なでしこ

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 長女が一昨年の家内の誕生日に持ってきてくれた「なでしこの花」。昨年は引っ越しの準備やらで、花も遠慮うして咲かなかったが、今年は一階に降りて生活が落ち着いてきたら、きれいな花が日の当るところ咲いてくれた。もうひとつどうしても咲いてほしい花があるが、ケアハウスの環境ではよく咲いてくれたが、引っ越してからいまだに花芽が出てこない。手をかけて明るいところに出し続けてみたら、花芽が出てきた。闘病する敬愛する友人のプレゼントの花、胡蝶蘭。満開の花の写真を送って差し上げたい。祈る思いで見つめている

by minitayori | 2015-04-25 17:07 | Trackback | Comments(0)

 「ミニタヨリ 205」

 「ミニタヨリ 205」
 ケアハウスを出てから、胴周りが少し太くなってきたような気がする。昨年まで使えた洋服、特にズボンがきつくなってきた。決められた量ではなく、好きな物を好きなだけ食べるのがよくないのだろうと思う。
 病院に行ったりすると、つい外食になり、出たものは全部食べようと頑張ってしまう。以前より散歩の距離も短くなっている。その結果か、最近足腰が弱くなった。万歩計をつけて歩いているのだが、一番歩くのは教会に行った時。春になって天候が不順な時は、パソコンに電源を入れて起動するまで、部屋の中を歩いて歩数を稼ごうとするのだが、なかなか大した数にはならない。

 近くに公園があるのだが、子供用の公園で、下手にうろうろしていると不審者に間違えられそうだ。実際に、ここ練馬では学校からしばしば緊急連絡が来て、どこそこで変な男の人に声をかけられた子供がいるので、注意するように、と伝えられる。

 アパートにいる子供には、学校の行き帰りには「お帰り!」「行っていらっしゃい!」と声をかけるようにしている。半年たったので、仕事に行く人や帰ってくる人に声をかけるようにしている。びっくりされるが、表情が和らぐように見える。

 心をこめた挨拶は、人をその日一日和やかにし、「お帰り、ご苦労様。お疲れ!」の挨拶が一人暮らしの人には笑顔を作るきっかけになれたらと思う。
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by minitayori | 2015-04-25 16:54 | Trackback | Comments(0)

ピンクのボタン

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 散歩をしていたらきれいな花を見つけた。ボタンの花だと思う。駅の近くに一人暮らしのご婦人がいて愛猫と生活し、家の前に花を植えている。挨拶からいろいろな話をするようになった。その家の前には真っ赤なボタンがさいtげいた。でも気がつかないうちにしぼんでいた。「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」。どこかでうろ覚えの言葉だが少し違うような気がする。でも花の命の短さは、人の世のはかなさを示しているようだ。しかし、美しく咲く、人を喜ばせる輝くときもあるのです。それはいつか。神様がおもちいになるときですね。

by minitayori | 2015-04-25 16:48 | Trackback | Comments(0)

4月26日復活後第3主日◆ヨハネ21章15節~19節

4月26日復活後第3主日◆ヨハネ21章15節~19節
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イエスとペトロ
21:15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。

21:16 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。

21:17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

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 「礼拝に備えて」
 イエス様はペトロに「わたしを愛するか。」と問われた。しかも3度繰り返して尋ねた。3度問われて、ペトロは少し前に、自分が3度イエス様を知らないと否定したことを思い出し、身がすくむ思いだったであろう。

 この3度の質問の中に、イエス様の弟子たち、とくに苦しんでいたであろうペトロに対する、赦しと愛の心を感じる。

 しかし、この「愛」という三回の言葉について、この個所では微妙に変化している。最初と次の「愛」は、神様の愛に用いられる「アガペー」が用いられている。しかし、3度目の「愛するか」には、「フィレイス」という、いわゆる人間同士の信頼にもとずく「愛」という言葉が用いられている。

イエス様は、ペトロを始め人間には、イエス様が人間を愛するような愛を持つことはできないことを知っておられた。だから3度目には、愛を一段下げて人間に出来うる「愛」でと問われたのではないだろうか。

私達は信仰生活の中で、自分の信仰がいかに弱く、時にはいいかげんなものになるかを知っている。私達は、崇高なイエス様の愛を持ってイエス様に従えないことに苦しむ。イエス様はその様な私達を知り、失敗の多い私達に、「あなたにできる精一杯の心で、私を大切に思い、私を好きになっていなさい」と言われたのではないだろうか。

私達は弱く、信仰につまずくこともある。しかし、イエス様はそのままの私達を受け入れてくださり、「わたしに従ってきなさい」とやさしく招いていてくださる。
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信仰の弱さを恐れず、イエス様にどこまでも従う者でありたいと思います。


by minitayori | 2015-04-25 16:33 | Trackback | Comments(0)

木香バラ

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 ケアハンスの入口にあったバラ。受付の方がモッコウバラという名前を教えてくれた。あとで友人がこの花の説明をしてくれた。秋條宮家の家紋の花だよ。花にもそんな見方があるものだと初めて知った。
 
  「花」
             星野富弘氏詩
花は自分の美しさに 気がつかない
   自分の良い香りを知らない
   どうして 人や虫が喜ぶのかわからない
花は 自然のままに咲くだけ
香るだけ


by minitayori | 2015-04-25 16:21 | Trackback | Comments(0)

ツツジ

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 部屋の前の真っ赤に咲いたつつじ

by minitayori | 2015-04-18 22:19 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ204」

「ミニタヨリ204」
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 私達の部屋のベランダの前に、ピンクのバラと、真っ赤なつつじが満開になりました。毎日、窓からこの花を見ることができるのは誠に幸いです。

 まだ写真には写していませんが、未央柳(びようやなぎ)もみつけました。(清瀬のケアハウスの前にもありました。)美容と書くと思ったら違いました。次回の楽しみにしてください。

 目の方も20日に検診ですが、以前より少し良くなったような気がします。相変わらず見えは悪いのですが、難病のため見え方がその時によっていろいろ変わるので、なかなか眼鏡も作ることができません。

 それでも道端の小さな花を見つけることは上手ですよ。何と言おうか、花の方から声をかけてくれるような気がします。道端のすみれ、駐車場のポピーなど、笑顔で話しかけてくれるようです。

最近は、自分が書かなくなったので、メールも電話も手紙も少なくなりました。請求書と公文書くらいになりました。自由な時間に自分の部屋を片付けようとするのですが、後で読みたい本や使えそうな電源コードや、友人からの手紙などは簡単には捨てられず、大切にしまってしまいます。その結果、片付けは一向に進みません。

 医者に行くたびに、運動をしなさい、散歩をしなさい、と言われますが、なんとなく当てのない散歩をしていると帰れなくなってしまうような気がします。迷ったり、電車で乗り過ごしたり、いろいろと失敗はありますが、それも後で考えてみれば楽しいものです。

 新しい、面白い(?)経験をすることが増えましたが、出来るだけ楽しむようにしています。どんなことにも楽しみがあります。でも体調を崩さないよう、転ばないよう気を付けています。大体楽観的にできているのですね。

 では皆さんのために神様の祝福を祈りつつ。



by minitayori | 2015-04-18 22:08 | Trackback | Comments(0)

クンシラン

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 今は亡き敬愛する友人から頂いたクンシラン。長野、熊本、清瀬と回って、現在の家のベランダに咲いた。
場所が変わったので、今年は難しいと思っていたが、やっと咲いてくれた。
もうひとつの胡蝶蘭は、どうしても咲かなかったが、元気な葉が出ているので来年が楽しみです。ケアハウスに置いってきた一鉢は見事に咲いて、96?歳の隣室の友人が喜んでいた。来年は落ち着いて咲かせます。

by minitayori | 2015-04-18 22:02 | Trackback | Comments(0)

4月19日 復活後第二主日 ヨハネ21章1節~14節

4月19日 復活後第二主日 ヨハネ21章1節~14節
◆網をあげよ
(1,2節省略)e0191585_21471210.jpg
シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。
イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。
さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
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「礼拝に備えて」
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「網を引き上げよ」
ヨハネ21:1-
イエス様と弟子達とのやり取りには、この『言葉なき言葉』による結びつきが非常に強いように思う。それでも繰り返しイエス様は弟子たちに現れ、神様の御心を伝えると言う、大切な働きを思い出させ、送り出そうとされます。今日の日課では、イエス様は、再びテベリア湖畔で、弟子たちにご自身を現わされました。

シモン・ぺトロ他7人の弟子が一緒でした。シモン・ペトロが、「わたしは、漁に行く」と言うと、他の弟子たちも、「わたしたちもあなたといっしょに行こう」と言い、舟に乗りましたが、その夜は、何も捕れませんでした。≪その夜は、何も捕れなかった。≫それは辛いことです。徒労と言う言葉がありますが、今までの自分の努力が無になることです。彼らはがっかりしたことでしょう。彼らの失望の原因を示し、イエス様とのきずなを一層強くするために、この現実の中に主は現れました。

夜が明けたころ、彼らが帰ってくる岸辺に、イエス様は立っておられました。そこでイエス様は、彼らに言います、「子たちよ、何か食べるものはないか。」そうです、主は、飢え、疲れている弟子たちの中に、はいられました。そして自ら飢える者となられました。
わたしたちの不足が明らかになる時、実は、初めて復活の真理が輝き始めるのです。不足を通して、主は満ちあふれる恵みを教えるのです。
そこでイエス様は彼らに言いました、「舟の右側に網を投げなさい。そうしたら見つかるでしょう。」その言葉はかつて、弟子たちを招いた時の言葉でした。彼らに同じ経験をさせられました。今イエス様は、共に食事をすることによって、つまり肉体的祝福によって、霊的祝福を示されました。地上の働きの成功によって、彼らの使徒的奉仕の継続と実り豊かさとを示し、保証されたのです。
弟子たちが陸にあがってみると、そこに炭火があって、その上に魚がおいてあり、パンもありました。イエス様は彼らに言われます、「とったばかりの魚をすこし持ってきなさい。」主は、用意してありながら、わたしたちに求められます。
それは、何もないからではなく、わたしたちにも用意するものがあることを教えるためです。確かにこの魚は、弟子達の働きの結果ですが、本当は主の働きなのです。そのことを忘れてはなりません。人が捧げる物は、いつもイエス様が与えてくださる恵みの一部なのです。
イエス様は彼らに言われます、「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちのうち誰も、「あなたはどなたですか」と問いただしませんでした。イエス様は来られて、パンを取り、彼らに与えます。また魚も同じようにされました。わたしたちは、ここであの最後の晩餐を思い出します。
よみがえりの主は、今もみ言葉と聖餐を通してわたしたちに豊かに食べさせてくださいます。だれも飢える者はありません。
「わたしは戸の外に立って、たたいています。人がもし、わたしの声を聞いて、戸を開くならば、わたしは彼のうちに入って、食事をともにするでしょう」(黙示録3:20)と言ってくださいます。あなたにもイエス様の御招待は届いています。


by minitayori | 2015-04-18 21:50 | Trackback | Comments(0)

サツキ

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 部屋のベランダからサツキの花が真っ赤に咲いているのが見える。バラも咲いていたし。桜も咲いていた。家主さんの心、手入れされる方のやさしさが伝わってくる。

by minitayori | 2015-04-18 21:42 | Trackback | Comments(0)