クレマチス?

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 お屋敷の庭に咲いていた白い清楚な花。開き具合があまりに見事だったので写しておいた。その家の方はたぶんクレマチスだと言われたが、私の持っている本の中にはこれに似た花も、クレマチスの花の形も違った。わかる方教えてほしい。

by minitayori | 2014-04-26 21:56 | Trackback | Comments(0)

主に出会う弟子

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 復活の主に出会った弟子は、喜びとともに、「み心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」という祈りを実践するために、送り出された。

by minitayori | 2014-04-26 21:45 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ084」

 「ミニタヨリ084」

 「主よ、私をお使い下さい」
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主よ、今日一日、
貧しい人や病んでいる人を助けるために、
私の手をお望みでしたら、
今日、私のこの手をお使い下さい。

主よ、今日一日、
友を欲しがる人々を訪れるために、
私の足をお望みでしたら、
今日、私のこの足をお貸しいたします。

主よ、今日一日、
優しい言葉に飢えている人々と語り合うため、
私の声をお望みでしたら、
今日、私のこの声をお使い下さい。

主よ、今日一日、
人は人であるという理由だけで、
どんな人でも愛するために、
私の心をお望みでしたら、
今日、私の心をお貸しいたします。

 ずいぶん昔だが、誰から教えていただいた歌か忘れてしまった。しかし、様々な時に心に響いてきた祈りの詩でした。
歌にもなっており、手話に変えて、教会学校の生徒や幼稚園の子供たちに教えたことがある。
 さすがに幼稚園生には無理かなと思ったが、20余人が見事に手話で歌いきった。5歳児だったと思う。その時のビデオの記録もあるのだが、引っ越しでどこかに入ってしまった。
 東京でも婦人会のメンバーが歌ったことがあった。雑誌の手話紹介にも掲載してもらったこともあるが、歌い続けてほしい歌です。

by minitayori | 2014-04-26 21:41 | Trackback | Comments(0)

しゃくやく

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 駅に行く通り道に、いつも腰をおろして道路を眺めているご婦人がいる。わたしよりだいぶご高齢だ。先日目があったので庭の芍薬の花がつぼみになっていたので、その話をきっかけに話すようになった。今日見たら見事に咲いていたので、写真を撮らせてもらった。身の上話から始まって、お茶に誘われたがさすがに厚かましいのでことわった。今度この写真を持って、また話してこよう。
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by minitayori | 2014-04-26 21:23 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2014・4・27 ヨハネ20:19-23 「聖霊を受けよ」

2014・4・27 ヨハネ20:19-23 「聖霊を受けよ」
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20:19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
 21 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
 22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
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「礼拝に備えて」聖霊を受けなさい
 復活後の最初の夕方、復活のイエス様は弟子たちの所に来られた。部屋は戸を閉じていたのに・・と記され、弟子たちは、イエス様が平和があるように、と言われ、手と脇の傷を見せられるまで気がつかなかったようだ。
 その弟子たちに、イエス様は再び、「シャローム=平和があるように」と挨拶され、弟子たちを宣教のために派遣されていることを伝えられた。
 そして、神様の働き人となるために、「息を吹きかけ聖霊を受けなさい」と言われた。この個所は天地創造の時の様子を思い起こさせる。人は神に創造された時、「土のチリで形造られ、命の域を受けて生きるものとなった。」つまり、神の息によって神の御心を知る者となり、神のために生きるように召されているのだ。
 ある人が、人間は母の体より出で、へその緒を切り離されてから、母への回帰を始めている、と言ったが、それは人の心に潜む、神への回帰の心でもあると思う。
 「人の魂は、自分の造り主の胸に憩うまでは、真実の平安をもつことはできない。」と告白した中世の有名な教父がいた。まさにそれはこの方の人生の帰結であった。
 弟子たちは、これからこの真の平安(シャローム)の世界へと導かれる。迫害にあっても、殺されても、失われることのない平安、神と共に生きる真実の平安と喜びの世界に、導きだされようとしている。
 聖霊によって神と共に生き、真実の平安の中にあなたも生きてください。

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by minitayori | 2014-04-26 21:14 | Trackback | Comments(0)

真紅のつつじ

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 アパートの裏庭につつじが咲いている。管理をされているご婦人が丹精をこめて育てている花だ。都会のコンクリートジャングルの中ではよく道路の脇に咲いて、排ガスで黒っぽくなってるが、ここの花は空気もよいせいか真紅の色が美しい。春爛漫という言葉がよく似合う。

by minitayori | 2014-04-26 21:03 | Trackback | Comments(0)

赤いバラの蕾

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 赤いバラは、あなたのために流されたイエス様の愛の血。あなたのためにゆるしの愛の血が今流されている。受けませんかあなたの胸に。

by minitayori | 2014-04-19 21:14 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ083」

「ミニタヨリ083」
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       私の傷 
    わたしは傷をもっている。
    でもその傷のところから、
    あなたの優しさがしみてくる。
            星野富弘 「風の旅」より


これは星野富弘さんの詩です。星野さんの詩には、星野さん自身の信仰の喜びと安らぎがあふれています。
皆さんがご存じのように、星野さんは体育の先生でしたが、学校で鉄棒から落ちてケガをしたのがもとで、首から下が動かなくなりました。星野さんは筆を口にくわえて詩を書き、絵を描き、本をたくさん作っておられます。
星野さんは著書「風の旅」の中に、こういうことを書いておられます。
「夜があるから朝がまぶしいように、失った時、初めてその価値に気づくことがよくあります。」
突然の事故で体が動かなくなった。このことは、とてもつらいことだったでしょうが、星野さんは体が動かなくなったことで、それまで見過ごしていたこと、気づかなかったことをたくさん発見しました。木や花の美しさ、人のやさしさ、そしてずっと前から星野さんのそばにいてくださったイエス様を発見しました。星野さんはイエス様を信じたのです。
体が元気で自信満々のときには、たとえ聖書の話を聞いても、耳に入らなかったことでしょう。そばにいてくださるイエス様のことも、目に入らなかったことでしょう。
でも、星野さんが「体が動かない」という大きな傷をもったとき、その傷からイエス様のみ言と愛が入ってきたのです。そして聖書の言葉はグングン大きく育っていき、神様の愛をたくさん実らせました。すると星野さんの心にあった大きな傷は、いつのまにか、神様の恵みの入り口となり、それだけではなく神さまの愛があふれ出てくる恵みのポケットに変わっていたのです。
傷が大きければ大きいほど、深ければ深いほど、聖書の言葉は傷の深い所まで根を張って行きます。そして星野さんは、神さまの愛を絵や詩でたくさん実らせました。
私たちも日々、いろいろな悩みや苦難など傷をもつことでしょう。でも傷はマイナスばかりではありません。傷のあるところから、聖書の言葉、イエス様を通して与えてくださる神様の愛があなたの心に入っていきます。そして心に、神さまの愛がたくさん実っていきます。
自分の傷がいつのまにか、神さまの愛であふれる「恵みのポケット」に変わる、こんな素敵な経験をしてほしいですね。


by minitayori | 2014-04-19 21:04 | Trackback | Comments(0)

復活の朝

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 墓にはイエス様の姿はなかった。白い布がおかれ、白い衣を着た若者がイエス様の言葉を婦人たちに伝えた。

by minitayori | 2014-04-19 20:54 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2014・4・20 復活祭 マタイ28:1-10 「大いなる喜び」

2014・4・20 復活祭 マタイ28:1-10 「大いなる喜び」
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28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 2すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 3 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
5 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、 6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」>
8 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。9 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
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「礼拝に備えて」
 長い間、手話でキリスト教を聴覚障害者に伝えてきた。手話は人間の日常動作、また眼に見える形、動作を基にして作られている。キリスト教用語は私たちの日常動作では表せないものが多くある。
 だから、キリスト教用語をできるだけ身近に起きる出来事に置き換えて考え、次に分かりやすい手話に置き換えてゆく。50年の間この働きをしてきて、未だに自分の中で納得できない手話が沢山ある。教会の大切な教えがその中に多く含まれるから厄介だ。
 今日の「復活」という言葉を手話に訳すために、いろいろと考えてきた。甦る=(再び生きる)(もう一度+生きる)(よみから+戻る)などなどいろいろ考えるが、いま一つしっくりしない。
 ある時、ケアハウスでクリスチャンの婦人たちが「復活」について話していた。難しい話ではなく、復活するなら「今のままではいやですね」というたぐいの話だった。確かに、白髪になり、腰が痛い、足が痛い、肩が痛いままでよみがえるなら、「いやだねー」というのが結論だった。
 日課の聖書で、復活の主に出会い、最初の復活の証言者となったのは、婦人たちだった。婦人たちは、墓の石を動かす力もなく、頼るイエス様もいなくなった。婦人たちの心に何が残っていたのだろう。(無)無力感ではなかったであろうか。その彼女たちが復活の最初の証人に選ばれた。
 婦人たちは天使からイエス様の復活を告げられた後、恐れながらも喜んで弟子たちのいるところへ歩み出した。しかし、その先にイエス様は待っておられた。無力感に打ちひしがれていたが故に、婦人たちはイエス様にただすがりついた。ここに復活があるのではないだろうか。
 人の知恵で復活を理解することではなく、理解できないがゆえに、主よ信じます、不信仰な私をお許しください、と祈る心が必要になる。そのような者を、イエス様は「今日あなたは私と一緒に永遠の命に生きる者となった」とおっしゃってくださる。
 弱さをもって明日のイースターの礼拝に出て、聖餐を通してイエス様の愛に触れよう。



by minitayori | 2014-04-19 20:51 | Trackback | Comments(0)