白いサザンカ

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赤いサザンカが終わって、白いサザンカが咲き始めた。春ももうマジカです

by minitayori | 2013-02-23 20:48 | Trackback | Comments(0)

スプリングコンサート

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今日、食堂でスプリングコンサートが開催されました。救世軍病院のお医者さんが仲間を集めてのコンサートでした。弦楽四重奏、素敵でした。6月に第2子の誕生を予定されている方。大阪からわざわざ駆けつけてくださった方。前半はみんなの良く知っている歌、懐かしいメロディーが流れ、車いすの方たちから歌声が聞こえた。後半は本格的な、しかし、よく聞く小曲を。あっという間の1時間でした。左にケアハウスの方々、右に恵泉の方々が車いすで並んで和やかなひと時でした。帰りの話し、「あの真ん中の先生は、私の主治医の先生。たのしいおはなしをされるのねー。」良いひと時でした。演奏してくださった方々に感謝!

by minitayori | 2013-02-23 20:44 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ027 キリエについて

「断想=つれづれに思うこと・キヨセタヨリ030」
・時々、キリエを載せてきました。このキリエは切り紙ではなくてキリエと私流の呼び名をつけました。・その日の説教を良く分かるように絵にして、時に、ろう者の人々を集めて、絵の説明をしながらその日の聖書について説明したものです。
・今日掲載したキリエは、「盲人の癒し」と言う題で作られたものです。目の不自由な人は杖を頼りに生きています。その杖を「わたしに委ねなさい。わたしがあなたの杖になるから。」とイエス様がおっしゃっているところです。
・しかし、この人は杖をイエス様にお任せしながら、全部は任せきれないで、杖に右手の親指を絡めています。全部お任せすることが不安なのですね。
でも実は、これが私たちの姿ではないでしょうか。全部を主に委ねて、「主はわが牧者、われ乏しきことあらじ!」と言えるような生き方をしたいものですね。本当の心の平安を得るために。


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by minitayori | 2013-02-23 20:30 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月24日

2013・2月24日(日)四旬節第2主日「真の癒し」
聖書 : ルカによる福音書18:31-43
18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。 32人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。 33彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」
 34彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。 35イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。 37 「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、 38彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。 40イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。 41「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。 42 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」 43 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。
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「礼拝に備えて」
 四旬節、それはイエス様の苦しみ、試練の日々を覚えて過ごす日々です。ちなみに復活後、聖霊が弟子たちに下った日を五旬節と言っている。
 イエス様はまず、弟子たちにこれから上るエルサレムで起こる事柄について説明された。イエス様は全てを承知して、ご自分に託された道を歩むと言うことを弟子たちに教えたかったのではないか。しかし、聖書によれば弟子たちはイエス様のお気持ちも、決意も何も分からなかったと知るされている。イエス様が苦しい決断をされて受け止められた、受難と十字架、それは弟子たちへの愛であり、私たちへの愛であった。しかし、それを理解しなかった。イエス様のお心の寂しさが伝わってくる。
 このお話のすぐ後に、生まれつき目の見えない方の癒しの奇跡が記されている。この人は、イエス様が誰であるかを知っており、自分の願いを素直にイエス様にお伝えした。弟子たちがイエス様の十字架の苦難を教えられながら、天国で誰が一番偉いかと論争し、内輪もめをしていた様子とあまりにも違っている。
 イエス様は、この目の見えない人の願いを聞き入れられ、癒しを与えられた。「あなたの信仰があなたを救った」と言われて。彼はこの後、神をほめたたえ、イエス様に従ったと記されている。その後、彼がどうなったかは記されていない。時が来て肉体は滅びただろう。しかし、この時、イエス様に出会ったことにより、彼はイエス様を通して示される神様の大きな愛を知って、その愛に委ねて新しい生活を始めた。
 奇跡とは、病をいやすことだけではない。真の神様の愛に心を向けて、新しい歩みを始めることではないだろうか。人の心を、自己中心から、神中心に変えることほど大きな
奇跡は無いと思う。
 その意味では、今もあなたの前にイエス様の奇跡は起こりえるはずです。「見えることです」と目の見えない人は答えました。私たちも、神様に向かって「あなたを見させてください。」「あなたを見続け、従う心を与えてください。」と繰り返し祈りましょう。そのあなたに、「あなたの信仰があなたを救った」とイエス様はおっしゃってくださいます。

by minitayori | 2013-02-23 20:24 | Trackback | Comments(0)

梅に鶯

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食堂の裏の庭に鶯やシジュウガラがやってきた。上のほうの柿の実がなくなったのか、住人の誰かがミカンを小枝にさしておいたら、好きらしくてよく来る。その下には梅の木があるが、咲かないうちに芽を食べてしまう。でも梅の木もたくましい。くじけずにつぼみを膨らませている。写真の梅の花は、近所の庭先にあった。今年初めて見た梅の花だった。

by minitayori | 2013-02-23 20:12 | Trackback | Comments(0)

何という花だろう?

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図鑑を調べたが見つからなかった。散歩道で見つけた花。横文字の花が多くて、日本古来の情緒のある名前の花が少なくなっている。

by minitayori | 2013-02-16 21:43 | Trackback | Comments(0)

「断想=つれづれに思う キヨセタヨリ028」

「断想=つれづれに思う キヨセタヨリ028」
・日曜日にはまた雪が降ると言う。毎日雪と戦っている雪国の方々を思うと申し訳ない思いがする。
・少し寒いと、風の冷たさに震えあがり、部屋の中に閉じこもっている。野良猫が寒さで食べ物が無いのか、食堂の窓辺に上って部屋の中を見ている。
・寒さの中、食べ物が無く、住むところも無い人がいる。救世軍の方々がこの寒い夜に街頭給食に行かれた。職員の方も何人か応援に行った。一日の働きを終えてのご奉仕、大変だろうと思い、神様のお守りを祈る。
・「人はパンのみにていくるにあらず」、厳しいお言葉だが、今この寒空に温かい食事を配ることは、パンのみでなく、イエス様にある愛を配ること。その愛が人の心を温かくする。
・人にとって一番大切なことは、自分が愛され、生きるに価値あるものだと思えること。


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by minitayori | 2013-02-16 21:38 | Trackback | Comments(0)

春の兆しの花

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散歩道の生け垣のところに、春を思わせるきれいな花を見つけた。色とりどりの花。しかし、一つ一つみな違って個性的。みんな違って、みんないい。あなたもあなたの花を咲かせませんか

by minitayori | 2013-02-16 21:33 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月17日(日)四旬節第1主日 誘惑

2013・2月17日(日)四旬節第1主日 ルカによる福音書4:1-13
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4:1 さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、 
2 四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。 
3 そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」 
4 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
12 イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。 
13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

「礼拝に備えて」
・公生涯のはじめに、イエス様は荒野での試練に合われました。40日40夜の断食の後に、悪魔の誘惑に合われました。4つの誘惑に合われましたが、イエス様は全てを退けました。その悪魔の誘惑の中心は、自己の欲望に従い、神に従うことをやめ、神を捨てるようにと言うことです。
・しかし、イエス様は徹底的に、神様に従う道を選ばれました。このことは創世記の3章の悪魔とアダムとの会話と堕落を思い出させます。アダムは神様の禁じられた自分の意思で善悪を知る木の実を食べ、神様の戒めに背きました。
・神様を恐れるようになり、隠れ、また自らの裸を恥じ、肉の肉と言ったはずの妻エバを、自分に罪を犯させたと非難しました。自己中心こそ、自己正当化こそ人間の罪の基であり、そこから罪の木は育ち、悪の実を実らせます。
・イエス様は全てを神様のみことばを用いて退け、神様に従うこそ自分の人生の唯一の道であると宣言されました。それは私たちの選ぶべき道です。
・しかし、悪魔は誘惑に負けましたが、時が来るまで退いたとあります。その時とは、イエス様が神様の御心に従って、私たちのために苦難を受け、十字架につけられる時にやってきました。
・しかし、イエス様はゲッセマネの園で「御心がこの身になりますように」と祈り、十字架を受け止めてくださいました。十字架の上でも、「ご自分の魂」を神様に委ねて、「終わった」と言われました。こうして私たちが自己中心の罪からのがれ、神様に戻る道を完成してくださったのです。
・四旬節の40日間、イエス様が成し遂げてくださったことを覚えつつ、感謝を持って過ごしましょう。

by minitayori | 2013-02-16 21:28 | Trackback | Comments(0)

猫、鳥の水飲み場で

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食堂裏で生まれた猫、小さい時は可愛くて猫のしぐさひとつひとつが笑顔をくれた。しかし、ここはケアハウス、病気や不衛生なことから構わなくなったら、どこかに行ってしまった。忘れたかと思ったが、また最近姿を見せるようになった。立派に大きくなったが、何を食べていたのか、何となく心配だ。小鳥にじゃれてみたり、木の上に登って降りられなくなったり、話題は尽きないが、衛生上歓迎されないのがかわいそうな気がする。

by minitayori | 2013-02-16 21:19 | Trackback | Comments(0)