浮釣木=うきつりぼく

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 グリーンロードを歩いて、保健所に行った時、見つけた珍しい花。昔清瀬にいた時「源平カズラ」という花があることを教えられて、バスに乗って写しに行った。その花は花が白かった記憶があるが、そっくりの花だった。知ったかぶりをして「源平カズラだ」と言い張ったが、その家の方が出てきて、早口で花の名前を教えてくれた。残念ながら私には聞き取れなかった。たぶん聞き取れても帰るまでには忘れてしまっただろう。今日図鑑でやっと見つけました。花の名前って難しいですね。花の名前は、人間が勝手につけたもの。きれいだね!ってほめてあげる心で見れば十分だと、自分の中で言い訳をしながら探していました。

*熊本の友人がこの花の正式な名前を調べて教えてくれた。「ウキツリボク」という名前が正しいと。感謝して訂正しておきます。

by minitayori | 2014-06-28 21:24 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ091

「ミニタヨリ091」
 木曜日、練馬の空が不気味なほどに黒くなり、稲光、落雷が何度かあった。孫娘の帰りを心配して学校まで迎えに行ったが、どこですれ違ったか、先に家に帰っていた。
 雷が怖いと泣く友達を、お母さんのいるところまで送って行って帰ったとの由。いつのまにかしっかりした娘になっているものですね。私は老い、孫はたくましく成長してゆく、新しい時代の始まりを感じる。
 しかし、私は今生きている。朝目が覚め、起きることが許されている。この恵みは大切にしていきたい。どんなときにも未来に目を向け、今日与えられている神様の御用を、忠実に果たしていきたい。御心のままにと祈りつつ。
 あなたに素敵な詩を送ります。私も励まされている詩です。あなたの上に神様の祝福が豊かにありますように、祈りつつ。
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      主イエスさま
      痛みであれ 苦しみであれ
      不幸であれ 悲しみであれ
      立ち止まらずに
      上を向いて
      祈から感謝へ 感謝から希望へ
      大空に向って羽ばたく、
      鳥のつばさのように
      嵐の海をこえさせてください
                 河野 進先生詩集より

by minitayori | 2014-06-28 21:15 | Trackback | Comments(0)

ブーゲンビリア

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 近くのブティックの店先に咲いていた。お店の洋服を見ていると思ったのかお店の方が出てきたので、花がきれいなことと、名前を聞いた。快く教えてくれたが、ちょっと当て外れだったようだった。店先に立つのはよくないね。一つの学びと、反省です。

by minitayori | 2014-06-28 21:07 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて  2014・6・29 マタイ9:9-13  罪人を招くため 

2014・6・29 マタイ9:9-13  罪人を招くため
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9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 10イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
 12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

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「礼拝に備えて」 罪人を招くため
 75歳を過ぎたので、そろそろいろいろなことから手を引こうと思うが、なかなかそうさせてくれない。ケアハウスに入った時、私たちは身も心も消耗しきった状態だった。
「捧げつくした」、そんな気持ちは傲慢であったかもしれないが、最後のご奉仕がルーテル教会発祥の地と言われる熊本の教会で、燃えつくしたという感じで東京に来た。引越しの疲れもあったが、しばらくして、下血をし入院検査をした。虚血性大腸炎ということで一週間入院、またポリープが熟しイチゴのようになっていたので、体調を整えて再入院し、切除した。
 入院中は何もすることがなかったので、静かに自分の今までを振り返るときとなった。思いだされたのは、よかったことよりも悪かったこと、失敗や心痛めることが多かった。
 退院してしばらくして、ケアハウスの今の施設長先生から、たまたま夫婦の部屋が、空いたので入りませんか、というお電話をいただいた。まさに奇跡的なことだった。神様のご配慮のありがたさを感じつつ入居させていただいた。
 5年あまりのケアハウスでの生活は、神様のまさにわが身に余るご配慮だった。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」失敗の多かった者を許して、最後まで用いてくださった神様は、その先まで用意をしていてくださった。そう感じつつ、日々を過ごした。
 老いの坂を上ってゆくために、一つ一つ身に付いたものを取り去って、身軽になってゆく、その過程は嬉しさと寂しさのまじりあった複雑なものだった。しかし、「神様のなさることは、時に適って全てよし。」いつもそう思えた。
 今はもう、健康も物覚えも知識も(知識などもともとなかったのだが)全てが衰えた。しかしここまでイエス様が共に居て、働きを支え守ってくださった。「もういいでしょう!」と言いたい時もあるが、イエス様は、まだ働けると働きを備えてくださる。
 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」このイエス様に、命ある限り従って行こう。

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                      「帰ってきた息子を赦す慈父の神」

by minitayori | 2014-06-28 21:02 | Trackback | Comments(0)

キカラスウリの花

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 すぐ前の駐車場の塀に緑の壁ができた。そこにいくつかの花が咲いていた。見たことのない花なので名前を探すのに苦労したが、やっと見つけた。「キカラスウリ」というのだそうだ。練馬は昔は農地だったとはいえ今は住宅街。駐車場には昔の名残の、このような花が、たくましく育ち、咲いている。感動ですね。それは命のたくましさ、尊でしょうね。

by minitayori | 2014-06-28 20:47 | Trackback | Comments(0)

ききょう

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 役所への道すがら見つけた花。さすがにこの花の名前は知っていた。いつ見てもすがすがしい色合いですね

by minitayori | 2014-06-21 21:48 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ090 「手」

「ミニタヨリ090」
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もっとも美しい手は 
病める人を看護する手
飢えた人に尽くす手 
争う人をなだめる手
泣く人のなみだをぬぐう手 
旅人をねんごろにもてなす手
親のない子をいたわりはぐくむ手 
さらにけんそんな手
                      by 河野 進

 日本の言葉には「手当」という言葉がある。もっぱら病院などで用いられるが、悲しんでいる人や、悩んでいる人、自信を失っている人、人生の大きなチャレンジに向かおうとしている人、孤独の中にいる人、それらの人に気づいた時、そっと肩に手を載せる。その時その人の愛の心が心にしみわたってくる。私自身がそうして勇気をもらったことが多いから、私もできるだけそうしようとしている。
 肩に置いた手から悲しみや苦しみが伝わってくる。神様の愛がつた伝わるようにと祈りながら、そっとほほ笑む。
 私に与えられている手、愛を伝えるやさしい手であってほしいと願っている。
イエス様が目の見えない人の目に触れたように。また耳の不自由な人の耳に触れられたように、愛と力のあふれ出る手でありたい。
 何よりも美しいのは、人の幸せを祈る祈りの手ではないだろうか。
 



by minitayori | 2014-06-21 21:45 | Trackback | Comments(0)

大好きな色の花

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 私の大好きな色の花です。 役所に行く途中、グリーンロードがあって道の両側の家の人々が自分の好みの花を植えているようでした。時にはお話をして花の名前を聞くのですが、多くの場合、知らない!という答えでした。名前にこだわらないで、花がきれい、うれしいという気持ちで十分なのかもしれません。

by minitayori | 2014-06-21 21:35 | Trackback | Comments(0)

礼拝んに備えて 2014・6・22 マタイ7:15-29 「一番大切なもの」

2014・6・22 マタイ7:15-29 「一番大切なもの」

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7:21 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。
 24 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。 25 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。26 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。27 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」

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「礼拝に備えて」
 ル-テル教会の暦では、先週から聖霊降臨節に入りました。教会の聖壇の色も緑になり、牧師のストールも緑になります。緑は新しい命と成長を表しています。これから11月の最後の週まで、教会では終りの日、神の国の到来に備える学びの時を過ごします。
 キリスト者としてどう生きるか、そのことが問われてくる日々であり、そのために、身を整えて生きることを考えます。その冒頭に、イエス様は「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」と厳しい教えをされました。
 口先で「主よ、主よ」という者ではなく、神様の御心を行う者が神の国に入ることができると言われるのです。では天の父の御心とは何でしょうか。イエス様のご生涯と教えから学ぶことです。
 イエス様は教えられました。「神の国と神の義を求めなさい。」「私に従ってきなさい。」「兄弟を、自分を愛するように愛しなさい。」と。
 差別なく、愛すること、それはイエス様のご生涯のお姿でした。障害を持つ人も健康な人も、富める人も貧しい人も、みな等しく愛されました。
 このみ心を行うこと、それがイエス様が、いや神様が私たちに求め、神の国に入る条件とされているものなのです。しかし、この条件は人間にとっては不可能に近いことです。ではどうしたらイエス様のお言葉に従うことができるのでしょうか。
それは、まず自分自身が神様に愛されていることを知り、神様に、神の子となり神の国の一員となってほしいと願われていること、その素晴らしい恵みを知ることによって、私たちもイエス様のお言葉に従うようになれるのです。
 サッカーのワールドカップが行われています。日本は残念ですが今のところ厳しい状態です。しかし、選手の皆さんはインタビューにすがすがしく答えていました。その一生懸命な姿に、サポーターの人々も花を添えるように、世界で称賛されることを行いました。試合終了後、持っていたビニール袋に落ちているゴミを拾い、きれいにして去った、と報じられました。選手の皆さんが一生懸命戦っているのに、サポーターがそれを辱めるようなことはできません、私たちの精いっぱいできることをしていきたいです、と。
 今日の試合後は地元ブラジルのサポーターの皆さんが同じようにゴミを拾っていました。日本人が負けても、引き分けても会場をきれいにして帰ろうとしている、その気持ちを私たちも持ちたい、と言っていました。
 イエス様に従うとは、神様に愛されている(イエス様を十字架にかけるほどに愛されている)ことへの心からの感謝をもって、他者を愛すること、ではないでしょうか。こうして神の国は広まって行きます。愛にあふれた神の国が始まるのです。

by minitayori | 2014-06-21 21:30 | Trackback | Comments(0)

お役所の前に植えられていた寄せ植えの花

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 お役所の玄関に寄せ植えの鉢がありました。きれいに並んだ花たち、でも、名前は見つかりません。花を楽しんでください。

 

by minitayori | 2014-06-21 21:20 | Trackback | Comments(0)