の行動は、ユダヤ人指導者たちの欺瞞に満ちた生活への糾弾となった。良心にやましさを持つ人々は反省をするどころか、怒り狂い、イエス様を十字架につけた。イエス様の十字架は人々の怒りに負けた形となったが、しかしそうではない。むしろ勝利の場所となった。次の言葉がそれを物語っている。
 ルカ23:34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕
これがイエス様のお心です。赦すことによって、自分を十字架につけたものまでも救われるものとしてくださったのです。あなたも今からでも間に合います。この祈りの「彼ら」の中にあなたも入っているのですから。
あなたのために祝福を祈ります。

by minitayori | 2010-01-14 21:10 | Trackback | Comments(0)