小さな花

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 公園の片隅に小さな親指ほどの花が咲いていた。図鑑を調べたが見つからなかった。ごめんね、花の名前を気にしているのは私で、花は何も考えないで、自分の置かれたところがどこであろうが一生懸命咲いている。気づかせてくれてありがとう。どんなに小さくても一生懸命咲くことが大切なのだね。誰に褒められなくても・・・。花に教えられた一日でした。

by minitayori | 2014-12-27 22:11 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ192 尺八

「ミニタヨリ192」
 残念ながら、今年のクリスマス・イブは体調がいまひとつすぐれなかったので休んでしまった。妻も長女も風邪をこじらせてしまった。主婦が体調を壊すと、男とはいかに無力なものかと思った。幸いにも近くにコンビニや弁当屋やスーパーがあったのでお米を炊いておけば何とかしのげたが、病気の人への食事の作り方がわからなくて困った。
わたしの母は、病気になると何も食べずに寝ていた。2日も3日も続くとさすがに心配になったが、家の仕事が忙しくて、わたしにできたことは時どきお茶と水を持って行って、そっと枕元に置いてきたことだけだった。頭が痛い時は、梅干しを割ってこめかみにはったものでした。今から思うと医者にかかるお金もなかったのかもしれない。
その様な過酷な状況を過ごしながら、母は93歳まで天命を与えられ、召されていった。この母の年齢までは生きることはできないだろうとは思うが、これも神様のみ心次第。父は64歳でガンで亡くなったが、その後を継いだ兄は、病弱ではあったが頑張って83歳まで働き続けた。尺八の世界では相当の高さまで上り詰めた。病弱のために始めた尺八が役に立ったのか。わたしはその兄に習って師匠の名をもらったが
ろう者伝道の牧師として自分が音楽を楽しんでいてはいけないと思って、封印してきた。
 兄が3年前に召された時、兄は40年吹き続けた尺八を形見にくれた。アパートでは練習もできないし、兄のような音が出せるようになったら人前で吹こうと思っていたが、もう時間がなくなった。兄との思い出では、良く尺八を持って渥美半島の外海に出かけ波の音に向かって練習した。兄の音は聞こえたが自分の音は聞こえなかった。悔しくてあとでそっと一人で海に行って吹いたものだ。
 それでもアメリカに行った時、フィンランドに行った時、尺八を持って行って、秋の海、春の海、そしてフィンランドでは讃美歌を大聖堂で吹かせてもらった。まことに気持ち良かった。しかし、寒いフィンランドで手入れが悪かったのか、最後の日になってもう一度演奏をと言われた時、音が出ない。良く見たら暖房の乾燥によって尺八にひびが入っていたのだ。セロテープで張ってその場をしのいだが、今でもその傷は残っている、思い出とともに。
 今はせめて元気なうちに、父母兄の墓参りをして、その前で尺八で讃美歌を吹いてきたい。来年の目標にしよう。体を鍛えて、来年は故郷に帰ろうと思う。その後は、赦されれば、真の故郷、神様のもとに召されるのを、与えられた日々を一生懸命生きつつ待とうと思う。

by minitayori | 2014-12-27 22:01 | Trackback | Comments(0)

マリアと幼子イエス様

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 今年のクリスマスのキリエだが、目が見えなくなり、指が動かなくなって、しかも久しぶりの切り絵で、完成するまでに5枚ほど破り捨てた。与えられた幼子がやがて苦難を受けると知ったマリア様の悲しみに満ちた目をどうしても表したいと思った。喜びと悲しみのまなざしで幼子を見つめる母マリア。私自身がマリアさんの心の痛さをわかっていないことに気がついた。

by minitayori | 2014-12-27 21:58 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月28日(日)  「最初のしるし」 

12月28日(日) 降誕後主日 「最初のしるし」   讃219 教会281
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●ヨハネ2章1~11
2:1三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
2:7イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
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「礼拝に備えて」 最初のしるし ●ヨハネ2章1~11
 クリスマスが終わって、新年の最初の聖書のみことばは、婚礼の席でイエス様が水を葡萄酒に変えたことでした。ヨハネはこれを「しるし」と呼んでいます。何のしるしでしょうか、それはイエス様が神の子であり、私達の救いのために何をなしてくださったかを伝えるためのしるしです。
 当時、水は貴重なもので、どこにでもあるものではありませんでした。食事の準備や清めの儀式にも使われたと言われます。イエス様も旅の最後に、最後の晩餐の時に弟子たちの足を洗いました。しかし、水での清めは外面的な清めでしかありませんでした。
 だからヨハネは、私は水で洗礼を授けるが、わたしの後に来る方は、聖霊によって洗礼を授けると言われました。水は当時清めのしるしでした。今でもカトリック教会の入り口には清めの水があるそうですし、日本の神社の入り口にも「手洗い」と言って、手を清めることによって、体も心も清めて神の前に出ることを勧めています。
 ヨハネはこの場所で、新しく教会の歴史に残る方法で清めの儀式を残されました。結婚式で水を葡萄酒に変えられたのは、イエス様の十字架の苦しみとそこで流された血潮によって、外見だけでなく人の魂の深みまで清めることができる方としてイエス様を示すとともに、日曜日に行われる聖餐式に用いられる葡萄酒「液」によって、心の深みにある罪を赦す方として来られた方であることを伝えようとしているのです。
 ヨハネはイエス様の奇跡を「しるし」として書いています。イエス様のなされる技のすべてが、私たち一人一人の魂の救いのためのイエス様の愛の業であることを教えるためであったのです。新年のはじめに、イエス様のなされた愛の業を覚えて、新しい年への「望年会」をしてほしいと思います。なぜならイエス様の愛の御心は今も変わらずにあなたに注がれているからです。

by minitayori | 2014-12-27 21:51 | Trackback | Comments(0)

紅葉

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 近くの公園のもみじがやっと紅葉した。まだ何本もあるのだが、紅葉しないうちに散ってしまう。公園の中に植えられて水が十分に生きわたらないのだろうか。数少ない紅葉だけに、寒風の中、残しておきたいとカメラを持って写しに行った。
 
 木にあるときは 枝にゆだね 枝を離れれば 風にまかせ
 地に落ちれば 土と眠る 神様にゆだねた人生なら
 木の葉のように 一番美しくなって 散れるだろう
        星野富弘さんの詩集より

by minitayori | 2014-12-27 21:39 | Trackback | Comments(0)

白い菊の花

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 珍しい菊の花を写した後帰りに、いつもの花で知り合いになった方の玄関に白い菊の花が咲いていた。家の中で丹念にッ育てた菊を道行く人に見て楽しんでもらいたいという、この家の方のやさしさを感じた。花はまるでスピッツの犬の毛のようにふさふさしていた。寒さに備えるためにこのような花になったのだろうか。寒さに耐えうるようにとの神様のやさしいご配慮なのだろうと思う、私たち一人一人にも、神様は同じやさしい心を向けていてくださる。あなたにも。

by minitayori | 2014-12-20 21:43 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ191」

「ミニタヨリ191」
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 遠い昔のことだが、沼津教会には当時(54年前)、アイモン宣教師がおられ、一人ぼっちの私はよく家に招かれた。子供たちと遊んだり、夏休みには留守番をして、庭の草取りをした。最近始めたフェイスブックでアイモン夫人と再会し、お話をするようになった。
 昨年沼津を訪問されたようだったが、私の体調が悪くて会えなかったが、覚えていてくださった。アイモン先生は、本当に宣教一筋の先生で、日本人の魂を愛された先生だった。日本語は奥さんの方がうまかったが、これは当時の宣教師のほとんどがそうだったように思う。奥さんの方が買い物などで地域の人と話す機会が多いので、日常会話が上手になるのだろう。
 先生は英語で説教を作り、英語のできる人に頼んでローマ字で書かれた原稿を読んでおられた。大変なご苦労であったと思うが、ローマ字に訳す方が、切る所を間違えたりして意味不明の所もよくあった。先生は礼拝が終わったあとで、二人になると「どうだった?」と若い私に聞かれた。この場所はここできるほうがよかったですね、とか、ここに一呼吸入れるとよかったですね、などと生意気に意見を言った。
 しかし、内容がおかしくて論争になるとお互いにひかなくなり、険悪なムードになったこともあった。牧師になって手話で話すようになって、手話に訳せない言葉を、私の手話の先生に聞いた。その時こう訳すと言われても、日本語の解釈を手話に直すとそうかもしれないが、聖書のお話、イエス様のお言葉の意味からするとどうしても違う。
 そんな論争になることもしばしばあって、その度にアイモン先生との話し合いを思い出した。先生には神様から聞いた、神様の心を伝えようとする熱心さがあった。私はまだ聖書の内容もわからないでいるので、その辺の擦れ違いが多かったのだろうと、昔の生意気な自分を反省したものだ。
 説教もそうだが聖書のみことばを読むとき、イエス様のお言葉を、その時の状況を考えイエス様のお心を読み取るようにしている。それを心に描いて、手で再演する、それが聖書の手話にとって一番大切なこと。このことを通してイエス様が何をわたしにおっしゃりたいのか、イエス様のお心はなんだろうか、どんな状態の中でお話しているのだろうか、そのことを考えながら、それを今の人にわかるようにお話をする。やさしいようで難しい。しかし、その様に考えることによって、少しずつでもイエス様のお心に近づけるようにと思っている。
 聖書を読むということは、聖書の文字を通してイエス様のお心、神様のお心を感じとること、このことを忘れないでいたい。あなたもそのような気持ちで聖書を読んでほしい。イエス様がなぜ家畜小屋にお生まれになったのか。最も貧しい姿で来られたのか。それはあなたの心に入るためなのです。罪深くけがれに満ちた私の心にも、イエス様は来てくださる。それがクリスマスの喜びではないでしょうか。あなたにクリスマスの喜びがきますように。

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幼子イエス様のベッド

 ある9才の男の子が幼子イエスのための馬小屋を作った時、イエスをハンモックに寝かせました。
 母親はそれを見て、「なぜイエス様をハンモックに寝かせたの?飼い葉桶に寝ていたことを知らないの?」
 男の子は答えました。「知ってるよ。でもハンモックの方がもっと気持ちがいいと思ったんだ。」


by minitayori | 2014-12-20 21:35 | Trackback | Comments(0)

黄色の菊

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 新種の菊の周りに咲いていた、たぶん古来の菊のような気がする。花は小さいが、日本古来の香りと気品を感じた。自分らしく頑張ってね!と心の中でいいながら自分のことを考える。小さくても、無力でも与えられた自分を精いっぱい美しく咲かして生きることが、自分の使命ですね。!

by minitayori | 2014-12-20 21:11 | Trackback | Comments(0)

12月21日(日) 待降節第4主日 「恐れなく主に仕える」

12月21日(日) 待降節第4主日 「恐れなく主に仕える」 ●ルカ1章67~79
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1:67父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
1:68「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、
1:69我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。
1:70昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。
1:71それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。
1:72主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。
1:73これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、
1:74敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、

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「礼拝に備えて」
 ザカリアの賛歌がクリスマス主日の日課に選ばれています。今日の日課はザカリアの神様への賛歌です。
ザカリアはアビア組の祭司でした。彼の奥さんはエリサベト、洗礼者ヨハネの両親になります。彼は祭司の名門アロン家の出でした(1章5)。
 この夫婦にはこどもがありませんでした。当時は子がいないことは神様に祝福されていないと理解されていましたから、随分つらい思いをしたことでしょう。その夫婦が高齢になったあるとき、夫ザカリアは、その任務の最中に、天使ガブリエルが現れ語りかけられました。《恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい》(1章13)。しかしこのとき、彼はその言葉を信じることができず、しるしを求めます。ガブリエルが与えたしるしは、《この事の起こる日まで話すことができなくなる》(1章20)ことでした。

 「ザカリアの賛歌」は、約束通り子が与えられ、慣例に反してヨハネと名を付けたとき、《たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた》(1章64)その賛美と預言です。ザカリアという名前は「ヤハウェは覚えていたもう」という意味です。まさしく「主は私を覚え、目を留めてくださった」のです。
 クリスマスはキリスト者にとって喜ばしい時です。それはあなたがザカリアになるときだからです。クリスマスの讃美歌で「主はきませり」と歌う讃美歌があります。他でもないザカリア、つまりあなたの所にイエス様が来てくださるのです。
 クリスマス物語では、ベツレヘムについたイエス様は泊る所がなく、家畜小屋で生まれ、飼い葉おけに寝かされました。主は貧しさと弱さの中に生まれ、横たわられました。それからイエス様のご生涯は、その出来事のままにいまに至っています。貧しさを知る人の心に、痛み、悲しみを知る人の心にイエス様は来られます。そしてそこを神の子のいます所、神の国としてくださるのです。
 他でもないあなたの所に。貧しい、けがれた心を整え、あなたの心の中心にイエス様をお迎えしませんか。「言葉に言い尽くせない喜びがあなたの心を満たしてくれるでしょう。」
フィリピの信徒への手紙4章の言葉を聞いてください。
4:4主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
4:5あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
4:6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
 そうです、「人知を超える神の平和」が、あなたの心と考えをイエス様によって守ってくだいます。
クリスマスのお約束です。

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by minitayori | 2014-12-20 21:06 | Trackback | Comments(0)

改良された菊

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近くのコンビニの駐車場の片隅に、わずかな菊が寄り添うように咲いていた。珍しい赤い花が咲いていたので写してきたが、名前がわからない。花を栽培していた長女に聞いたら、即座に「菊の一種」と教えてくれた。菊にはたくさんの品種があって、新しい菊が次々に生まれてkるそうだ。菊だけだと売れないので新しいカタカナの名前で売り出すのだそうです。人間の手でより美しい花を作る?花が何といっているのか。「ありのまま」がいいと言っているような気がします。

by minitayori | 2014-12-20 20:44 | Trackback | Comments(0)