梅花

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近くの日本最初のリハビリテーションの学校の跡地が、自然林のようになっている、その入り
口に古い梅の木があり、この近辺では一番早く咲く。つぼみの時期が長く、咲くのを迷ってい
るようだったが、昨日行ったら2部咲きだが綺麗な花をつけていたので、紹介します。
花は自分の咲くときを知っています。私も自分のときを詩って、輝いて行きたいと思いました。

by minitayori | 2012-02-25 17:41 | Trackback | Comments(0)

ンーバーの祈り

Rニーバーの祈り

 神様
 私に変えることのできないものは
 それを素直に受け入れるだけの
 心の平安を与えて下さい
 変えることのできるものは
 それを変える勇気を与えてください
 そして何がかえられるものであり
 何が変えられないものかを
 見分ける知恵を


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by minitayori | 2012-02-25 17:30 | Trackback | Comments(0)

胡蝶蘭

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敬愛する友より送られた胡蝶蘭。3年目も美しい花を咲かせてくれた。私たちの自慢の花であり、
隣近所の人にもこの花を誰からもらったかを話す。そして私たちの祈りの花であることも。
隣の93歳の方が、此花の真ん中に天使がいるよと教えてくれた。確かに天使が居て、祈りを聞
居てくれている。友の健康が支えられるように。

by minitayori | 2012-02-25 16:07 | Trackback | Comments(0)

創世記、手話聖研 2:21-22

2課22-23創世記聖研手話訳
22.エデンの園が「喜びの園」であり、人間の永遠の幸福の園」であるために、どうしてもなくてはならないもの、それは「神と人間との良い関係」なのです。神と人との間に、良い関係があったからこそ、園が「幸福なところ」になっていたのです。
23.聖書は、このように人間の幸福の基本的な条件として、「調和」、つまり、「良い関係」が必要であることを教えています。この「調和」=「良い関係」を4つに分けて考えてみたいと思います。その第1は、先程から繰り返して言っています、「神との調和」です。

<手話訳>
>22.エデンの 園が「喜びの園」であり、人間の  永遠の 幸福の園」であるために、
*エデン(指文字) 場所 意味 喜び場所 ある 人 本当 幸い 場所 あるため

>どうしてもなくてはならないもの、それは「神と人間との良い関係」なのです。
*本当   必要な 事      内容  神 人 良い 関係 である。

>神と人との間に、良い関係があったからこそ、
*神 人間 間   良い 関係(つながり) あった だから

>園が「幸福なところ」になっていたのです。
*その場所 幸福な 場所で あった。

>23.聖書は、このように人間の幸福の基本的な条件として、「調和」、
* 聖書 今 説明 同じ(ように) 人間の 幸福 基礎の 条件 「調和=仲良し」

>つまり、「良い関係」が必要であることを教えています。
*その意味 「神との 良い 関係=つながり」である 教えている。

>この「調和」=「良い関係」を4つに分けて考えてみたいと思います。
*この 「友」 良い 関係 四つに 分けて 考え たい=欲する 思う

>その第1は、先程から繰り返して言っています、「神との調和」です。
*第一 今まで 繰り返し(数多い) 語る  {神 間の 仲直り}です。

注:調和=両手で握手する。仲良し・友達の意味 両手をそれぞれ反対にすると仲たがい
      聖書の言葉としては、仲たがいから握手に移行すると、「和解」と言う手話。
関係=両手の親指と人差し指二本でそれぞれ輪を作り、つなげる。関係・サークルな
どの意味になる。

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「手話訳から一言」
神様に背いた行為が、罪となります。手話では神様に反抗して、背を向けた状態を罪と言います。ここから罪を「神様への悪い反抗」と言う手話で表現しました。反抗は肘鉄砲の動作です。このように手話では、創世記の具体的な出来事の中に、罪の原点を考えました。
また同時に、いくつかの手話ができました。反抗の肘鉄をやめ、手を伸ばして神様の手と握手する行為を、和解と考えました。しかし、私たちの腕は曲がったまま、神様に反抗し続けます。この腕は切り取って捨てなければなりません。罪を捨てるのです。その腕の代わりに、イエス様がご自分の十字架によって、私たちの罪の身代わりになってくださり、
神様との和解の道を整えてくださいました。この十字架はあなたの魂の救いのためです。神様と和解して、心に神様との間の平和を持ちましょう。

by minitayori | 2012-02-25 15:58 | Trackback | Comments(0)

柿と小鳥

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ケアハウスの敷地内に、柿木が残っており、そこにいくつかの柿が残っていた。飯田に居たときに
畑の真ん中に柿木があり、冬になると収穫するのだが、必ずいくつかは残しておくそうだ。
それは寒くなってえさがなくなったときに小鳥が食べるようにと言う優しさを示しているとのこと
だった。お話を聞いて心温かくなった。そのことを特別な言い方があるそうだが、何回聞いても、
覚えられなかった。

by minitayori | 2012-02-25 15:49 | Trackback | Comments(0)

菜の花

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散歩をしていたら、近くの学校の花壇に菜の花が咲いていた。そういえば昨年
12月、兄の葬儀の後、田舎の山すそに菜の花畑があって、一面に綺麗に咲いていた。何の花にも思い出が重なると、嬉しく、寂しく、悲しく、懐かしく思う。
花って優しいね。

by minitayori | 2012-02-25 15:42 | Trackback | Comments(0)

キリエ(迷子の羊)

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 児童礼拝でこの絵のお話しをした。
ある羊飼いの家に、かわいい子供がいた。お父さんはこの子に生まれて間もない子羊を与えた。子供は大喜びで大事に育てた。ある日、外に出したら、子羊は喜んで走り回り遊んでいた。どんどん遠くに走っていき、とうとう見えなくなってしまった。夕方になっても帰ってこない子羊を心配して、その子は泣き出してしまった。お父さんやお兄さん、みんなで探しに行きました。野原も暗くなってきました。その時、どこかで子羊の鳴く声が聞こえました。子供は自分の羊が鳴いている、と走りだしました。子羊は穴の中に落ちて、這いあがれなくて泣いていたのです。お父さんがやってきて、子羊を助け出し、子供に渡しました。子供は大切な子羊をしっかりと抱きしめて、うれしくてぽろぽろと涙を出して泣いてしまいました。
 お父さんは子供に言いました。神様はね、みんなのことをこの迷った羊を心配したように、心配してくださっているんだよ。いつも神様から離れないように、神様のところに帰って、神様に喜こんでいただこうね、と話しました。

by minitayori | 2012-02-07 14:40 | Trackback | Comments(0)

賛美歌312番楽譜

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私はこの歌を信仰に入ってから50年余、歌い続けています。人生の終盤、このケアハウスに住むことを許されて、朝の礼拝に、ホスピスの礼拝でいつもこの歌を歌う。牧師になってこの歌がどのような背景でできたものか興味を持ち調べました。一人の信仰者の苦悩と祈りと、信仰によってそれらに打ち勝った喜びに満ちた歌であることを知りました。それ以来、一層この歌が好きになりました。次のページにその背景を記しておきます。

by minitayori | 2012-02-07 14:20 | Trackback | Comments(2)

さんびか312番の背景

さんびか『いつくしみ深き』312番について、

 教会讃美歌371番(教団312)の「いつくしみ深き」は世界中の誰もがよく知っている讃美歌の一つです。この讃美歌を作詞したジョセフ・スクラィヴィンは、1819年アイルランドの裕福な家に生まれ、大学を卒業して、幸せな結婚式を前日に控えたある日、婚約者が溺死しました。癒すことの出来ない心の傷を負った彼は、25歳のときカナダのポート・ホープという町に学校教師として移住しました。彼は教会をとおして、貧しい人々に奉仕する生き方を選び、時間のあるときは、鋸を担いで、支払いが出来ない人々のために、薪を無料で切ってあげるなどの労働奉仕をしました。その彼に再び春が巡ってきました。海軍大尉の一人娘エリザ・キャサリンと知りあい、婚約までこぎ着けました。彼の傷も癒され、明るい将来が見え始めていた矢先、彼女は結核にかかり帰らぬ人となりました。その時、彼は41歳でした。幸福は彼の人生には不思議に拒まれていました。
 故郷にいた母もそうでした。その母を慰めるためにこの讃美歌の歌詞を書いてアイルランドに送りました。普通の人であれば、神を呪いかねないほどの試練に出会った彼ですが、人々にイエスの愛を伝える情熱は絶えることなく、平安と優しさに満ちていたと言われます。詩を書いた翌年の1886年体調を崩し、彼は病床に伏していました。
 彼を引き取った家の主人がこの詩を発見し、出版社に送り、「福音唱歌」の巻頭にこれが載ることになりました。元詩は、スクラィヴィンが自分の悲しみ以上に、故郷の母の苦痛を思い、「私の事は心配しないで下さい。愛なる主イエスが私の悲しみを全部負って下さっています。私は祈りによって平安を得ています」と母に励ましを告げる気持ちが満ちています。大塚野百合さんが訳した言葉を見て見ましょう。
 1. 何というすばらしい友でしょうか、主イエスが私たちのすべての罪と悩みを負ってくださるとは、何という特権でしょうか、すべてを神に祈ることができるのは!……
 2. 試練や誘惑に出会っていますか?困難がありますか?失望してはいけません。主にいのりなさい。こんな真実な友があるでしょうか。私たちのすべての悲しみを感じて下さる方が?主イエスは私たちの弱さをすべてご存じです。主に祈りなさい。
 3. 重荷に弱り、心労につかれていますか?貴い主は、わたしたちの逃れ場です。主に祈りなさい。友に軽蔑され、捨てられていますか。主にいのりなさい。主はそのみ腕にあなたを抱き、あなたを守って下さいます。そこにあなたは慰めを見出すでしょう。


この文章は、賛美歌について解説している本から、書き取っていたものです。失礼ですがどなたが書かれたのか、本の名前、著者を書き留めておくのを失念してしまった。お許しあれ。
でも、この歌を歌うたびに、私はこの歌の背景を思い浮かべています。その気持ちを伝えたい、あなたに!

by minitayori | 2012-02-07 14:11 | Trackback | Comments(0)