海棠=カイドウ=

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バス停の近くに小さな公園がある。犬の散歩と子供たちの語らいの場所。この公園の周りに、ボケの花が植えてある。今日見たのだが、少し違う花があった。「海棠=カイドウ」という花だそうだ。小さな可愛い花だった。互いに花の時期をずらして、助けあっているように思えた。

by minitayori | 2013-10-26 21:33 | Trackback | Comments(0)

「キヨセタヨリ060」

「キヨセタヨリ060」
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・26号台風の時と、今回の27号台風に備えて、ケアハウスではベランダの植木鉢など飛びやすいものをすべて、部屋の中に入れるようにとのお達しがあった。
・どうせ来ないからする必要はないだろうという人もいたが、それでもと部屋の中に取り入れた。緑に囲まれて森の中にいるような気分。しかし、実際に被害にあっている人のことを思うと心が痛い。
・まだ結果はわからないが、それてくれるとありがたい。この台風で高温化した海の水が撹拌されて、冷やされると、魚も普段のえさ場に帰れる。
・しかし、もう近くまで寒冷前線が来ている。あの夏の暑さ、台風で吹き飛んで、すぐに冬が来る。
・清瀬の森の紅葉も、戸惑って青いままです。桜の花と紅葉の散歩道であった、隣の病院の敷地の一部が、スーパーに貸し出され、工事が始まった。
・自動車の通りの激しいところで高齢者施設の前だから、当然横断歩道ができるのかと思っていたら、できないとのことだ。足の不自由な人が遠回りをして買い物に行かなければならない。
・危険な道を横断しなければよいのだが・・・。折角できたスーパーだから行きたくなるよね。もっとも無駄使いをしないようにということかな。
・一つのスーパーができることによって、地域が変わってしまう。便利さよりも、以前の自然の豊かな静かさの方がよかったと思う時が来るのだろう。
・人は失ってみないと、そのものの本当の大切さがわからない。愚かなものですね。貧しくとも心豊かに生きよう。

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            レプタ二枚の捧げもの(神の喜ばれた捧げもの)

by minitayori | 2013-10-26 21:24 | Trackback | Comments(0)

フウセンカズラ

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近くのポストのところにあるマンションの柵に、小さな花と袋がぶら下がっている。花も可愛い、袋も可愛い、そして葉も新緑の色をして美しい。いつも不思議な気持ちになる。

by minitayori | 2013-10-26 21:14 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2013・10・27 ヨハネ2:13-22=宮を清める=

2013・10・27 ヨハネ2:13-22=宮を清める=

2:13 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。 2:14 そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。 2:15 イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、 2:16 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
2:18 ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。
2:19 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」2:21 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。
2:22 イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
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「礼拝に備えて」=宮を清める=
・10月の最後の日曜日は、ルーテル教会では宗教改革主日として守られている。ルターは10月31日にヴィッテンヴェルグ城教会の正面玄関に95カ条の教会への質問状を貼りだした。
・この日は全聖徒の日として、全村民が集まる前日だった。みんなで討論をし、考えようとするルターの願いがあったのだ。
・この教会への質問状は、伝統的教会の根幹を揺るがすものであり、同時に一般の信徒の人々が共感できるものであった。
・丁度、この時期に作られた印刷機によって、この質問状はドイツ全土に配布され、教会としても抑えきれない問題となった。
・イエス様が神殿でなしたこと、言われたことがそのまま、この質問状の内容であったと言える。「わが父の家を商売の家とするな!」
・教会の権威、それは形骸化し、教会は教会のために存在するかのように思われていた。イエス様の宮清めが、イエス様を殺そうとする思いに火をつけたように、当時の教会はルターを教会裁判にもかけた。ルターは有罪となり国の保護を受けられなくなった。
・ルターは書物を焼かれ、殺されるかもしれない状況の中で、「この町の屋根の瓦のすべてが、私に敵しようと、わたしはこの(聖書)上に立つ」という有名な言葉をのこしている。
・宗教改革は、ルターが聖書から受けた、神の御心を純粋に受け止め、感謝する信仰を回復することであった。
・ルターの教会はいつもこの原点に立って生きる。聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ。ここから流れ出る大河のような神様の恵みを受けて、日々感謝して生きる教会、信徒でありたいものです。
・そして、この信仰を守るために、教会はいつでも宗教改革をする勇気と祈りを持って、信仰を正していかなければならないのです。


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ルターが教会の裁判で「我ここに立つ」と聖書を片手に宣言した場所にあるプレート
裁判の行われたヴオルムス大聖堂のあった近くの公園に置かれていた記念碑。友人の先生がドイツを尋ねて探し出してくれたもの

by minitayori | 2013-10-26 20:31 | Trackback | Comments(0)

花海棠(ハナカイドウ)

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近くの郵便ポストの横にある小さな公園にボケの花に交じって、海棠の木があった。実は今年初めて気がつきました。きれいな花です

by minitayori | 2013-10-26 20:02 | Trackback | Comments(0)

花と蝶

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黄色花コスモスに蝶が飛んできました。花も枯れかかっているが、精いっぱい開いて蜜をあげている。その愛に抱かれているような姿が、愛らしく、美しい。

by minitayori | 2013-10-19 21:13 | Trackback | Comments(0)

キリエ展

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カトリックの養護施設ヨセフの家でのキリエ展示会。13点ほどお貸しした。昨日は隣室の方と一緒に3人で見に行ってきました。玄関の廊下がギャラリーになっていて、いすを並べてくれて座って眺めることができるように配慮してくれた

by minitayori | 2013-10-19 21:04 | Trackback | Comments(0)

「キヨセタヨリ059」 祈れる人に

「キヨセタヨリ059」
・今年の異常気象はどうしたことだろう。酷暑が続き、やっと秋風が吹き始めたら、今度は異常に強い台風だ。
・しかも今年は関東に向かってくる台風が多い。伊豆大島の台風による被害は目を覆うばかりだ。
・夜間の避難は危険と思って、避難勧告を出さなかった、と言われるが、その思いやりが多くの犠牲につながってしまった。
・予報なのだから、もっと前に出して、明るいうちにでも避難できなかったのだろうか。責任を感じ、痛恨の思いを持って事情を語る町長の顔を見ていると何とも言えなくなる。
・気象庁は予想進路が分かっていたのだから、警報を出すべきだった。規則や規制がそれを阻んだ。
・臨機応変にその場にあった柔らかい対応が望まれる。予報が外れても被害がないほうがよいのだから。
・また、各地で農家の人々や、果実栽培の人々は大きな被害を受けた。右を向いても左を向いても、普通の人々が生きにくくなった。
・このケアハウスでも認知症になったご夫妻が、施設を出ることになった。最初にご主人が、次に奥様が。しかし、受け入れてくれる施設がなかなか見つからない。
・自分の置かれた状態が分からないからなのか、明るく過ごされるその方の姿を見ているのが辛い。そして、明日は我が身と身につまされている人は私だけではないだろう。
・幸せとは、手話では、長生きして日向ぼっこしながら、老人が髭をしごいているよう姿を語源としている。
・こんな姿はもうないのだろうか。しかし、「今日も生きていて良かった。みんなのために祈る時間を与えられたから。」せめてそう思いつつ、今日を幸いに生きていたい。

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           ゲッセマネでの主の祈りの言葉を思い出そう。
「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」

by minitayori | 2013-10-19 20:55 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2013・10・20 聖書ルカ18:1-8

2013・10・20 聖書ルカ18:1-8
18:1 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。 2「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。 3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。4 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。 5 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。 7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。 8 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
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「礼拝に備えて」 ・・憐れみに中で・・
・ルカはギリシャ人の医者で、ユダヤ人から見れば異邦人=汚れた民=でした。しかし、イエス様はその彼をも、弟子のひとりに加えてくださった。
・イエス様との出会いは、パウロのみ言葉によってではあったが、イエス様が当時、汚れたものとされていた病人、罪人、異邦人にも同じように愛を注がれ、罪を赦し、神のものとして迎えてくださることを知り、イエス様に従った。
・パウロの伝道に同伴し、イエス様のみ言に出会い、また、イエス様の母マリヤさんの晩年の主治医を務め、マリヤさんからイエス様のことを詳しく知るにいたり、イエス様のお心を深く理解した弟子となった。
・ルカはその福音書で、「全ての人の救い主」であるイエス様のお姿を伝えようとしている。特に、罪人、病人、異邦人を区別しない神様の大きな愛を学び、それを伝えようとしている。
・今日の日課の意地悪な裁判官のたとえは、反面教師として書かれ、ましてや神様は、と神様のお姿を示すために強く印象づける言葉を用いている。
・昼も夜も、神様に願うものを決してほっておかない。救いを求めるものへの人間の思いを超えた愛を注がれる神様の姿を想像させる。
・悪い裁判官は自分のために、呼び求めるものに有利になることをしようとする。ましてや、あなた方を心配し、憐れまれる神様はそれ以上のことをして下さらないはずがあろうか。
・ルカの福音書には、「憐れまれる」という個所が多い。さらに、そのようなひたむきな信仰をもつ者に、「あなたの信仰があなたを救った」という易しい言葉が付け加えられている。
・だから、祈り続けよう。あなた自身のために、家族、隣人、この世界のために神様の愛が、癒しが注がれるように。
・あなたの命は、あなた自身と、隣人への取りなしのために与えられている。あなたは神様との間に立つ、祈りの祭司なのだから。そして祈りは愛から生まれるのだから。

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by minitayori | 2013-10-19 20:39 | Trackback | Comments(0)

ハケオモト

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隣室の廊下の棚の上に咲いていた花。ハケオモトという名前だそうです。確かに、切り絵の切りくずを集める時に使う刷毛のようです。

by minitayori | 2013-10-19 20:27 | Trackback | Comments(0)