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アリストロメリ

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 アパートの庭に咲いていた珍しい花。花図鑑を調べてやっと名前を見つけた。形は似ているが色が違ったので心配だが、正しい名前を知っている方がいたら教えてほしい。

by minitayori | 2014-05-31 17:52 | Trackback | Comments(0)

イイタヨリ087 「アメージング・グレイス」

「ミニタヨリ087」
 讃美歌第2編167番に、「アメジング・グレイス」の日本語版の歌が載っていた。ここに紹介しておこう。
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1、われをも救いし くしきめぐみ
  迷いし身も今  立ち返りぬ
2、恐れを信仰に  変えたまいし
  わが主のみ恵み げにとうとし
3、苦しみ悩みも  くしきめぐみ
  今日まで守りし 主にぞ任せん
4、わが主のみ誓い とわにかたし
  主こそはわが盾 わがいのちぞ
5、この身は衰え  世を去るとき
  喜びあふるる  み国に生きん。

 Amazing Grace
 この歌はTVのCMで使われてから、日本でも有名になったのですが、英語で書かれた讃美歌としても、もっとも有名かつポピュラーなもののひとつだと思います。
作詞: ジョン・ニュートン、1779
    John Newton (1725-1807) 作曲:不詳
 歌詞そのものの内容や、メロディーの美しさはもちろんなのですが、この曲が親しまれている訳はそれだけではありません。作詞者のジョン・ニュートンは1725年にイギリスで生まれましたが、クリスチャンになる前は奴隷商人でした。帰りの船の中でクリスチャンのグループの賛美と祈りの姿に心打たれて、今までの自分自身の人生を反省し、キリスト教に帰依した。彼はその後、洗礼を受けクリスチャンになり、主の恵みを素直に感じたままに、その気持ちを綴ってこの詩をしたためた。彼の正直なあかしは、多くの人々に感銘を与え、心を揺さぶったのでしょう。だからこそ、今の現代に至るまで、連綿と歌い継がれてきているのではないでしょうか。
 熊本にいた時、会員のアメリカの友人が夜の礼拝に来て、この歌をピアノ弾き語りでよく独唱してくれました。数人の礼拝でしたが、歌の後で時々、この歌の背景のお話をしました。非情な奴隷商人であった過去を、イエス様に出会うことによって悔い改め、イエス様に従うことの喜びを詩にあらわした、この人の悔いと、救われた喜びがよく表されています。この人は後に、牧師になり、自分の経験を、感謝と喜びをもって語り伝えたという。 何回か歌っていただきましたが、今思うとお礼が、キリエ一枚だった、と非礼を詫びたい思いです。でも、イエス様の絵とキリエ「主よ、憐れんで下さい」の意味をお話してよい交わりをいただきました。あなたも同じイエス様の愛の中に包まれています。同じ喜びをj自分の物としてほしいですね。

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         「どくだみ」

                       星野富弘氏の詩画集より
おまえを大切に 摘んでいくひとがいた
臭いといわれ きらわれ者のおまえだったけれど
道の隅で 歩く人の足許を見上げ ひっそりと生きていた
いつかおまえを必要とする人が 現れるのを待っていたかのように

おまえの花 白い十字架に似ていた


 少年のいたずら盛りの時、よくけがをした。母がどくだみの葉をすりつぶして、傷に塗りこんでくれた。悪いものをみんな吸い取ってくれるから、早く治るよ、と言いながら。
 今思うと、イエス様の十字架のようだ。すべての人の罪を担ってくださった十字架。

by minitayori | 2014-05-31 17:51 | Trackback | Comments(0)

咲き始めたアジサイ

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 アパートの中庭に。アジサイが咲き始めました。紫のきれいなアジサイでした。いろいろな色があるようでこれからが楽しみです。

by minitayori | 2014-05-31 17:34 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2014・6・1  ルカ24:44-53 「イエス様が一緒だから」

2014・6・1  ルカ24:44-53 「イエス様が一緒だから」
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24:45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
 47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。

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「礼拝に備えて」
 教会に与えられている、一番大きな力は『福音』つまり、「イエス様が苦しみを受け、十字架に付けられて死に、三日目に死者のうちから復活された。全ての人のために。この罪の赦しを得させる悔い改めが、「良き知らせ=福音として」イエス様のみ名によってあらゆる国の人々に述べ伝えられる。」このために教会は立てられ、牧師は召されている。
 この言葉は、私を洗礼へと導いてくださり、牧師の道へと送り出してくださった初代の宣教師の先生の口癖だった。人が救いを受けるのは、復活して今ここに生きておられるイエス様に出会い、その愛の大きさに感動した時、本当の信仰が生まれる、とよくおっしゃった。
 この宣教師は、日本の気候が合わなかったのか、喘息になり気候のよいところを転々とされたが、最後に喉頭がんになって帰国された。しかし、日本の病院で手術をしたいと、再度来日されて、がんセンターに入院手術をされることになった。
手術の一週間ほど前にお見舞いに行ったが、先生は病室にはおられない。看護士さんに聞いたら別の病室でお話ししていらっしゃいますよ、と言うのでその病室に行ってみた。先生はベッドの横で、聖書を片手に一生懸命イエス様のお話をしていた。明日、先生と同じ喉頭がんの手術をする人だった。話し終わって、静かに祈る後ろ姿は、本当に神々しかった。
その後、先生も手術され、経過が良く、本国に帰って療養されることになった。池袋から出るリムジンで空港に行かれるというのでお別れに行った。先生は私は声がでなくなるので、今私が覚えられる手話を教えて欲しいと言われた。
最後まで伝道に身をささげたいというお気持ちに、胸を打たれながら、三つの手話をお教えした。「イエス様」+「一緒」+「大丈夫」。先生は何度もその手話を練習しておられた。リムジンが来て乗られた先生は、ガラス窓越しに私の方を見ながら、三つの手話を笑顔で何度も話された。
イエス様+一緒+大丈夫。私は涙で曇る目で見つめながら、同じ手話を繰り返した。先生はその度に笑顔でうなずかれた。それが先生との最後の別れになった。しかし、この出来事は、福音の心を示すものとして私の心にしっかりと残った。


by minitayori | 2014-05-31 17:28 | Trackback | Comments(0)

床下のマツバ菊

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アパートの入口の床下に広がる「マツバ菊」今が満開のようです。小さな花でも群れて咲いていると、力強さを感じます。「人は一人では生きられない、多くのモノや人に支えられて、生かされることによって生きている」。そんな言葉を思い出させます。群れて仲良く、楽しそうです。

by minitayori | 2014-05-31 17:12 | Trackback | Comments(0)

雨とバラ

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 雨の帽子をかぶったおしゃれなバラの花

by minitayori | 2014-05-23 22:14 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ086 夜が更けるのは

「ミニタヨリ086」
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            夜がふけるのは

夜がふけるのは 朝がはじまるため
冬が来るのは 春を迎えるため
悲しみは 喜びの先ぶれ
失望は 希望への道しるべ
太陽はどこでも 明るくまわっている
                   河野(こうの)進牧師の詩


花が散るのは、次に咲く準備のため、別れは、新しい出会いのため、大輪の薔薇の花が散り始めた様子を見て、河野先生の詩を思い出した。いつも、喜びに満ちた明日があることを覚えていたいものです。
念ずれば、明日が必ず来る。念という言葉は、今に心を注ぐという意味と聞く。今に心を注ぎ、どんなに小さなことにも一生懸命生きる人に、「明日」明るい日が来る。私はいつもそう思って、病や、痛さや、辛さを乗り越えてきた。
明日という字は、明るい日。夜の向こうに朝が待っているように、苦しみの先には、神様が待っていてくださる。そこに至る道を、イエス様は共に歩いていてくださる。あなたにも明日がある。イエス様が共に歩いてくださる今日があり、イエス様が待っていてくださる明日を信じよう。

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by minitayori | 2014-05-23 22:10 | Trackback | Comments(0)

バラの館

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 今まで紹介したバラは、このような家の庭の花です。少し旬を過ぎてしまったが、今日もきれいに咲いていた。しおれ行く花を励ますように、孫のようなつぼみが近くに咲いていた。新しい命を受け継いでいるように、よく咲きますね!と道行く人が後ろから話しかけてきた。雨風に打たれてたくましいこと

by minitayori | 2014-05-23 21:58 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えtげ 2014・5・25 ヨハネに14:15-21 「共に居ます方」

2014・5・25 ヨハネに14:15-21 「共に居ます方」
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14:15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 17 この方は、真理の霊である。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 18 わたしは、あなたがたを孤児にはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
 20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
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「礼拝に備えて」
 牧師になる前の事、ある先輩のところに招かれた。いろいろなことを教えてくださったが、心に残っているいくつかの言葉がある。その一つは、牧師と言う働きは、非常に精神的に孤独な働きである、ということだった。信徒の中に入りすぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。説教壇に立つときには誰も助けてはくれない。その孤独さに耐えられるか。説教が終わっても、褒め言葉を期待してはいけない。会員の方々がイエス様に出会ったかどうかだけを喜びの基準にしなさい。
 第二は、信徒の人を友人のように信用してはいけない、と言われた。これには少し驚いた。牧師と信徒は信用し、信頼によって結ばれているものだと思っていたからだ。
 しかし、先輩の先生は牧師は信徒を信用したり信頼したりすることによって結ばれているのではない。それは相手に同等の物を求めているからだ。牧者と呼ばれる牧師は教会に来る人々を自分にゆだねられた羊として愛すること、この一念で結ばれていなければならない、と。
 最後の一つは、自分が牧会した教会には、招かれない限り、離任したら10年は顔を出してはいけない、と。
 40年の牧師としての働きをさせていただき、3つの教会で働くことを許された。第一の注意については、よく一人、誰もいない夜の礼拝堂で祈り、孤独さに涙した。イエス様の内にいることを感じ、聖霊のお力をいただいたものだ。
 第二の注意については、なかなか難しいことだったが、イエス様にならって善き羊飼いとして、未熟だったが信徒を愛することを心がけた。
 第三の注意については、人が、頑固ですね!とあきれるほど忠実に守ろうとしてきた。神学生の時に最初に指導してくださった先生は、私以上に頑固だった。長く牧会していれば、気心も知れている。後任の牧師が一生懸命「わが羊」となるように努力しているのを乱してはいけないからだ、ということを、牧師になって私もわかるようになった。
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 「わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。」これすら私には難しかった。でも、「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 この方は、真理の霊である。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」このイエス様のお約束は、嬉しい福音でした。そしてこのみ言葉は、あなたへの約束です。信じて平安でいてください。神様のお約束の霊が、今もあなたの中にいてくださる。あなたを助けてくださるのです。感謝!


by minitayori | 2014-05-23 21:50 | Trackback | Comments(0)

ジャガイモの花

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 アパートの近くの郵便局の前に、広い畑が残っている。練馬は大根で有名だが、ここでが玉ねぎと馬鈴薯が植えてあった。都会の真ん中の畑、その向こうに「がんばれ東北」という文字が見えて、心が温かくなった。

by minitayori | 2014-05-23 21:38 | Trackback | Comments(0)