共に美しく桜

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 花は樹木を彩り、樹木は花を浮き立たせる、老いと若きが共に助けあって、共に美しくし、神様からいただいたいた務めを果たしている。写真を写していたら近所のご婦人が、この花毎年咲いてきれいですね、と声をかけられた。毎年咲くことを町、その咲くのを喜んでくれる人がいる、誰よりも神様があなたが美しく咲くことを望んでいる。

by minitayori | 2015-02-28 20:00 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ200」

「ミニタヨリ200」
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記念すべき200回、良く続いたと思います。遠くにいる、昔牧会した教会の信徒の方に、病気で教会に来られない方々に、仕事で礼拝に来られない方々に、その顔を思い浮かべつつ聖書に向かい、ミニタヨリで思いを綴ってきました。ケアハウスで優雅な生活をしているのが申し訳ないという気持ちもありました。
自分の中に何かしていないと、命を与えられていて何もしないでいることが申し訳ないという気持ちもありました。み言葉から聞くイエス様のお心を伝えたいという思いもありました。いろいろな思いが交差しながら、始めたキヨセタヨリ(現ミニタヨリ)でした。
パソコンを使わない方のためには、印刷して送り始めました。毎回、お返事をいただきご意見をいただいて、励まされています。語ることがコダマの様に帰って来て、私の方が励まされることが多かったです。
ブログは親しい人にしか公開してはいませんが、友が友を呼んでくださって一万人を超えることができました、ささやかなご奉仕ですが、御用に立っていることを喜んでいます。先週金曜日、眼圧が上がり一週間の特別の薬療法と、無理はしないということできました。でもこの時期になりますと、気をつけながらパソコンに向かっています。
一日でも長く続けられるように祈りつつ、また皆さんの上に神様の祝福を祈りつつ、パソコンを閉じます。
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by minitayori | 2015-02-28 19:50 | Trackback | Comments(0)

椿

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 近所の庭に、椿の花が咲き始めた。大きい花、小さい花、赤い花、赤白混ざった花。いろいろな花があるがどれも美しい。花としての自分の使命を一生懸命つくしtげいるからだろうか。どれが一番美しいとは言えない。一生懸命咲いている花のすべてが美しい。どんな花も神様にいただいた命を精いっぱい生きているから。

by minitayori | 2015-02-28 19:36 | Trackback | Comments(0)

3月1日(日) 4旬節第2主日 

3月1日(日) 4旬節第2主日 
●マルコ10章32~45e0191585_1747355.jpg
10:32 一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。 異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」
10:35 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」

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「礼拝に備えて」
四旬節(受難節)に入りました。これからイエス様の復活の日までイエス様の苦しみの道程を学んでいきます。イエス様のご受難はいろいろあったと思います。鞭打たれたことや、十字架にかけられたことも受難ですが、もっと深い所にもあったように思います。
それは弟子たちの無知の姿でした。イエス様はこれから十字架にかけられると悲壮な決意をしてエルサレムに向かって行かれる時、弟子たちは、特にヤコブとヨハネは、苦しみを共に担おうとするどころかイエス様が天国に行かれたら、王座の左右に自分たち兄弟を座らせてほしいと願ったのです。
弟子たちは、イエス様に従ったのは自分の欲望、野望を達成するためにすぎなかったのではないでしょうか。この後では二人の母親が来て、同じ願いをイエス様にしています。人々を愛し、逃げることなく神様の備えられた道を歩まれたイエス様の目前には、人々の罪のために赦しを願う、身代わりの十字架がありました。
しかし、イエス様の弟子たちの思いは、助けを必要としている人々のことではなく、自分たちの欲望が満たされることにだけありました。主の変容の時に、山の上で自分たちの幸せのために、山の上にとどまることを願いました。
しかし、イエス様は栄光の中ではなく、人々の助けの叫び声が聞こえる地上に降りてこられました。彼らの中を歩き、彼らの苦しみを聞き、そのすべてを担って十字架の道を歩き続けられました。
私達は今教会生活をどのように思って過ごしているのでしょうか。ここに座ることによって、天国のような安らぎと平和が与えられているように思い満足していないでしょうか。私は礼拝には少し前に行く様にしています。静かな会堂に座って正面のイエス様のいない十字架を見ていると、「復活されたイエス様」が、今も人々の救いのためにここから出て行こうとされているように思えます。
見よ私は世の終わりまであなた方と共にいる。全世界に行って福音を伝えなさい。そのお声が聞こえてくるような気がします。
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by minitayori | 2015-02-28 18:02 | Trackback | Comments(0)

しだれ桜

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 アパートの東側の庭にしだれ桜がある、あまり大きくはないが樹齢は古いようだ。大家さんがきれいに手入窓にかからないように刈り込んである。その桜の枝に花が咲いた。いよいよ本格的な春が来るのかな。やはり、暖かさは心が躍る思いになる。しかし、冷たい風ですね。

by minitayori | 2015-02-28 17:45 | Trackback | Comments(0)

清瀬のメジロ

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 清瀬のケアハウスの食堂から見たメジロ、ほとんど毎朝きて、写真を写してくれとばかりにじっとこちらを見ている。可愛いね!とほめながら、動かないでと呟きながら写真を写した。その後すぐにどこかに行ってしまった。人の心が読めるような気がする。

by minitayori | 2015-02-21 22:23 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ199」

「ミニタヨリ199」
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金曜日、眼科の検診で病院に行った。先生がおかしいと呟いて、目の検査をしてくれた。やっぱりおかしいと行って、再度詳しく調べてくれた。その言葉だけでドキドキ!「先生何かあったのですか?」と聞くと、「目に何か異常はありませんでしたか?」と言われた。
「そういえば3,4日前から夜目が覚めると、あたりが見えにくかったり、時計の文字盤がぼんやりと霞がかかったような気がしました」というと、「頭が痛くはありませんでしたか」と聞かれた。「そんなことはありませんでした。」
心配になって、先生に何かあったのですか?と聞くと、眼圧が非常に高い、今調べたところでは許容値の倍ぐらいある、と言われてしまった。昔、白内障の手術をした時、その夜、やはり眼圧が上がって頭が痛かったことを話した。手術の後はよくあることですが今日のは放っておけませんね、薬を変えて強制的に眼圧を抑えます、と言われてしまった。
パソコンは使ってもいいですか?と聞こうとしたが、だめと言われると困るのでやめた。そんな調子ですので、今日は短くします。三寒四温、春はもうすぐそこです。花粉の季節が来ると、家内は憂鬱な顔をしています。皆さんはいかがですか。
季節の変わり目、くれぐれもお身体を大切に。私の眼の方は10日ほどして再度検診します。無事下がることを願っていますが、このままいくとパソコン禁止になるかもしれません。後一回で200回になりますので、それまでは何とかと思っていますが、いろいろな所が故障します。しかし、み心のままに・・・ですね。
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by minitayori | 2015-02-21 22:16 | Trackback | Comments(0)

蝋梅の花

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 アパートの庭に蝋梅の木がある。つぼみだと思っていたら、急に咲き始めました。きれいな香りの花です。

by minitayori | 2015-02-21 22:08 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月22日(日) 4旬節第1主日 「天使が共に」マルコ1章12~13

2月22日(日) 4旬節第1主日 「天使が共に」マルコ1章12~13
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1:12 それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。




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「礼拝に備えて」
 イエス様の公のご生涯は「誘惑」から始まりました。ギリシャ語では「誘惑」は「試練」と同じ言葉で表わされています。その両者の違いはなんでしょうか。イエス様のお姿を見ていると、自分のことを中心に考えるか、神様のお心を中心に考えるかの違いです。
 イエス様はご生涯の目的が受難と十字架であることを知っていました。荒野の誘惑の中でも神様を第一に考え、受難が待っていてもエルサレムに行かれ、十字架が待っていてもゲッセマネで祈りつつ、捕まえに来る兵士たちを待ちました。
 よい時を待つのは楽しいことです。もういくつ寝るとお正月、と楽しみに歌う歌があります。受験生はその当日を心穏やかには待てません。牧師も日曜日の説教の時が近づくのを、心痛く、時には悩みながら待ちます。でも最後に主が共にいてくださると言う平安を持って説教壇に立ちます。
 三寒四温を繰り返しながら春を待ちます。待ち遠しい春は、急激な寒さの揺り戻しを何度も繰り返します。春が来ることを知っているから、耐えることができるのです。
 イエス様のご生涯は、誕生の時から苦しみの連続でした。しかし、神様の御心の中で生きることの平安に満ちていました。イエス様には天使が仕えていてくれました。同じように、神様のみ心に生きようとする者には、天使のお守りがあります。そして、復活の春が来るのです。
 今年の復活は、桜満開の復活日となるでしょう。私達も主のご受難を共に覚えて過ごし、神様の御心の花咲く復活の喜びに預かりましょう。

by minitayori | 2015-02-21 22:05 | Trackback | Comments(0)

白菊

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 ご近所の庭にも椿や、バラの花が咲き始めました。これからが楽しみです。

by minitayori | 2015-02-21 21:59 | Trackback | Comments(0)