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ムクゲ

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 いつものお宅の庭に咲いていた。よく知っている花なのだがなかなか名前が出て区内。ムクゲか芙蓉かまよったが、ムクゲを多数決げ決めた。と言ってっも私一人ですが。今回はプリンターが壊れて少し遅れてしまいました。何とか手に入れました

by minitayori | 2014-07-31 22:08 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ096」

「ミニタヨリ096」
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梅雨明け宣言と共に猛暑がやってきた。昨年に比べればまだましだが、昨年はケアハウスの緑の中にいたが、今年は住宅街。街中は、皆さんが冷房を付け暑さを排出しているのだから、普通より暑いのだろう。私が今いる練馬区は東京でも暑い所と言われる。
 礼拝には、夏でも背広・ネクタイで行くことにしているが、暑さが身に応える今年は、どうしようかと思う。でもやっぱり日曜日の朝になると、背広とネクタイになる。ささやかな神様への礼儀。日常だらしない恰好をしているのだから、神様の前に出るときぐらいはちゃんとしなければと思う。そういえば猛暑の熊本でも、会員の人が見かねて、式服でなくても、軽装で礼拝をしてくださいと言ってくださった。
 そんな時、東京教会でさせていただいたインターンの時を思い出す。そうそうたるメンバーが説教壇の前の席に、背広姿にネクタイをし、姿勢を正して説教に耳を傾けていた。私のような若輩者がお話しするときもそれは変わらなかった。昔の人は紋付の羽織を着て礼拝に出たという。神様の前に出るということの厳粛さを、体全体であらわすように。
どうも最近昔の事が思い出される。自分の人生のおさらいをしているような気がする。改めて沢山の教えと恵みをいただいた人生だと感謝している。


              手
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   もっとも美しい手は 
   病める人を看護する手
   飢えた人に尽くす手 
   争う人をなだめる手
   泣く人のなみだをぬぐう手 
   旅人をねんごろにもてなす手
   親のない子をいたわりはぐくむ手 
   さらにけんそんな手
                   河野 進牧師の詩



by minitayori | 2014-07-31 21:56 | Trackback | Comments(0)

チシマキキョウ

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 ご近所の庭先に咲いていた。花も少なく、葉も枯れ始めている庭に、静かに咲いていた。花は小さいがアップしてみると、美しいですね

by minitayori | 2014-07-31 21:22 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 8月3日(日)  「命の種」     ●マタイ13章1~9

8月3日(日)  「命の種」     ●マタイ13章1~9
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13:3 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
13:4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
13:5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
13:6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。
13:8 ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。13:9 耳のある者は聞きなさい。
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「礼拝に備えて」
 「耳のある者は聞きなさい。」という言葉は、ろう者の人々に神様の福音を伝えてきた者にとっては、辛い言葉だった。聴覚を失っている人々は、文句なく除外されているように思ってしまったからだ。イエス様がそのようなお心持たれるはずがない、と思うと、ではイエス様の真意はどこにあるのだろうかと、改めて考える。
 今日の日課は、四つの種の例えである。いろいろな所に播かれた種。道端に落ちた種は鳥に食べられ、石地に落ちた種は、すぐ生えたが枯れてしまった。茨の中に落ちた種は茨に邪魔されて成長できなかった。よい地に落ちた種は百倍にもなった。
 ここで一つ考えたい。播かれた種は、みな等しく命を宿していたということである。そしてこの種はイエス様ご自身であり、イエス様の教え、神様のみ旨そのものである。そしてこの種はみな等しく全ての人にゆだねられている。
 年齢や能力にも、障害の有無にも関係なく、命の種は人々の心に播かれ、成長を待っている。何か特別の事をしなくてもよい。あなたらしく、神様のお心に従って生きるだけでよい。
 引退をしてから私は花を写すことに興味をもった。小さなデジカメをもって近辺を歩きまわる。昨年までは自然豊かな地で、庭にもきれいな花が咲いていた。今は街中の住宅地に移ってきて、カメラを持ってうろつくのもはばかられる。先日も孫の小学校の緊急連絡で、不審な男がうろついているので注意するようにとの連絡があって、余計に出にくくなった。
 近くを散歩しながら、ふとささやく声がするような気がして、足元をみると小さな花が咲いている。
しゃがみ込んで花と語りながら、いろいろなことを自問自答する。どうしてこんな所に咲いているの?どこから来たの? 小さな花は何にも言わずに、ほほ笑んでいるように見える。
 「私は神様にここで咲くように、と言われたから、お心に従って咲いているのです。誰のためではなく神様のためと、自分のために・・。そして私を見た人がしばしの慰めと笑顔になれるように。」
 もちろんこれは私の独り言だが、置かれたところで、素直に自分らしく美しく咲く、そこに笑顔が生まれ、愛が生まれ、神様の国が始まる。私も委ねられた命の種を素直に、咲かせたい。
あなたはどんなときにも、よい地でいられるのです、神様がそれを助けてくださいます。

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by minitayori | 2014-07-31 21:17 | Trackback | Comments(0)

ピンクパフェ

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 ピンクパフェという名前をやっと見つけました。とにかく最近の花の名前は難しい。実際の花と図鑑との違いもあるし、あとは、読んでくださる方に教えていただきたいと思います。
でもとてもかわいらしい花でした。そういえば女性の好きなパフェと何となく似ていますね

by minitayori | 2014-07-31 21:08 | Trackback | Comments(0)

小さな花と蝶

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 道端の雑草の中に小さな花が咲いていた。暑さに枯れそうになっていたが、そこに蝶が飛んできて一生懸命蜜を吸っていた。蝶も一生懸命、花も一生懸命。最後の最後まで小さな命をささえようとしていた。心が震えた。

by minitayori | 2014-07-26 22:09 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ095」

「ミニタヨリ095」
猛暑が続き、突然の雨や雷、最低の用事だけにして家の中に閉じこもっていると、足のむくみがひどくなる。そして次の日の朝方には足がつってしまう。
これではいけないと無理して歩いても同じように足がつる。その痛いこと。始まりそうになると飛び起きて、湿布を貼り30分ぐらいさすって、おさまったころに床に就く。
医者の言葉では、パソコンに向かっていすに座っていると血行が悪くなってよくないという。そこで最近は、パソコンに向かいながらも、少しずつ動くことを心がけているが、どうも「ながら族」ではないので、仕事が続かなくなってしまう。
 このブログも間もなく100回になるので、そろそろ終わりにしようかとも思うが、「先生はブログをやめたらぼけるからやめないで」と励ましのお電話。また、時々弱気になった時、読者からお手紙やメールをいただいて、「朝、仕事に行く前に読んでからでかけます」といわれるとやめられなくなり、また励まされて続けています。

     見ているだけで

                    星野富弘氏詩
見ているだけで
何も描けず
一日が終わった
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こんな日と
大きなことをやり遂げた日と
同じ価値を見いだせる
心になりたい


 ふとこの詩が心に触れた。一日を無駄にしてしまった後悔に心痛めていた時。全てを受け入れる大きな心をもちたいと思った。老いて体が動かなくなると痛切に感じる。どんな時も一生懸命生きていれば、その時を神様は用いてくださる、そう信じて生きたい。

by minitayori | 2014-07-26 22:02 | Trackback | Comments(0)

ラチュウラ

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 昨年までいたケアハウスで初てt見た花、大きなユリの花に驚いた。図鑑を調べて日本の花ではないことを知った。一年に何度も咲くし、木の成長もはやかったのには驚いたものです。

by minitayori | 2014-07-26 21:50 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 7月27日(日)マタイ11章25~30 「重荷を負う者の救い主」

7月27日(日)マタイ11章25~30 「重荷を負う者の救い主」
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11:25
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。
11:26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
11:27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。
11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
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「礼拝に備えて」
 
ある牧師が、昔の事だが天幕伝道をしていた。一人の浮浪者が一升瓶を抱えて一番後ろに座った。その日はその人一人だった。その先生は「イエス様が全ての人を愛し、その重荷を負って十字架にかかってくださった」ことを語り続けた。次の日も次の日も彼は焼酎の瓶を抱えて天幕にきた。
先生は彼のために祈り、神様の愛が届くように祈りつつ語り続けた。そして、一カ月後、天幕伝道の最終日、彼は遅くなってやってきた。その日も彼一人だった。彼は酒の匂いもなく、いきなり先生に質問した。「イエスと言う方は全ての人を愛し、救ってくださる、と言うがそれはお金持ちだけだろう。わしらのような酒飲みの浮浪者は救ってはくれないだろう。」と言った。
先生はその日はお話をやめて、彼のいすの前に座り、向かい合ってイエス様のお話をした。「あなたの心の重荷をイエス様にゆだね、イエス様の心に従って生きてごらん。きっと新しい世界が始まるよ。」彼は「本当に私でも、やり直せるのか」と何度も訪ねた。涙を流して。
先生は、二人で祈ろう!と言って祈りだした。祈り終わって、アーメンと言うと、彼も少し遅れて「アーメン」と言った。
彼はその後、その牧師の主宰する聖書学校で学び、伝道者としてその牧師と一緒に働いたという。たった一人のために天幕伝道を続けた牧師、有名な賀川豊彦先生。たった一人の救いを祈り続けられた先生。
この話を、神学生の時に古本屋で買った本で知った。当時の神学生は天幕伝道、地方への泊りがけの伝道に行っていた。蒲団がなくて新聞紙を蒲団代わりにしたこともある。
天幕を張り、ビラを配って伝道集会の案内をして回った。誰も来ない日もあった。それでも宣教師は神学生に証させた。始まる前に必ず、祈りの時をもち、イエス様の招きを一人でも多くの人に知ってもらいたいと願った。誰も来ない日、昔の牧師の伝道の苦労を思って、祈り続けた。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」イエス様のお声。五十年も前の経験でした。


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by minitayori | 2014-07-26 21:43 | Trackback | Comments(0)

チロリアンランプ

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 散歩道の家の壁に這うように咲いていました。下で見るのとっまた違った美しさを感じました・

by minitayori | 2014-07-26 21:31 | Trackback | Comments(0)