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しだれ桜

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この施設の周りにはしだれ桜が何本もある。施設の入口にも何本かある。白いもの、ピンクのもの。今が盛りだ。青空の時に全部を写しておきたい。なぜ青空って? 桜の花が一番美しく見えるから。花も人もその一番美しいところを見つけ出せるようになったら、毎日が幸せになりそう。、
みんな違って、みんないい。(金子みすずの詩)

by minitayori | 2013-03-30 21:05 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ034

「断想=つれづれに思うこと・キヨセタヨリ034」

・手話の話を一つ付け加えておこう。「知る」という言葉は胸をたたく動作。「納得する」と言うことばは胸からお腹までなでおろす。
・納得は、丁度食事のように胸にとどめておかないで、お腹まで入って、消化して身体全体の力になることを意味する。
・人は聖書の言葉を、頭や、胸で分かったつもりで終わっている。だから、み言が(神様のみ心が)血となり肉となり、体全体の力になっていないので、何か問題が起こり、理解できなくなったり、頭で納得できないと神様から離れてしまう。
・手話で聖書を読み始めると、一つ一つの言葉の意味、その伝えようとする内容にまで思いをはせる。そして神様の愛のお心に触れて、喜びを持ってみ言を語る。
・そのみ言に触れた人が、喜びを持って帰ることが出来たら、それだけで、周りの人に良い証が出来る。
・野の草花が、誰も見てくれなくても精一杯咲いているのは、神様のお心に全てを委ねているからではないだろうか。桜の花がわずか数日の開花のために、一年準備しているのは何の為だろう。
・神様がそうお望みだから、短い期間でも精いっぱい咲いているのではないか。その心に触れて人は感動するのであろう。
・私も日々、そのような生き方をしていきたいと心から思う。大きな樹木の花、道端の小さな花、精いっぱい神様を賛美しているのだから。
 
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by minitayori | 2013-03-30 20:57 | Trackback | Comments(0)

ムスカリ

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ムスカリ

花の本でやっと見つけました。小さな花がかわいいです。

by minitayori | 2013-03-30 20:54 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2013・3月31日(日)復活日礼拝

2013・3月31日(日)復活日礼拝 
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ヨハネによる福音書20:1-18 
12 イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
 13 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
 14 こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。
 15 イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」
 16 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

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「礼拝に備えて」
・今日はイースター、復活日です。イエス様が2000年前に復活なさったことを覚える教会の大切な祝日です。
・この最初の復活の時の出来事をよく読んでください。イエス様を愛してやまなかった婦人達も弟子たちも、何度もイエス様の復活の話を聞いていながら、実際にイエス様の復活の時に、どうしても信じることができませんでした。
・「信じる」という言葉は、聖書の中でも、信仰者の間でもよく使いますが、手話に訳す時、大変苦労した言葉でした。一般に信じるとは「拝む」「すがりつく」という言葉を使います。
・最初まだ手話があまりできなかった頃、黒板に書いてろう者の人々にこの言葉はどうする?時きました。「拝む=柏手を打つ」はおかしいよね。ではどうしよう、ということで「すがりつく」という手話を使うことになりました。
・しかし、すがりつくのは自分の力、すがりつけないような状態になった時にこそ、信仰が必要。それで、ヨハネの1:12節の言葉から、「イエス様を受け入れる」という手話にしました。
・イエス様を受け入れると言うことは、神様の御心を受け入れると言うことです。
・復活は人間の理解の中には入らない大きな出来事です。弟子たちも婦人達もイエス様の約束は聞いて知っていました。しかし、頭で知っていただけで、心の中まで受け入れていなかったのです。
・イエス様を死から復活させてくださったのは、イエス様のためではありません。私たち一人一人に神様の命を与えるための神様の愛の行為なのです。
・心を開いてこの事実を感謝して受け入れましょう。イエス様を十字架にかけ、復活させてまで神様の命を与えようとされた神様の愛の御心を、あなたの心に受け入れてください。主の復活があなたにおめでと!

by minitayori | 2013-03-30 20:42 | Trackback | Comments(0)

ハナニラ

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hananira

敷地の玄関のところに、住人が丹精込めて花を植えている。このハナニラは、野生かどうかわからないが、一本だけ咲いていた。すぐ上には花桃の木があり、しだれ桜のきれいな花が咲いている。小さな花だが、私にはその一生懸命さと、自分の花を咲かせ続けている勇気を褒めたいと思った。

by minitayori | 2013-03-30 20:34 | Trackback | Comments(0)

花を咲かそう

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受難の暗闇は
復活の希望へと
悲しみは
永遠の喜びに
苦難は
やがて来る平安に変わることを
信じて、ゆだねて
キリストの道を歩もう
そして、今日という日に
精一杯の自分の花を咲かそう。
ゆるしと愛の花を
キリストにならいて

by minitayori | 2013-03-23 22:17 | Trackback | Comments(0)

ゲッセマネの祈り

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◆オリーブ山で祈る(ルカ福音書22章より)
22:39 イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。
22:40 いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。
22:41 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。
22:42 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔
22:43 すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。
22:44 イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕

by minitayori | 2013-03-23 21:38 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ033

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「断想―つれずれに思うこと・キヨセタヨリ033」
・いつの間にか桜が満開になっていました。あまりの陽気に桜も戸惑ったことでしょう。
・わたしは桜をイースターの木と思っています。冬の間、黒い樹が苦難に耐えるようにじっと立ち続けます。そして、受難節に入る頃になると、黒かった枝に赤いつぼみがつきます。丁度、イエス様の茨の冠によって流された血のように。
・そして、イースターの頃、新しい命の始まりのように開花します。今年は4月初旬くらいが開花と言っていたので、まさに復活を示すと思っていました。
・しかし、東京ではあちこちで、すでに満開宣言がなされています。それでもイースターの木と呼ぼう。イエス様のご受難の中に、復活の約束があったのだから。
・北の大地では吹雪で悲惨な事故が相次いでいます。大雪の中で苦しんでいる人々を思うと、桜の花に浮かれていることもできない思いがします。
・しかし、確かに春は来ている。東北の地で震災にあった人々に、希望の花が咲いてほしいと心から願っています。
・隣室の先輩が食事のために部屋を出る時に、いつも復興の歌を口ずさんでいます。「花は咲く、花は咲く」。繰り返して歌うその男性は95歳、人生の様々な苦難、喜び、悲しみを思い出しながら、きっと花の咲く時が来ると訴えているように聞こえます。
・あなたも今、苦難や悩みの中にあるかもしれない。しかし今置かれている場所で、どんなに小さくても自分らしい花を咲かせましょう。その花を神様は愛し、喜んでくださるのだから。

by minitayori | 2013-03-23 21:24 | Trackback | Comments(0)

つくしのように

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つくしのように、すくすくと。
主エスの子供よ 伸びてゆけ。
少し記憶に曖昧さがあるが、昔幼稚園で子供たちとうたった賛美歌。子供たちの元気いっぱいの声が聞こえるようだ。あの子たちはもう大学生、高校生。イエス様の愛の心も育ってほしい。

by minitayori | 2013-03-23 17:59 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて3月24日ロバの背に乗った救い主

2013・3月24日(日)枝の主日 ルカによる福音書19:28-48 
19:28 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。 29そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、 30 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。 31もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」
 32 使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。 33 ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。 34 二人は、「主がお入り用なのです」と言った。 35 そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。
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「礼拝に備えて」
・この日曜日から、受難週が始まります。イエス様の最後の一週間です。その中で起こる一つ一つの事柄は、弟子たちと私たちへのメッセージです。日曜日の日課の最初には、イエス様が弟子たちに、隣の村に行って「まだだれも乗ったことのないロバの子」を連れてくるように、お命じになりました。
・短い言葉ですが深い意味を持っています。誰も乗ったことのないロバは、神様への供え物を荷うよう用いられるために、備えられていました。
・しかも、それは弱い未熟さを表す言葉でもありました。そのロバをイエス様はエルサレム入城に用いられたのです。
・人々が待っていた「ダビデの子ホサナ(万歳)」と呼ばれる方なら、強い王の象徴として軍馬が用いられても良かったのではないでしょうか。しかし、イエス様はあえて弱いロバを用いられました。
・それはイエス様の国が、柔和と平和、愛に満ちた国であることを示すためでした。それは当時の風習でもありました。ロバは平和の象徴でもあったのです。
・「その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。他の聖書には群衆は自分たちの上着を脱いで道に敷いた、と記されています。
・王の入城の道には赤いじゅうたんが引かれていたはずです。しかし、イエス様の道は人々の汗と悲しみが染みついた汚れた上着が敷かれていたのです。
ロバの背にも弟子たちの汚れた上着が敷かれていました。
・イエス様はその道を歩まれる救い主です。高い馬の上から見下す方ではなく、私たちの弱さを用い、汗と涙と苦しみの中を歩いてくださる方なのです。

by minitayori | 2013-03-23 17:55 | Trackback | Comments(0)