アベリア

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 歩道の脇に植えられた生垣?に小さな花が咲いていた。かわいらしい花だった。

by minitayori | 2014-11-29 18:51 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ109

「ミニタヨリ109」
11月は本当に短かった。九州の旅、帰って東京での説教、来客、いつもはのんびり暮らしているので、昔(現役時代)の生活が戻ったようなせわしさを感じました。
今年もクリスマスの飾りが、早くもデパートに飾られ始めました。今度の日曜日にはクリスマスソングがデパートや商店街で聞こえているでしょう。
暗い世相の中にいますから、クリスマスの明るい歌声は人々をうきうきさせることでしょうが、しかし、本当のクリスマスの喜びを知ってほしいと思いますね。もっと嬉しくなるように。
童話の中に、こんな話があります。イエス様がこの世界はどうなっているかを、クリスマスに見に来られた。最初の家の窓から見ると子供たちがクリスマスツリーを飾って準備をしていた。木の下にはクリスマスに貰うプレゼントが山になっていた。ある家に行ってみたら、テーブルの上に沢山の御馳走とクリスマスケーキが置いてあって、友人たちが集まってきてクリスマスパーティーが行われようとしていた。しかしどこの家に行ってもイエス様の入る場所はなかった。2000年の昔、ベツレヘムでマリヤとヨセフが宿がなかったように。今も私のいる場所は家畜小屋しかないのか。イエス様はさびしく思われて帰られたというお話。どうでしょうか。私達の心は?イエス様をお迎えする部屋はあるでしょうか。私の心の一番真ん中に来てください。きれいにしておきますから!とイエス様に向かって叫んでみませんか。イエス様がどんなに喜ばれるでしょう。イエス様はそのようにお迎えする人を探しておられます。
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>「身障の友よ」より
 
木はしずかに立って 
嵐や寒暑に耐え、
緑の葉をしげらせ美しい花を咲かせ、
甘い実をゆたかにみのらせ、
小鳥や動物や人を招いてよろこばせる 
山や建物もじっとしていて
近くから遠くから訪ねて来る
身障の友よ信仰と希望と愛の
木や山や建物になろうではないか  
      詩 河野 進牧師


by minitayori | 2014-11-29 18:46 | Trackback | Comments(0)

八つ手

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 よく見る花だけど、花として見たことはなかった。青空に見事に生えて見えたので、写して名前を調べてみました。八つ手の花、そういえば八つ手の葉で遊んだことがありました。もう70年も前の話ですが。

by minitayori | 2014-11-29 18:33 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月30日

11月30日(日)●マルコ11章1~11
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11:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。
もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」

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●「礼拝に備えて」「エルサレム入城」マルコ11章1~11 
 今日からアドヴェント(あるときに向かって行くという意味)。教会の暦では待降節が始まります。そして福音書の日課には、キリストのエルサレム入城が記されています。つまり、イエス様の十字架への苦難の日々がはじまります。そのことを教会では学び、キリストの再臨、再来して裁き主として私達の前に立たれる日が来るので、その時のために備えます。そのためにイエス様が十字架への道、私達の罪の代償を支払うために受けなければならなかった苦しみの日々を学び、キリストの再来の備えをするのです。
 キリスト一行がエルサレムに近づいたとき、キリストは二人の弟子に、子ろばを連れてくるように命じられました。まだ誰も乗ったことのないロバの子は、弱さの象徴でした。キリストは弱さを必要とされ、人々の労苦の汗と涙とがしみこんだ上着が敷かれた道を歩まれました。
 人々はイエス様を「ダビデの子ホサナ(万歳)」と歓喜の声をあげました。ロバの子に乗られたイエス様は人々の顔がよく見える同じ目線を進まれます。人々の汗と労苦の苦しみの中を黙して進まれます。今もそうです。イエス様は私達の苦しみや悲しみのただ中を歩いてくださいます。私の目を見つめながら、あなたの苦しみ、悲しみを私はよく知っているよ、とおっしゃるように。私達の心の苦しみ涙を見つめていてくださいます。
 ドロロッサ=悲しみの道というゴスペルソングがあります。私の苦しみ悩みを背負って十字架の道を歩まれたイエス様のことを歌います。老いの悲しみ、孤独の寂しさ、身体の痛み、イエス様は全部知っていてくださいます。私達と同じ道を歩いてくださいます。このイエス様と一緒にあるいて行って下さい。あなたが倒れたら、イエス様が背負って歩いてくださいますから。
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主イエスさま
痛みであれ 苦しみであれ
不幸であれ 悲しみであれ
立ち止まらずに
上を向いて
祈から感謝へ 感謝から希望へ
大空に向って羽ばたく、
鳥のつばさのように
嵐を海をこえさせてください
                 詩 河野 進牧師


by minitayori | 2014-11-29 18:26 | Trackback | Comments(0)

紅葉の木

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 練馬の我が家の近くにも紅葉がやってきました。「秋深し、隣は何をする人ぞ」。都会のアパート生活はまさにその通りです。家に引きこもっていると誰とも話す機会はありません。ときどき、外に出た時に通勤の人に会い挨拶の声をかけたり、帰宅する小学生に「お帰り」とか声をかけますが、最初は怪しいおじいさん?という目で見られました。花を写しに行って、花の名前を聞いたり、お話しできるご近所の方が2,3人できました。

by minitayori | 2014-11-29 18:10 | Trackback | Comments(0)

野菊

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 日本古来の菊のような気がした。あまりに小さく可憐な菊だった。しかし、歴史を生き抜いてきたプライドのような気が前を感じさせてくれた

by minitayori | 2014-11-22 20:35 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ108」

「ミニタヨリ108」
 疲れがなかなかとれなくて、「年齢相応よ!」と言われて、素直にそうかと認めることにした。手話の通訳養成講座と称して、聖書の学びを毎月第3木曜日にしているが、今週雨の中を出かけて、足の重さに、疲れが残っていることを感じた。
 昔、あるお医者さんがテレビで、70歳になると足に10キロの鉛を付けて歩くようなものですと言われた。これまではそれほど感じなくて来たが、今回は階段の上り降りにも足の重さを感じた。
 96歳のケアハウスの友人が、毎朝1時間ほど散歩をしている。欠かさず歩き続けている姿を見て、感心していた。何事も継続が大切であることはわかっているが、なかなかそうはいかない。しかし今の自分を素直に受け入れつつ、今の自分にできる精一杯のことをして生きる尊さを、私は野の草から学ぶ。
 道端の雑草の中の花、庭に植えられている花、どこにあっても、どんな状態でも一生懸命咲こうとしている。ケアハウスの窓辺で日光を浴び育っていた鉢植えの花が、私達の移転と共に環境が変わっても一生懸命伸びている。
 自分に与えられている一生を、日ごとに与えられる命の限り懸命に生きる姿は、学ぶことが多いし、時に後ろ向きになる自分が恥ずかしくなる。野の草のように、ひそやかでも懸命に咲いて、人に喜びを少しでも与えられる生き方をしたいものである。
 いや一生懸命生きる自分を、神様がそのように用いてくださることを信じて生きて行きたいと思う。今日を生きるのは私、しかし、その生き方を用いてくださるのは神様。信じゆだねて生きることが大切だと改めて思っています。


         私が願うのは
                   (タゴール Gitanjali No.4)
私が願うのは 、危険から護られることではなく
危険のさなかで 、恐れないことです
 
哀しみのどん底 、心のはげしい痛みの中で
慰めてもらうことではなく
哀しみを克服し 、勝利をうたうことなのです
 
逃げ場がなくなった時も 、勇気を失わさせないでください
世間的にも大失敗し 、挫折の連続に遭っている時も
その害が取り返しのつかないものだと 、考えない恵みをいただきたいのです
 
あなたが来て私を救ってくださる………
これを私は願っていません 。
私が願うのは 、のりこえてゆく力です
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あなたは私の荷を軽くしたり、
 慰めてくださらないで結構です 。
ただ 私が重荷を担う 、その力をお与えください
 
喜びの日に 、謙虚に頭(こうべ)を垂れ 、
私はあなたを思い 、あなたの存在を認めます。
暗い悲しい夜 、失意以外、何もない夜にも ・
ああ 決してあなたを、疑うことがありませんように


 

by minitayori | 2014-11-22 20:31 | Trackback | Comments(0)

遅咲きの薔薇

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 遅咲きの薔薇が一輪だけ咲いていました。周りはサザンカの花が咲いていた。寒さの到来に震えているようにも思えましたが、たくさんの花弁に守られているようでした。あと数日頑張ってほしいです。
北海道の知人の牧師が、もう雪かきが始まっているとの由。飯田にいるときに、毎朝駐車場と園庭の雪かきをしたことが思い出されます。東京の雪は重いですが、飯田の雪も多いだけ重い。北海道のこれからの日々働き人たちに神様のお守りを祈りたい。

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by minitayori | 2014-11-22 20:21 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月23日(日) 「神の国に入る条件」 

11月23日(日) 聖霊降臨後最終主日 「神の国に入る条件」   
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●マタイ25章31~46
25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
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「礼拝に備えて」 「神の国に入る条件」
 日本において繰り返された戦争の歴史の中で、一番被害を受けたのは、戦争に役立つ青年と障害者の人たちでした。富国強兵の思想は、人間を甲乙丙丁に区分けして人間を差別し、病人や障害者はごくつぶしとして生きること自体を否定される状態でした。日本は平和憲法に守られて60年を過ごしてきました。障害者や高齢者の人権も大切にされる国になってきました。この状態がこれからも長く続いて欲しいものです。
次の文章はルーテル教会の聖書日課のこの日のメッセージの中に記されているものです。

 北ドイツの郊外にベテルという町があります。ヨーロッパにおける、キリスト教精神で運営されている社会福祉施設の中心地です。第二次世界大戦中のことですが、ヒトラーは「障害者」を安楽死させるように命令しました。ヒトラーの目からは、「障害者」は戦争には役に立たない存在でした。その時ベテルでは、所長を初め、職員たちが、「やるなら、自分たちを先ず始末してからにして欲しい」と言って、身体を張って「障害者」たちのいのちを守り抜こうとしたのです。なぜ彼らは、ヒトラーに抵抗したのでしょうか。
 ボンヘッファーは次のように述べています。「弱い者や見ばえのしない者、見たところ役に立たないと思われる者を、キリスト者の生活共同体から閉め出すことは、まさに、貧しい兄弟(姉妹)の姿をとって戸を叩きたもうキリストを閉め出すことを意味する」。これこそ、べテルの職員たちがヒトラーに抵抗した理由です。
 キリスト者の交わりの中から、役に立たないと思われる者を閉め出してしまったとき、じつはキリストも一緒に閉め出しているのです。言い換えれば、キリストは、もっとも弱い者、小さい者の姿をとって、私たちに出会ってくださるということです。

 ルーテル教会の若い牧師の中に、このような考えを持って牧会をし、教会を守っている方がいることがうれしいのです。多分大部分の先生方が同じ考えでいてくれると信じていますが、40年の間、聴覚障害者の中で働き、慣れない言葉の中で苦闘してきた者にとって、どちらかというと教会の理解はまだまだ十分ではありませんでした。
 時には私自身が、 障害者の働きをしているということで奇異に見られることすらありました。だから、この日の日課に記された言葉がうれしかったのです。教会にとって、キリスト者にとって、隣人に愛を持って仕えることは、キリストに従うことでもあります。またそのような心が支配する所にキリストがいまし、キリストと共に神の国も生まれてくると思うのです。
 神の国は遠い未来のことではなく、今、私達の周りに始めてゆくべきことなのです。イエス様のみ言葉に従い、神様のみ旨が地上にも始まるように、そのように祈り生きる者こそ、神の国にふさわしい者と教えられているように思います。

キリストのみ愛に触れたその時に
                     水野源三
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました。
憎しみも恨みも、霧のように消えさりました。
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キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました。悲しみも不安も
霧のように消え去りました

キリストのみ愛に触れたその時に
キリストのみ愛に触れたその時に
私の心は変わりました。
喜びと希望の朝の光がさして来ました。

by minitayori | 2014-11-22 20:10 | Trackback | Comments(0)

色とりどりのパンジーの花

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 アパートの駐車場の一角に小さな花壇がある。住民の方が丹精かけて四季折々の花を咲かせている。松葉菊や水仙も紹介したが、数日前からパンジーに変わっていた。色とりどりのパンジーの花。人も一人一人尊さが違うし、美しさも、やさしさもその人特有のものがある。そんなことを教えられましたfont>

by minitayori | 2014-11-22 19:59 | Trackback | Comments(0)