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枇杷の実

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 散歩から帰る道すがら、ふと眼をあげると黄色い枇杷の実を見つけた。木があることを知ったはいたがもう実のなる季節かとびっくりした。戦後、食糧難の時、学校帰りに近くの山に行き枇杷の実のまだ熟しきれないのをもぎとって食べたことを思い出した。ほとんど種ばかりでおなかの足しにはならなかったが、黄色の琵琶の実が宝物のように大切に思えたものです。

by minitayori | 2015-05-30 17:03 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ209」

「ミニタヨリ209」
 練馬の私達が住んでいる地域は、昔は地主の方が大きな土地をそれぞれに持っていたところのようだ。練馬は大根で有名だったが、今はジャガイモ、ブロッコリーなども所々に残る畑で栽培されている。
 その地主さん達が、後継者がいなくて、アパートや戸建ての住宅を作って今の町ができている。わりとゆったりとしているのはそのためかもしれない。
 私達が住んでいるアパートは、築40年の古い建物だが、広い敷地に駐車場もあり(今の私には必要ないが)、周りには庭があり、大家さんが一年に一度くらいは職人を入れて樹木の手入れをしてくれる。見事なつつじも、形良い松の木もそのお蔭なのだろう。
 前号のバラのお宅に、お礼としてバラの写真をそっとポストに届けたら、お礼の電話をくださった。花を橋渡しにして、顔見知りの方が増えてくる。
今日使った花は、一人暮らしの、私と同年ぐらいの方の家の前に咲いていた鉢植えの花。君子蘭の仲間のような気がするが、聞いてみたら、「そんなことはどうでもいいんだよ!花がきれいに咲いている、それで十分だから」と言われてしまった。 「そうですね。花の種類も名前も花自身は何も言っていないものね。きれいだねと喜んであげることが大切。素直にきれいと喜ぶ心が、一番ですよね!」 教えられて帰ってきました。
 あなたも私も、神様の目には、大切な美しい花、今日一日、感謝して美しく咲かせて生きましょう。


あてはずれ
    あなたは 私が考えたような方ではなかった。
    あなたは 私が思っていたほうからはこなかった。
    私が願ったようには してくれなかった。
    しかし、あなたは、私が望んだ何倍ものことをしてくださった。

           星野富弘さん詩集 「あなたの手のひら」P17より

by minitayori | 2015-05-30 16:46 | Trackback | Comments(0)

クンシラン?

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 一人暮らしの老婦人が、家の前の小さな土の庭にいろいろな花を咲かせている。いつも、入口に座って道行く人に声をかけている。わたしもある時から、こちらから声をかけるようになった。しばしの立ち話に笑顔が出てくる。昨日鉢植えのきれいな花を見つけた。クンシランのように見えたが、少し違うようだ。花の名前を聞いたが、「そんなものは知らん!きれいだね、とほめれば花は喜ぶ、自分も喜ぶ。それでいいんだよ。だって!

by minitayori | 2015-05-30 16:29 | Trackback | Comments(0)

5月31日 三位一体主日 ヨハネ3:1-12

5月31日 三位一体主日 ヨハネ3:1-12
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3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」 3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。 3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。

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「礼拝に備えて」
 ファリサイ派に属しているニコデモというユダヤ人の最高院の議員であった人が、夜イエス様のもとにやって来て質問しました。このイエス様とニコデモの話はまるでかみ合っていないのが面白い。
 なぜ夜来たのでしょうか。ユダヤ人の議員という地位から、イエス様のもとに公に来ることを阻む何かがあったのでしょう。ユダヤ人の指導者、宗教家はこのころイエス様の存在を疎ましく思い、できれば殺してしまおうと話し合っていたのです。
 だから人目を忍ぶようにして、夜、密かにイエス様の所に来たのです。まずニコデモがイエス様に語った言葉の特徴に注目してみましょう。そこでは彼自身の思い、考えが中心になって語られています。
 「私達は・・・思っています。」このように思う心、自分の思いを第一にする心ほど神様を受け入れるのに妨げになるものはありません。
 イエス様は彼に「新しく生まれ変わらなければ神の国を見ることはできない。」と諭されます。ニコデモは思いもよらぬ言葉に驚き、「もう一度母親の体に入って生まれるのですか」と問いなおします。イエス様は「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」と教えられました。
 神様の事、イエス様のことを理解しようと思うなら、神様の助けを必要とする。そしてそのために神様は「助け主である聖霊」を送ってくださる。この聖霊に心を明け渡して、その教えに従うことこそ、神様の愛の御心を知る唯一の道ですよ、とイエス様は教えられたのです。
 人の心にはニコデモの心があります。自分で納得しないと信じられないという心です。しかし、神を信じるということは神様にゆだねる、任せるということなのです。父なる神、子なる神(イエス様)、聖霊なる神は、それぞれあなたを愛するために働かれる神様のお姿なのです。
 「 御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。」ヨハネの手紙1 3章1節
 神様はあなたを「神の子、わたしの愛する子」と呼びたいと願っておられます。

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by minitayori | 2015-05-30 16:15 | Trackback | Comments(0)

庭の菊

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 部屋を出ると駐車場。その片隅に最近咲き始めたユリの花。黄金色に輝いて神々しい。花一つ一つが神様に生かされている喜びを語っている。その言葉を、心を聞きとる心がほしい。

by minitayori | 2015-05-30 16:03 | Trackback | Comments(0)

赤いバラとペンテコステ

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赤いバラをイエス様の受難と結び付ける説がある。茨の冠はバラノ棘、赤い花弁はイエス様の愛の血潮。ペンテコステに下った炎のような…は、イエス様の愛の血。教会ではそのことを思いだすために、この日の聖壇には赤いバラを飾るという。教会中にバラを撒くところもあると聞いたが、これは大きな教会しかできませんね。

by minitayori | 2015-05-23 17:36 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ208」

「ミニタヨリ208」
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 構想から3年がかりで完成した「手話で福音を伝えよう」という小冊子が、アバコ(キリスト教視聴覚センター)から出版されて間もなく一年近くになる。
 先日、2014年に発刊された書物の中から、全国キリスト教書店員が一番読んでほしい本の「キリスト教本屋大賞」選出のため、10冊がノミネートされた。私の本はノミネートはされなかったけれど、「あなたのリスト教書イブラリーに、ぜひ加えて欲しい良書のスト」という「キラリ本」に選ばれた。
 アバコの職員に大変なご苦労をかけ、資金の少ない中イラストや校正まで手がけて下さった。ろう者伝道牧師として40年、キリスト教用語を作りつつ伝道を続けてきた。
その努力を次の世代に引き継いでいただくために、ここから改訂しつつ成長できるように、との願いを込めて努力した。自分にできる集大成として、未熟ではあるがそのような用い方をしてくれたらうれしい。
手話は、心の中で、自分の体験を絵にして考え、それを手で演じる。聖書の手話は、聖書の中に生きています神様、イエス様の行動、お考えをまず思い浮かべる。それがリアルであればある程、手話は耳の不自由な人々の心に神様。イエス様のお心が伝わってゆく。
み言の中には、復活されたイエス様が今も語りかけていてくださることがはっきりと記されている。その声を聞きつつ手話ができたら、きっと良い手話になるだろう。そういう通訳者が、キリスト教会の中に一人でも多く育ってほしいと心から願っている。本の注文は近くのキリスト教書店かアバコまで。

by minitayori | 2015-05-23 11:36 | Trackback | Comments(0)

孤高の美人花

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 名前がいろいろ出たが確証がつかめなかった。貴婦人のように背筋を伸ばして誇らしげに咲いていた。

by minitayori | 2015-05-23 11:22 | Trackback | Comments(0)

「礼拝んに備えて」 5月24日 聖霊降臨祭

「礼拝んに備えて」 5月24日 聖霊降臨祭 ヨハネ15:26-16:4a
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15:26 「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。
15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

16:1 これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。
16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。
16:3 彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。
16:4 しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」
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「礼拝に備えて」
 今日の聖霊降臨日はペンテコステともいわれ、イエス様が復活された後50日目を意味する。教会の誕生日ともいえる。
 イエス様の十字架の死と復活の後、イエス様が何度弟子達の前に現われても、弟子達は喜んだが、イエス様の復活の信仰までには至らなかったようだ。
 彼らの大半は、最後の晩餐をした部屋に閉じこもり、自分たちも捕まるのではないかと、戸を閉じ、カギをかけて震えていた。
 この弱く、小心者の弟子たちが、エルサレムという一番危険な所で、イエス様は神の子であった、と証言を始めた。しかも、そこに集まった諸国の人々が、神様の素晴らしい業をわかるような言葉で語ったと言われる。
 その言葉が何語であったかはわからないが、少なくとも集まっていた人々が「私達のわかる言葉で、神のなされた素晴らしい業がわかった。」と使徒言行録2章に書かれている。
 この言葉は「聖霊」が与えてくださった言葉であった。そしてイエス様が全ての弟子たちに与えられた言葉であった。天地創造のはじめから、イエス様の十字架、復活、昇天までのすべての出来事、いや旧約聖書も含めた神様の御心の歴史の全てが、聖霊の導きで理解できた、ということである。
 私達は礼拝に集い、み言葉を学び、祈ることによって信仰生活を続ける。そして、み言を聖霊の導きで心に深く理解し、誰にでもわかる言葉で証ができるようになりたい。
 まず教会が、そして信徒が、集うみんなが聖霊の励ましを受ける時、活気にあふれた伝道する教会が誕生できる、と信じている。神様はそのことがこの日本に始まることを心から願っていらっしゃる。


by minitayori | 2015-05-23 11:18 | Trackback | Comments(0)

アパートの床の砂地に咲く花

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 アパートの床に毎年咲く花。芝桜と思ったが少し違うようだ。部屋替えで花の図鑑を仕舞い込んでしまったので改めて調べて知らせます。ピンクが輝いて美しい花です。

by minitayori | 2015-05-23 11:09 | Trackback | Comments(0)