ケアハウス裏庭のサザンカ

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紅葉を映した後、先日写した竹やぶの中のもみじが気になって、裏庭を通っての帰った。緑の中、見事に咲いているサザンカの花に出会った。高くそびえる木の上のほうが花が美しかったので、写してみた。みぞれの中でも咲くさざんか。今が一番気候が良くてうれしそう。部分的に赤くなっていた紅葉は枯れて落ちていました

by minitayori | 2012-11-24 21:16 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ020 断想 つれづれにおもうこと

断想(つれづれに思うこと)キヨセタヨリ020

・このケアハウスの庭には様々な花が咲く。また近所にも公園のような散歩道が多くある。
・先日、秋晴れの温かい日に、紅葉を探して周りを散歩した。しかし、ケアハウスの中ではモミジはまだ緑一色だった。
・しかし、隣の東京病院の敷地の日当たりのよいところには美しい紅葉が見られたので、今回は紅葉の紹介をします。
・いつか友人の説教の中で「裏を見せ、表を見せて、散る紅葉」と言う詩があることを聞いた。神様は愛のお心の裏も表も全てを見せて、私たちを愛していてくださることを示しておられる。
・イエス様のご受難と十字架はまさにこの神様のすべての愛を示している。紅葉の美しさはまた格別だ。しかし、外から見るより、太陽を通してみる方が美しい。
イエス様の御生涯を、神様の愛の光を通して見ていきたい


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by minitayori | 2012-11-24 21:04 | Trackback | Comments(0)

隣の庭の紅葉

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隣の東京病院の片隅に大きなもみじの木があった。きれいな紅葉だった。紅葉は日の当る所よりその裏側からとるほうが紅葉の色がよく見える。美しい!

by minitayori | 2012-11-24 20:59 | Trackback | Comments(0)

戸口に立つイエス

2012・11月25日(日)聖霊降臨後最終主日 マルコによる福音書13:24-31
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「礼拝に備えて」
 「人の子が戸口に近づいていることを悟りなさい。」 聖書はいつの日かこの世の終わりがくることを伝えている。特に最近の世界状況をみると、遠い未来の事ではないように感じてしまう。
 聖書は、その予兆が始まった時に、人の子が戸口に近づいてくるのを知りなさい、と言われる。黙示録3章20節には、人の子が戸口に立たれる時、それは裁くためよりも、イエス様が心の扉を叩いて、私たちがイエス様を心の中に迎え入れるためにきてくださる、と記している。
 私は高校の時に参加した、高校生キャンプの山小屋でイエス様に心の戸をたたかれる経験をした。仲間と順番に祈っている時、自分の番になり、「天の神様」と皆のまねをしたとたん、周りが真っ白になり、言葉が出てこなくなった。逃げ出したくなっている時に、その小屋の戸を強くたたく音がした。宣教師の先生が祈りの場所の見回りに来たのだ。しかし、その戸をたたく音に、びっくりして心臓が止まりそうだった。慌てて、「アーメン」と言って祈りの時が終わった。
 そのアーメンは、戸をたたかれるイエス様を受け入れるアーメンであったように思う。その後、悩む時、苦しむ時、いつもイエス様は近くにいてくださり、心の戸をたたき、「わたしを受け入れ、一緒に働こう」と語りかけてくださった。
 今もあなたや私の前にイエス様は立っておられ、心の戸をたたいてくださいます。心を開いてイエス様を迎え入れましょう。

by minitayori | 2012-11-24 20:47 | Trackback | Comments(0)

ケアハウスの紅葉

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やはり日の当る所にあるもみじがきれいですね

by minitayori | 2012-11-24 20:29 | Trackback | Comments(0)

創世記聖研手話訳 3課32 

3課32 創世記聖研手話訳
e0191585_20224029.jpg32.しかし、この名は、はじめはあまり良い意味ではありませんでした。「この道を行く者たち」、つまり、「十字架につけられるような罪人に従って行く者たち」と言う、あざけりの意味を込めてつけられた名であったのです。自己中心の故に、神様に背いた、あの罪の道から、「方向転換」して、十字架の道、神様に服従する道を自分の「新しい人生の道」として、選んだ人々が「クリスチャン」と呼ばれる人の事なのです。

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<手話訳>
>32.しかし、この名は、はじめはあまり良い意味ではありませんでした。
*けれども この 名前 最初 時 良い 意味 違う

>「この道を行く者たち」、つまり、「十字架につけられるような罪人に
*「この道 従い 行く 者 その 意味 「十字架 つけられた 悪い人に

>従って行く者たち」と言う、あざけりの意味を込めてつけられた名であったのです。
*従う 愚かな 人々」 と言う あざけり(笑う) 意味 を こめて 言った 名前

>自己中心の故に、神様に背いた、あの罪の道から、「方向転換」して、
*自分 中心の 心によって 神 背を向けた あの 悪の 道から 「向きを変え」


>十字架の道、神様に服従する道を自分の「新しい人生の道」として、
*十字架の イエス様の同じ道 神様に 従う 道 自分の 新しい未来の道 と

>選んだ人々が「クリスチャン」と呼ばれる人の事なのです。
*選んだ 人 の事 「クリスチャン」と呼ばれる 人の意味

by minitayori | 2012-11-24 20:23 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ019

キヨセタヨリ019
2012年11月18日 マルコ12章41-44「神様の尊ばれるもの」
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12:41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。 
42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。 
43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 

聖霊降臨後第25主日、
・間もなく教会の一年の終わりが来ます。その時には、イエス様が厳しい裁き人として来られると言われます。マルコは私たちにどのようなことを教え、その時にどのように備えるよう教えているのでしょうか。今日の日課のやもめの献金のお話が、そのために記されているのです。
・神殿には13の賽銭箱があったと言われていますが、金持ちたちは人の見える中央の場所で、音を立てて献金をしています。弟子たちは、それらの人の姿に感嘆していました。しかし、イエス様の目は、誰にも見られないように、片隅でわずかな捧げ物をする一人のやもめの姿に注がれていました。
・彼女は、貧しく、レプトン銅貨2枚しか持っていませんでした。それでも最後のレプトン2枚を持って神殿に来ました。彼女はその全部を賽銭箱に投げ入れたのです。彼女のレプトン2枚は彼女のすべてでした。その姿をイエス様が見ていました。イエス様は人間的には無意味に見えるような小さな捧げ物を、限りなく尊い価値ある物と認められたのです。
・イエス様は私たちに、すべてを神に捧げきって生きることを望んでおられます。それはお金だけの事ではないのです。
・しかし、イエス様はこのように私たちに要求されるとき、それ以前に、私たちのためにイエス様の御生涯すべてを注いでいてくださいました。
・イエス様は、私たちがまだ罪人で神様から背いて生活している時に、愛のゆえに、私たちのために十字架上で命を捨てて下さいました。
・私達は自分を無力な、貧しい自分と嘆いています。しかしイエス様は、そうは言われません。「あなたは私が命を懸けた大切なあなた。」そう呼びかけていて下さるのです。

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「断想=つれづれに 019」
・秋が深まってきました。肌寒ささえ感じます。東北の地では、もう雪の知らせがあるそうです。仮設住宅に住む方々には、二度目の冬がやってきます。
・瓦礫の山、土台だけ残った敷地、冷凍庫のない波止場の魚市場。人々はどんなにか復興の時を待っていることでしょう。しかし、その助けをするべき国会は、解散してしまいました。
・この後、選挙、新しい内閣の組閣・・・この空白の間に、人々はどんな思いでこの冬を過ごしてゆくのでしょうか。
・元気で冬を過ごしてほしい。温かい春を迎えて欲しい。そのことを祈るしかできない我が身の小ささに悲しい思いがします。
・イエス様が来られた時のイスラエルは、ローマの支配のもとにあり、圧政と、国内の指導者の腐敗に絶望的な生活を強いられていました。
救いは神様からしか来ない、そう信じ、救い主を持っていました。
・私たちもこの時、神様の助け、イエス様の到来を心から待ちましょう。一日も早い復興がなされ、被災地の方々に平安が与えられるように、共に祈りましょう。

by minitayori | 2012-11-17 21:02 | Trackback | Comments(0)

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裏庭には日本の柿木がある。朝散歩をしていたら、竹やぶの近くにある柿の木にはムクドリが群がっていた。友人の居室の三階からは柿の木が見下ろせることに思いついて、カメラを持って押し掛けた。快く部屋を通らせてくれ、ベランダに出た。柿の木とその実とはよく見えたが、まだ鳥は来ていない。熟した木から食べてゆくのだろう。何種類かの小鳥が群れ集まる。最後に来るのがすずめ。きれいにお掃除していってくれる。次に写せるとよいのですが。

by minitayori | 2012-11-17 20:52 | Trackback | Comments(0)

ナデシコ

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玄関近くに、ひそやかに咲いていました。ナデシコ、やさしい名前ですね。

by minitayori | 2012-11-10 21:10 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ018(断想=つれずれに思うこと

断想=つれづれに思うこと」キヨセタヨリ018
・ケアハウスで働いている人が、どこで聞いたか、私が手話を教えていることを知って、自分たちも習いたいと、申し出てくれた。月曜日に第一回目の勉強会が開かれた。皆、びくびくして集まってきたが、笑い声の絶えないなごやかな集まりになった。
・手話は、耳の不自由な方たちの心を伝える大切な言葉です。しかし、必要だとは思ってもなかなか学ぶ場所や時間が無い。ここで一日働いた人が、仕事の後の時間を割いて、手話に関心を持ってくれたことが嬉しい。とにかくみなの疲れが取れるように、楽しく、笑顔で学べるようにしてあげたい。
・私の出席している教会でも、また教会学校でも手話の学びをしたいと言う人が出てきた。今はクリスマスに向かって、歌を通して楽しく学ぼうと思っている。
・全ての教会が、神様の福音を全ての人に伝えるように、いろいろ工夫をしてほしい。勿論すべての人にふさわしい、方法で準備することはできないかもしれない。
・でも高齢者には、良く聞こえるように、音響を整える。初めての人に分かりやすいように、隣に座って教えてあげる。今なら、パソコンのプロジェクターも安価になってきた。
・階段や段差に高齢者や足の不自由な方たちは、教会に拒絶されていると感じる。全部が難しかったら、私の教会には、この障害を持った人が来られますよ、と招くことが出来るようにしてほしい。
・高齢化社会と言われて久しい。高齢者の生き生きとした信仰生活は、青年たちの希望になり、信仰教育の大切な働きとなると思う。

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by minitayori | 2012-11-10 21:07 | Trackback | Comments(0)