青空と朝顔

e0191585_2241131.jpg


 青空に高く育ち、見事に咲いている朝顔、ひと時でも輝いて咲いていたい、と朝顔の声

by minitayori | 2014-09-27 22:09 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ103」

「ミニタヨリ103」
 敬老の日、孫も家族も休みということで一日私達も休日になった。前日、どこに行こうかでハタと困った。東京の街に20年以上住んでいたのに東京をほとんど知らなかった自分たちに気がついた。
 観光地は人が多いし、費用もかかる。近い所でと考えたが思い当たらない。若い人ならスマホで探すのだろうが、地下鉄も多くなって考えているうちにいやになってしまった。
 それでも折角の一日と、後楽園の近くの文京シビックセンター(文京区役所)に行くことになった。かつて文京区に長く住んでいて、区役所が新しくなったことは知っていたが、これほど近代的なビルになっているとは思いもよらなかった。
 屋上に行ってランチを食べ、展望台を一巡して約2時間で体力の限界、カルチャーショックが大きくて帰ってきてしまいました。都電が走っている間に乗ってみたいね、すいている時に上野公園に行こうかとか、おばあさんの原宿と言われる巣鴨の商店街ももう一度見ておきたいねと、ささやかな夢を語り合って家でお茶を飲みました。

ひびの割れた桶
                    (作者不詳) 
昔、一人の雇い人がいて、毎日、天秤桶を肩にかついで、小川から家まで水を運んでいました。天秤の両端には二つの桶が掛かっていました。そのうちの一つは完全でしたが、もう一つのほうはひびが入っていました。そのため、小川から家に着くまでの間に、一方の桶の水はいつも半分なくなっていました。

 こうして、二年間毎日同じことが繰り返されて、良いほうの桶は、自分が完全に使命を果たしていることを知り、うぬぼれて自慢していました。
 しかし、ひび割れのあるかわいそうな桶は、いつも半分水を落としていることがとても恥ずかしくて、みじめな気持でした。そして、その雇い人に言いました。
 「ご主人さま、私は恥ずかしくてあなたに謝りたいのです。私のひび割れのせいで、あなたの毎日の水運びのお仕事も半分無駄にしてしまい、私は本当に役立たずです。」
e0191585_2204798.jpg
 雇い人は、ひび割れの桶に言いました。
 「あなたの通る道に咲いた、あの美しい花を見ましたか?!
 毎日水を落としてくれている、あなたのひびのおかげです。
 そのままがいいのです。
 毎日、道行く人をなごませるでしょう。」

*私の歩いてゆく後にも美しい花が咲いて欲しい。


by minitayori | 2014-09-27 22:03 | Trackback | Comments(0)

赤いバラ

e0191585_2149683.jpg


 大きくはない庭にいろいろな花を咲かしていてくれる家がある。その家の方と知り合いになり花を写す許可をもらった。この薔薇が春の終わりに咲いて、また夏の終わりに咲きだした。真っ赤なバラはイエス様の額から流れるいバラの冠の血を示し、神様の愛と許しをあらわすと言われる。伝説としても素晴らしい。花をじっと見ていると、「私はあなたのために血を流した!」といわれるイエス様のお声が聞こえる気がする。

by minitayori | 2014-09-27 21:56 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 9月28日(日)マタイ18章15~20

2014年9月28日(日) 聖霊降臨後第16主日 マタイ18章15~20
e0191585_214423100.jpg
18:15 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
18:19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

e0191585_214623100.jpg

「礼拝に備えて」
 教会とは、建物の事ではなく、人の集まるところ、会衆といってもよいのではないだろうか。事実聖書では、初代の教会は会衆、人の集まりの事だった。
 会衆の中に秩序ができ、会堂が立派になり、組織ができると、組織を守るために規律が必要になる。ただ問題なのは、規律は人を守るためにあって、人を拘束したり裁いたりするものではない。
 イエス様は「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」と今日の日課で語られる。つまり、二人三人が心を一つにして神様に祈る所に、イエス様は共に居てくださると言うのだ。
 復活されたイエス様は、信じる者の心の中に住まわれる。イエス様を心に宿したものは、イエス様の御心のままに生きる。そこにはイエス様の心が現れる。愛の行為という形で。
そして、初めて来た人は、教会の中で種々の生活状況の違う人々が、その違いを越えて愛し合い、心を通じ合い、交わっている姿を見て、その中心にいらっしゃる神様に出会ってゆく。教会の存在そのものが、神様の心を示す福音そのものになってゆく。今教会に求められていることはそのことではないだろうか。
 キリストの愛のあふれるところ、互いを大切に思う心の満ちる教会となってほしいと願い、私も一人の会員としてそのために祈って行きたい。


by minitayori | 2014-09-27 21:47 | Trackback | Comments(0)

かぼちゃの花

e0191585_21353726.jpg


 アパートの裏庭に咲いていたカボチャの花。枝は細いが本当に実がつくのだろうか。少し心配しながら見守っている。

by minitayori | 2014-09-27 21:37 | Trackback | Comments(0)

コスモス

e0191585_21505717.jpg


 今までに一番美しいと思ったコスモスは、長野県の中央アルプスのふもとに、休耕田いっぱいに咲いたコスモスだった。写真を探したが見つからないので、近くで写したコスモスを乗せた。いつかご紹介したいと思う。
 今回土曜日に間に合わなかった。パソコンがウイルスに侵されているというので業者に頼んげ駆除してもらった。皆さんに迷惑をかけてはいけないと思ったので一日遅らせました。

by minitayori | 2014-09-21 21:57 | Trackback | Comments(0)

<font size="2">「ミニダヨリ102」

「ミニダヨリ102」

最上の業
e0191585_21463972.jpg
この世の最上の業は何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、
親切で柔和であること・・・
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後の磨きをかける。
真のふるさとへ行くために・・・。
おのれをこの世につなぐくさりを、
すこしずづはずしてゆくのは、真にえらい仕事・・・。
こうして何にも出来なくなれば、
それを謙遜に承諾するのだ。
神は最後に一番よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ・・。
手は何も出来ない。けれども最後まで合掌は出来る。
愛する全ての人の上に、神の恵みを求めるために・・。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。
「来たれよ、わが友よ、われ何時を見捨てじ」と・・・。
ヘルマン・ホイヴェイルス


以前にも紹介した詩だが、敬老の日に何人かの人にお話したので再度掲載したいと思う。高齢になると出来ないことが多くなる。私も今痛切に経験している。体中の関節が痛く、朝起きるのにも一苦労。足の外反母趾もでてきた。手の指の関節にも痛みが走る。手話にキリエ、楽しみができなくなったらどうしようと思う。でも最後に手を合わせ祈ること、神様との間に立って取りなしの祭司の仕事が残されていることは大きな恵みだ。かつて、ケアハウスにいた時、100歳を超えた方が、ハレルヤ!神様を恵みを賛美します、と言っておられるのを聞いて、感動したものだ。
 私も人の魂のために祈り、常に神様を感謝して生きる老後を楽しく生きたい。



by minitayori | 2014-09-21 21:50 | Trackback | Comments(0)

ヒャクニチソウ

e0191585_21381088.jpg


 散歩道に咲いている花。独特の咲き方で、目立たない花だった。名前を聞いたら百日草というのだそうだ。下に小さな花でニチニチソウが咲いていた。

by minitayori | 2014-09-21 21:43 | Trackback | Comments(0)

9月21日(日)●マタイ18章1~14 「神の国を求めて」

9月21日(日)●マタイ18章1~14 「神の国を求めて」
e0191585_21355673.jpg
18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
18:2 そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、
18:3 言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
18:4 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
18:13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

「礼拝に備えて」
弟子たちはイエス様がエルサレムへと登られると聞き、その並々ならぬ決心の姿を見て、いよいよダビデの国の再興の時が近いと思ったのでしょう。しかし、イエス様が始めようとされたのは、ダビデ王の国の再興ではなく、神のみ心が支配する国を始めることでした。
弟子たちとイエス様との心大きなずれののもとでした。弟子たちは権力が支配する世界を願い、イエス様は神様の憐みと愛の支配する世界を願っていました。日課の聖書の中に「小さなもの」「弱いもの」という言葉が繰り返されます。
かつて、マタイは11章で、洗礼者ヨハネの問いかけに答えました。、彼は弟子を遣わしえて、「来るべき方はあなたですか?つまり、救い主はあなたですか?」と尋ねさせました、そうしたらイエス様は。ご自分を救い主だと言わずに、
11:4 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。
11:5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。
11:6 わたしにつまずかない人は幸いである」

イエス様のメシヤとしての働きは、この世の権力を得ることっではなく、貧しいもの、弱いもの、虐げられているものと愛を持って寄り添うことができる世界が、神の国だと言われるのです。
 主の祈りの中に「み心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈りの言葉があります。イエス様が教えてくださった祈りは、神様の愛の行われる世界を作ることにあります。弟子たち、そして私達は損神様のみ旨をになって実現するように、世に送り出されているのです。
 人が驚くような業を行う必要はありません。イエス様を信じる者は
神様と人々の間に立って祈りの祭司の勤めが与えられているのです。「小さな愛の業が、地をば神の国とせん♪」という子供の讃美歌を思い出します。

by minitayori | 2014-09-21 21:37 | Trackback | Comments(0)

ハナビショウ

e0191585_21242780.jpg


 秋雨に濡れて、はながよわよわしくみえた。でも、だからこそ目を引く美しさがあるのかもしれない。次の日の風にも負けないで咲いていた

by minitayori | 2014-09-21 21:33 | Trackback | Comments(0)