手に止まる、赤とんぼ

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今日孫の運動会に招かれて、小学校の運動会に行ってきた。秋晴れの中での運動会、木陰を見つけて座っていたが、運動場の隅の鉄棒につかまっていたら、手になにか止まった。ハチかと思ったがよく見ると赤とんぼだった。生まれて初めての経験だった。さっそく娘に写真を写してもらった、顔の近くまで持っていっても逃げださなかった。しばらく止まっていてくれた。「老いの身に、慰めはこぶ、赤とんぼ」 愚作ですね。

by minitayori | 2013-09-28 21:13 | Trackback | Comments(0)

「きよせたより056」

「きよせたより056」
・いろいろな人が思いもしなかったチャンスを与えてくださる。先日の水墨画とキリエの二人展を見てくださった、近くのカトリックの老人施設の方が、「展覧会に行けなかった施設の入所者の方々にも、ぜひ見せたいので展示させてほしい」と希望された。
・昨日、展示場所を見せていただいた。玄関の正面がギャラリーになっていて、10点ほどの絵が展示できるようになっていた。
・「聖書のみことばが、施設に入っている方々にわかりやすくなるようにと願って」とおっしゃる。
・その様なことのために、用いてくださることは、私にキリエの技術を与えてくださった神様のお喜びになることだろうと、私も喜んで協力させていただくことにした。
・しかしよく考えてみると、最近、アメリカの神学校や日本の神学校、またるうてるホーム等に寄贈してしまったので、あまり気に入ったものは残っていないが、残りの中から厳選して、喜んでいただくように努力しよう。
・このように用いられると、また創作意欲が出てきそう。年齢と体力、眼病との闘いも加わってくるが、まさに「キリエ・エレイソン」=「主よ憐れんでください」との祈りが実るのかもしれない。
・5つのパンと2匹の魚という小さな捧げものを感謝して用いてくださったイエス様は、5000人の人を満腹させてくださった。
・私も、もっとささやかな捧げものかもしれないが、私の祈りを神様にささげ用いていただこうと、改めて思う。
・自分を小さいと思わないで、神様が大きく用いてくださることを信じて今日与えられている命を大切に用い、神様にささげよう。
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by minitayori | 2013-09-28 21:04 | Trackback | Comments(0)

二色の萩の花

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萩の花に2色あることを知りました。白い萩は清楚に、紫の萩はかわいらしい!

by minitayori | 2013-09-28 20:57 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2013・9・29(日) ルカ16:19-31 

2013・9・29(日) ルカ16:19-31 「天国に入るもの」
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16:19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、 21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。 22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
 23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。・・・・・・。

「礼拝に備えて」
・自分の欲望のままに生きるか、ラザロ(神が憐む)を求めて生きるか。金持ちとラザロの話は、人間の生きる道に二つがあることを示している。
・名誉や富は神の国に入るのには役に立たない。利休は茶室を作るときに、にじり口という小さな入り口を通って入るように設計したという。
・茶道の世界では、身分の上下はない。武士も町人も同じ立場に立つものであることを、形を通して示すためであったと言われる。
・神様の国でも同じことが求められている。大切なことは今の時に、神様にしたがって生きるかどうかであり、地位や富が神の国に入る条件にはならないということだ。
・金持ちは地域では有名人であったはずなのに、ただ「金持ち」としか呼んでもらえなでいる。しかし、この金持ちの家の前で、物乞いをし犬に傷をなめられるような状態の人が、ラザロ=神様の憐みの中にいる人、と呼ばれている。
・弱さゆえに、神様に助けを求める。弱さ貧しさは、神様に近づく恵みともいえる。そこで神様が、私を憐れんでいてくださることを知る。
・傲慢さは、彼とその家族にまで及んでいる。家族の幸せは、金や名誉では得られない。神に従う愛と謙遜さの中に受け継がれるものであることを思いたい。
・時の終わり、死に瀕して、神様を求め、洗礼へと導かれる人が、ホスピスにはよくいるという。ずるいという人もいる。
・しかし、私は死という自分にはどうしようもない事実の前に、打ち砕かれ、謙遜に神様の前に頭を垂れることができる人は、偉いと思う。
・ずるいと非難する人の方が、罪赦されている神様の大きな愛を忘れている「金持ち」と同じ心を持っているように思う。
・イエス様は十字架の上で、いまわの時に、隣の十字架に付けられている人に、「今日あなたは私と一緒に天国に入る」と言われた。
・彼はイエス様に、「あなたが天国に行かれる時に、私を思い出してください」と言っている。イエス様の思いの中にいたいと願ったのだ。
・神の国とは、神様の憐みに、愛の思いに包まれていることを望み、喜ぶ人に与えられているものである。

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by minitayori | 2013-09-28 20:51 | Trackback | Comments(0)

秋の夕焼け

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施設から見た秋の日の入り、夕焼け。あまりにきれいなのでご紹介を!

by minitayori | 2013-09-28 20:44 | Trackback | Comments(0)

小さな蝶の一休み

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久しぶりに写せた蝶。名前はわからないが暑い日差しの中、懸命に蜜を吸っている。次の命をはぐくむためか。神様のお意志のままに。小さな命に神様の美しい装い。

by minitayori | 2013-09-21 21:54 | Trackback | Comments(0)

キヨセタヨリ055

「キヨセタヨリ055」
・ホスピスに入院された方のために手話通訳を頼まれた。不安と悲しみの中にある家族のために、一通訳ではいられなくなり、毎日訪問して、一緒に祈って過ごした。
・チャプレンの居る施設に、出すぎたことをしたという反省もあるが、耳が不自由で、医師や看護婦たちと筆談でしたか語れない、心の辛さを思うとじっとしておれなかった。
・ホスピスは緩和ケアの病院。命の終わりの時をいかに安らかに過ごすか、スタッフのみんなが心がけている。その心を伝えたいと思った。
・土曜に召され、水曜日に、故人となられた方の知人の、手話のできる牧師によって手話の葬儀が行われた。気持の張った、精神的に疲れた一週間だった。思いがけない一週間だった。
・ある雑誌の私の自己紹介の記事に、引退したので牧師という肩書は不要と言ったら、「牧師は死ぬまで召され、献身しているのではありませんか、牧師と書きます」と言われてしまった。未熟な謙遜を恥じました。
・9月19日は中秋の名月、満月をしみじみと眺めていた。ウサギがもちをついていると言われて、素直に信じていた時代もあったものだ。
・近くの病院の庭に「曼珠沙華」の花が満開だと言うので写真を撮りに行った。熊本では、市街地から離れた施設を訪問した時、田んぼの畦道にこの花が群生していた。緑と赤のコントラストの美しさに見とれたことを思い出す。
・この花は彼岸花ともいう。この時期に咲くからだろう。「すべてに神様の時がある。」このことを素直に信じ、従順に神様に従うことが必要だと教えられた一週間でした。

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by minitayori | 2013-09-21 21:44 | Trackback | Comments(0)

白い百日紅の花

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散歩道に白い百日紅の花が、抜けるような青空に誇らしげに咲いていた。
青空には真っ白な雲がゆったりと流れていた。
神様の作られた自然、いつまでも美しくあってほしいと思った。

by minitayori | 2013-09-21 21:38 | Trackback | Comments(0)

礼拝んに備えて9月22日(日)ルカ16:1-13「良き管理人に」 

2013・9月22日(日)ルカ16:1-13「良き管理人に」

 10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
 11 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 12 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。 13 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
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「礼拝に備えて」
・「人は一人では生きられない。多くの物や人に支えられて生きている。この恩に報いることは、物を生かし、人を生かすことである。」
・この文章は、父が私に送ってくれた最初の手紙の文面です。父は私が牧師になりたいと願った時、私を勘当し、家には帰るなと荷物共々追い出した。
・しかし、一番私のことを心配していてくれた。年末の多忙な時期に、そっと帰郷して仕事場に立つ私を黙認してくれた。そして、帰りには母を通して、交通費と小遣いをくれたものだ。
・その父が、人を導く働きをする私を諌めるために書き送ってくれたものだと受け止め、部屋に張っていつも心にとめていた。私の一生は、父が心配するような地位も名誉も得ることはなかったが、人を愛すること、仕えることについては不十分ながらも一生懸命だったと思う。
・富や知識に頼る人、地位や権威に頼る人は、往々にして周りのすべてが自分の力によってどうにでもなると思ってしまう。
・人を見下げ、他人のすべてが自分に従ってくるかのように思ってしまう。河野進という牧師の詩がある。

≪病む≫
病まなければ
聞き得ない慰めのみ言葉があり
捧げ得ない真実な祈りがあり、
感謝し得ない一杯の水があり
見得ない奉仕の天使があり
信じ得ない愛の奇跡があり
下り得ない謙遜の谷があり
登り得ない希望の山頂がある

・日課の聖書に登場する管理人は、主人の財産から不正な方法で富を蓄えていた。預かっていた富が持つ魔力というものではないだろうか。
・キリスト者は様々な恵みや自分の能力が、神から委ねられたものであることを知っている。しかし時にはその富を自分だけのものとして、富(神の恵み)にあずかっていない人を軽んじることはないだろうか。
・牧師という職務も神様からの預かりものであった、と改めて思っている。今、その職務から放たれて身軽になった喜びもあるが、一抹の寂しさが心に残ることも事実である。その心を神様!と呼ぶことによって、満たし、神の僕、いや神への乞食となって恵みを求めていきたい。

by minitayori | 2013-09-21 21:32 | Trackback | Comments(0)

中秋の名月と夕顔

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 夕刻、食事が終わって玄関を出たら、夕顔が一つだけ咲いていた。もう終わりかな?
部屋に入って、テレビで全国的に今日は満月が見えるというので、ベランダ(非常階段)に出てみたら、見事な満月を見ることができました。肉眼では見えないが、望遠でみると海のように見える影が見えた。昔はこれをウサギがおもちをついていると信じていたものです。合成写真です。

by minitayori | 2013-09-21 21:23 | Trackback | Comments(0)