ケアハウスの表玄関

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きれいな紅葉も、落ち葉になってゆく。舞い落ちる落ち葉も美しい。この光景を見ていて
一つの詩を思い出しました。


リルケの詩
木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
大空の遠い園生が枯れたように
木の葉は否定の身ぶりで落ちる
そして夜々には 重たい地球が
あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる
われわれはみんな落ちる この手も落ちる
ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手に支えている者がある


*この限りなく優しく、両手で受け止めてくれる。それはイエス様のお姿そのものですね。

by minitayori | 2011-12-24 11:43 | Trackback | Comments(0)

慰めの富士

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9日に帰郷、しばらく兄と過ごしたが、12日早朝、朝日に照らされて輝きつつ永眠。
皆さんの祈りを感謝します。
父が早くに亡くなり、病弱だった兄は家族8人を支えて家を守ってくれた。今は感謝!
葬儀一式を終えて帰京の途中、慰めてくれるように美しい富士山が見えた。
何事にも動じない富士山の美しさと、青空に悠然とそびえる姿に励まされました。

by minitayori | 2011-12-24 11:36 | Trackback | Comments(0)

2課1516創世記聖研手話訳

2課1516創世記聖研手話訳

15.この言葉は、現状への真剣な反省からでてきた言葉です。神が創造されたのなら、確かに世界は良い世界であることは当然であるはずです。しかし、現状の悪も否定できない事実です。聖書は、それは、神の失敗の結果ではなく、「世界が正しくなく、善でなくなっている」のは、人間の高慢な心、神を忘れて生きようとする、人間の罪の結果なである、と教えるのです。
16.人間は、ともすれば、人をその外面的な能力、何ができるかで判断しがちです。そして、人を差別してしまいます。障害者への差別、弱い者への差別、老人への差別など、私たちの社会の中にある多くの差別の原因はどこにあるのでしょうか。それは、人間を機械のように、良い仕事ができるかどうかで判断しようとする、社会の自己中心性にあるのです。

<手話訳>

>15.この言葉は、現状への真剣な反省からでてきた言葉です。
* この教え 今の 私たちの 社会 状況に対する 真剣 反省の心 教え 

>神が創造されたのなら、確かに世界は良い世界であることは当然であるはず。
*神が 造られた 本当 場合 世界は 良い 世界である 当たり前。

>しかし、現状の悪も否定できない事実です。
*しかし、現在 悪があることも 確かに 本当です

>聖書は、それは、神の失敗の結果ではなく、
*聖書の教えは 悪くは 神の 失敗 結果とは 違う

>「世界が正しくなく、善でなくなっている」のは、人間の高慢な心、
*世界 悪くなり 優しくなくなった 理由 」人間の 高慢 心

>神を忘れて生きようとする、人間の罪の結果なである、と教えるのです。
*神を 忘れて 息問いと思う 人間の 罪の 結果  と 教えている

>16.人間は、ともすれば、人をその外面的な能力、
* 人間   普通   他の人を 外から見える 能力(力)

>何ができるかで判断しがちです。そして、人を差別してしまいます。
*何 すること出来るか で考える そして、人を 差別 する

>障害者への差別、弱い者への差別、老人への差別など、
*障害者に対する 差別 弱い人びとへの差別 老人への差別など

>私たちの社会の中にある多くの差別の原因はどこにあるのでしょうか。
*私たち 社会 中 ある 多くの 差別 根本理由は どこにあるか

>それは、人間を機械のように、良い仕事ができるかどうかで
*その理由は 人間 機械のように 良い仕事 できるか 出来ないかで

>判断しようとする、社会の自己中心性にあるのです。
*考える 社会の 自分中心の心に ある。

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「手話訳より一言」
 人間は本来、皆それぞれ尊い使命と、その人固有の能力を持って、大切な社会の一員として、神様に造られている。しかし現実の社会の中では、個々人の尊さや固有の能力は無視されることが多い。人は人生のある時期。皆障害を持って生きている。自分で食べられない。着替えも出来ない、排泄も出来ない。何にも出来ない、しかし、この存在が家の宝になっている時期がある。幼子のときである。赤ちゃんは家の宝であり、家族の絆の要になっている。しかし、高齢になると同じ状態になっていく。しかし、今の社会は高齢者が尊ばれていることは難しくなっている。高齢者問題、と言う言葉で語られることもある。
 手話では、「幸せ」と言う言葉を、あごひげをしごいている動作であらわしている。昔老人が。日向ぼっこをしながらあごひげをしごいているのどかな姿が人生の究極の幸せと考えたのであろう。しかし、今はそんなゆとりのある家に住むことも出来なくなっている。下手をすると邪魔にされることも多々ある。
 これも自分の都合の良いときには利用し、必要なくなれば邪魔にする、人間の自己中心ではないだろうか。

by minitayori | 2011-12-24 11:28 | Trackback | Comments(0)

ポインセチア 

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クリスマスの時期が近づいたので、みんなであるものを持ち寄って飾り付けをした。
真ん中の飼い葉おけのイエス様の人形は、熊本で購入したもの。


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クリスマスの花として、定番になっているポインセチア。この時期になるとどなたかが
立派なポインセチアを玄関に置いてくださる。クリスマスの時期だな、富がひきしまる。

by minitayori | 2011-12-24 11:22 | Trackback | Comments(0)

ケアハウスの紅葉3



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しばらく、私の大切な兄の看病のために故郷に帰ります。祈って欲しい。
そして今、病の中にいる、あなたのために祈っています。
元気になって、又輝いて欲しい。

by minitayori | 2011-12-03 14:42 | Trackback | Comments(0)

キリエ・マグダラのマリア

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>マグダラのマリア<
私ほど悪い女はないとおもった
キリストと呼ばれる人のまえへきたとき
死体のように身体をなげだした
すると不思議にも
まったく新しいよろこびがマリアをおののかせた
マリアはたちまた長い髪をほどき
尊い香料の瓶の口をくだいて髪をひたし
キリストの足を心を込めてぬぐうた
香料にはマリアの涙があたたかく混じった
マリアは自分の罪がみな輝いてくるのをうっとりと感じていた

     八木重吉詩集より「マグダラのマリア」


*このキリエは現在、熊本教会に飾られている。

by minitayori | 2011-12-03 14:37 | Trackback | Comments(0)

ケアハウスの紅葉2

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赤く輝く葉、黄色く輝く葉。そして緑のままで色づくのを待っている葉。
どれが綺麗とはいえない。
みんな違ってみんないい。仲良しは美しい。そう思った。

by minitayori | 2011-12-03 14:28 | Trackback | Comments(0)

2課1314創世記聖研手話訳

2課1314創世記聖研手話訳

13.ですから、聖書は、「神の息」、つまり、「神の力、エネルギー」を受けてこそ、人間は「生き生きと生きる」ことができると教えているのです。今、人々が苦しみと不安の中に生きなければならないのは、「人間が神様の目的にそっていきていないから」であり、「神の命の息」を受けることを忘れているからだと、聖書は教えているのです。
14.次に考えられることは、「死」についてです。人間にとって、誕生・生きることは神秘的なことですが、死もまた不可思議なことでした。現実に死に直面したときの様子を想像してみてください。今まで会話していた人が、、息がとだえ、死に、土に埋められ、土に帰っていくのです。

<手話訳>
>13.ですから、聖書は、「神の息」、つまり、「神の力、エネルギー」を受けてこそ、
*  だから  聖書 「神の 息」 その意味 「神の知力」 受けた 時 だけ

>人間は「生き生きと生きる」ことができると教えているのです。
*人間 「喜んで 生きる」 できる 聖書の人 教えている

>今、人々が苦しみと不安の中に生きなければならないのは、
*今 人び 苦しみ 不安 心に持って 生きる 理由

>「人間が神様の目的にそっていきていないから」であり、
*「人間 神様の 目的 離れて 生きているから」である。

>「神の命の息」を受けることを忘れているからだと、聖書は教えているのです。
*「神の 命 息」 いただく 忘れているから   聖書 教えている。

>14.次に考えられることは、「死」についてです。
* 次 考え できる 内容 「死」 に関してです。

>人間にとって、誕生・生きることは神秘的なことですが、
*人間 考える 誕生 生きる 不思議 に思う

>死もまた不可思議なことでした。
*死も また 理解 難しい 状態 です。

>現実に死に直面したときの様子を想像してみてください。
*本当 死 出会った 時 状態 考えて ください。

>今まで会話していた人が、、息がとだえ、死に、土に埋められ、土に帰っていくのです。*今まで 話しあっていた 人 息 止まり 死 土に 入れられ 土に 変わる。


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「一言」
 人は土のちりで造られ神の息を与えられて「生きる者になった」。この教えはとても大切な教えです。人間の尊厳や生きることの使命は、神の息=御心と力によって与えられているということです。この生きる力の基を失っては、その本来の機能を果たすことができないのです。生き、動いていても、神の御心から離れていたら、それは神様の目からは死んでいると同じなのです。そのことは現在の社会の用るを見れば良くわかるのではないでしょうか。また、神の御心に沿って歩むことの素晴らしさを人間は知っていますから、愛すること、人にやさしくすることなどを、素晴らしいと思い、自分もそうしたいと思えるのではないでしょうか。創世記の人間創造のお話は、本来人間がどのようにあるべきかを教えているのです。人はあなたは、神様の御心を行い、それを喜ぶように作られているのです。
 死については、昔の聖書の記者は現実の状況を見ていました。昔は土葬だったのでしょうか。息がとまると死ぬ。息は神様に帰り、身体は土に帰る、と考えていたのではないでしょうか。神様の元に返せる命の息を日々備えて、生きることが信仰の生き方でした。聖書はそれを「神と共に生きる」と表現しています。神と共に生きた人々によって、神様の救いの約束は受け継がれていきました。そして、インマヌエル(神、われらと共にいます)と言われたイエス様がお生まれになりました。私たちと神様の間を裂いている罪をイエス様はご自分が十字架を担うことによって、私たちの代わりに負ってくださいました。あなたも神共にいます真の人として生きることができるのです。
 クリスマスはあなたのために来られ、十字架の苦しみによってあなたが負うべきすべての罰を担い、あなたを罪赦されたものと者としてくださるイエス様を、あなたの心にお迎えする日なのです。

by minitayori | 2011-12-03 14:24 | Trackback | Comments(0)

ケアハウスの紅葉1

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木漏れ日に照らされて、紅葉が輝いていた。暗い竹やぶの中にそこだけが別世界の
ように輝いていた。
誰でも神様の光をいただけば、そのままで美しく輝けるのだ。あなたも!

by minitayori | 2011-12-03 14:18 | Trackback | Comments(0)