「断想=つれづれに思うこと キヨセタヨリ026」

「断想=つれづれに思うこと キヨセタヨリ026」

・雪がまだ所々に残っているが、清瀬の空は抜けるような青さで美しい。この青さの中の雪の富士はきれいだろうなあと思うが、いつも見ている所へ行くと、富士山のある所だけに霞がかかっていて見えない。
・今日も、花を探しに散歩に出たが、家々の花壇や鉢花の他にはどこにも花が見つからない。出来るだけこの敷地内の花を紹介したいのだが、もうしばらくの時が必要のようだ。
・熟柿がなくなって、小鳥が庭に下りてきた。虫をついばみ、木の芽をついばみ始めた。
野鳥がもっと身近になって来る。
・パンくずやミカンが好きなようで、冬限定で庭の枯れ木にえさ場を作って入れている方がいる。小鳥たちに、この冬何とか生き延びて欲しいとの願いがほほえましい。
・本当は野鳥は自然のままが一番良いのだろうが、しばらくは、ほほえましく見守っていたいと思う。
・神様もきっと、弱い私たちを何かの方法で助けていてくださるのだから。

e0191585_22402537.jpg

by minitayori | 2013-01-26 22:41 | Trackback | Comments(0)

清瀬駅前の芸術

e0191585_22303830.jpg


清瀬駅北口にある作品、実はこれは噴水になる。今は冬の空に輝いていた。

by minitayori | 2013-01-26 22:33 | Trackback | Comments(0)

[礼拝に備えて」 1月27日

[礼拝に備えて」
2013・1月27日(日)顕現節第4主日 ルカによる福音書5:1-11  e0191585_222639.jpg
5: 3 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
 5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。 6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 
8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。

「礼拝に備えて」
 イエス様の3年は、弟子たちの教育と言ってもよいと思う。12人の、イエス様の御心を担う使徒たちは、必ずしも完全な弟子たちではなかった。むしろ欠け多い、私たちと全く同じ人間であった。
しかし、イエス様はこの使徒たちを様々な方法で育てられた。今日の日課の聖書では、イエス様のお言葉に従って、予想外の大漁の経験をしたことが記されている。イエス様はペトロに、「沖へ漕ぎ出せ」と言われた。
勿論網を下ろすためであった。しかし、これは漁師の常識にそぐわないことであった。魚は昼間は水中深くに沈みこんでいるからだ。当時の漁の方法では魚を取ることはできなかった。沖とは、深いところの意味でもあった。彼らの経験外の所なのだ。
しかし、ペテロはプロとしての自分の経験ではなく、イエス様のお心に従った。そして彼の常識を超えた収穫を経験することが出来たのだ。
ペトロは、イエス様のお言葉の中に何か特別なものを感じ、イエス様の足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
イエス様の出来事の前では、自分は裸にされる。汚れに満ち、罪深い存在であることを知らされる。そして、イエス様の前に傲慢を捨てて、ひれ伏す信仰が生まれる。一度では済まない。私たちは生きる限り、この経験を繰り返すのだ。そして低くされ、よりイエス様の愛と赦しの中にいたくなる。そして許され、み手に抱かれる喜びをまた知ることが出来る。

by minitayori | 2013-01-26 22:29 | Trackback | Comments(0)

夕日に包まれて

e0191585_22191554.jpg


ケアハウスの前の広場の木。見事な緑葉と黄葉を見せてくれるが、今は枯れ木のよう。夕日が慰めるように温かく包んでいた。

by minitayori | 2013-01-26 22:24 | Trackback | Comments(0)

雪の前のサザンカ

e0191585_22105176.jpg


大雪の前日、ベランダから見たサザンカがきれいだった。この花は裏庭の花。昨年の太陽の影響がなくて葉が美しかった。

by minitayori | 2013-01-18 22:14 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ024 断想=つれづれに思うこと 

「断想=つれづれに思うこと キヨセタヨリ024」
・思いがけなく、大雪が清瀬まで来た。清瀬はあまり大きな天候の変動は無いのだが、今回の大雪には参った。
・その日の午前中、あまりに積もったので、受付の人と通路だけは確保しようと雪かきを始めた。2,3メートルで息が切れてきた。
・飯田にいた時には幼稚園があったので、先生達が来る前に駐車場の雪かきをしたのに、その思いだけはあったが、日ごろ怠けているので、体が言うことを聞かない。
・歩道に至るまでの数メートルの道を作ったが、振り向いたらせっかく雪を掻いた場所にはまた雪が積もっていた。もう明日にしようとやめたが、夕方、雪のやんだ玄関広場で、職員の女性が一人で黙々と道を作っていた。手伝おうと思ったが、やめてください!と言われてしまった。いたわりに感謝しながらも、申し訳ないという気持ちが一杯だった。
・次の朝、その職員の作った道はきれいに残っていた。感謝!
・大雪の中、小鳥たちがわずかに残った柿の実に群がって来ていた。いろいろな小鳥が来ている。3階に行き、友人の部屋を借りて何枚か写真を撮った。小鳥のことを良く知っている人で名前を教えてくれたが、覚えきれなかった。
・枯れた草木の上に優しく降りつもた雪は、太陽の光に徐々に溶けて、土の中に眠っている草木を、幼子にミルクを与えるように静かにうるおしてゆく。
・そう思って見ていると、神様の創造された自然の細やかさに心打たれる。地震、台風、大雨、突風、津波・・・等々の被害もあるが、その中にもきっと神様のみ心があると信じたい。それを読み取り、学ぶ心を持ちたい。

by minitayori | 2013-01-18 22:09 | Trackback | Comments(0)

分け合う優しさ

e0191585_21564434.jpg


いろいろな種類の小鳥たちは、雪の中であまり争うことをしない。食べつくすこともない。少し食べて飛び去り、またしばらくして帰ってきて食べる。中にはほかの鳥を威嚇して追い払うとりもいる。やはりその姿は醜いと思った。
少ないから分け合う、その優しさが必要だと教えられた

by minitayori | 2013-01-18 22:03 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて1月20日)

2013・1月20日(日)顕現節第3主日 ルカによる福音書4:16-32 
4:16 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 17 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。 18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、 19 主の恵みの年を告げるためである。」 
21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

礼拝に備えて」
イエス様は会堂に入って、聖書を読まれた。当時のユダヤ人は幼い時から聖書に親しみ、と言っても今のように本があるわけではないので、口伝で伝えられていたようである。高齢の方が若いものに聖書を聞かせ、若者はそれを覚えていた。勿論会堂には、羊皮紙の巻物に書かれた聖書が置いてあった。
私も青年期に教会に行ったが、聖書を簡単に手に入れることはできなかった。ルーテルアワーからもらった聖書が家に一冊あった。その聖書はクロ表紙で、文語体で書いてあった。集会ではカードに書かれていた聖書の個所を暗記することが、若者の中で流行していた。暗記力を競っていたものだ。しかし、なかなか難しくてその意味までは理解できなかった。それでも、暗記した聖書がいろいろな人生の岐路に、神の声として聞こえてきた。今でも文語で聖書の言葉が出てくる。
イエス様がイザヤ書から読まれた聖書の個所は、救い主の働きと、救い主がそこに居られる時の様子が示されている。つまり、イエス様の周りに、その愛に活かされた人が神の国を作りだしているのだ。マタイ11章の1~の所に洗礼者ヨハネが弟子を使わしてイエス様に「あなたは救い主か」と尋ねたところがある。イエス様はそれには答えず、私の周りを御覧なさい、と救い主の到来により、神の国で起こるであろう様子が起こっていることを示された。イザヤの預言はイエス様がおられるところに実現する。人を差別しない、愛に満ちた心によって、イエス様は神の国をこの世界にお造りなる。マルコによる福音書ではその冒頭に、「神の国の福音」と言う言葉で始まり、イエス様の到来を「神の国は近づいた」と言われた。それは抽象的な意味ではなく、イエス様がそこに居られたから神の国が始まったのである。今もイエス様がおられるところに、神の国の約束は実現される。復活のイエス様が私の中にいらっしゃるなら、私の周りに神の国がはじまる。教会にイエス様がいらっしゃるなら神の国、愛の交わりがそこにある・・はず。「今日神の国が実現する」

e0191585_20413716.gif

by minitayori | 2013-01-18 21:54 | Trackback | Comments(0)

雪の中えさを求めてきた小鳥

e0191585_21281555.jpg


















e0191585_2127996.jpg


雪でえさが見つからないのか、残った柿の実に、小鳥たちが群がっていた。ヒヨドリやメジロ、ムクドリやカラスまで来ていました。

by minitayori | 2013-01-18 21:38 | Trackback | Comments(0)

自室から見た雪景色

e0191585_2117347.jpg


自室から見た雪景色。暖かい部屋から雪見とは贅沢なことです。雪で困っている人のことを思い、玄関の前の雪かきに出かけました。しかし、3メートルもいかないうちに後ろはもう真っ白。一応道路までの、道はつけたのですが、その道の帰り、せっかくの雪かきは無駄骨となってしまいました。靴が埋まるほどに雪が積もっていました。腰を痛めていたので次の日を心配しましたが、やはり腰と腕に来ましたね。

by minitayori | 2013-01-18 21:25 | Trackback | Comments(0)