ノウゼンカズラ

e0191585_21294342.jpg


 いつもの散歩道にあるお屋敷の入口に咲いていたきれいな花・夕日を通して見るともっときれいに見える。

by minitayori | 2015-06-27 21:33 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ213 地に平和を求む

「ミニタヨリ213」
 練馬のアパートに来て、孫にジージ、バーバと呼ばれるようになって一年余、この呼び名にも慣れてきた。夫婦の間でもついこの呼称で呼び合って、苦笑している。
小学5年になった孫娘は、下校後も少しもじっとしていないで友達と遊んでいる。自分にもあんな時代があったっけな~と、つい昔に思いをはせる。しかし、私には小学生の時の思い出は少ない。
 幼稚園の時に、豊橋で空襲に合った。B29の爆音と爆撃の中逃げ回った。すべてを焼かれて田舎に逃げ帰って、それはひもじい思いをした。弁当にはお芋が二つにタクワンがひときれ。それも手に入ればよい方だった。父母はその時40歳半ば、子供7人を良く食べさせてくれたものだと思う。
 戦後の食糧難の中、弟は死に、次の弟が病気で聴覚を失った。子供たちみんなが虚弱で父母は苦労しただろうと思うと、ただ感謝。
小学4,5年の時は、裏の田圃で泥まみれになって遊んだものだ。川でウナギをとって売りに行った。魚を釣っておかずのたしにしたこともあった。タニシを取ったりセリを摘みに行った。自然の中で思いっきり遊んだなー。
町の方からリュックを担いで買い出しに来た人もいた。母は自分たちが苦労したから見過ごしにできず、夕食に用意したご飯をおにぎりにしたり、自分の子供の服をあげたりしていた。朝学校に行こう、ところが洋服がない、なんてことも懐かしい思い出だ。
しかし、あの空襲の恐ろしさ、疎開先での空腹、空襲警報のサイレンの恐ろしさは、今でも忘れられない。今でもサイレンの音を聞くとびくっとする。
平和な今の生活、多くの人の苦しみ、努力によって今の平和を作り出すことができた。この平和を大切にしたいと願う。
e0191585_21215466.jpg
清瀬市のけやき道路ギャラリーの一つ

by minitayori | 2015-06-27 21:27 | Trackback | Comments(0)

アガパンサス「真の愛の花」

e0191585_219614.jpg


 部屋の裏庭に懐かしいアガパンサスの花が咲いていました。わたしはこの花をケアハウスに入って初めて見ました。名前が分からず、図鑑で調べたところ名前と共に素晴らしい解説がついていました。この花の語源は「アガペー」=神様の愛をあらわす語源からきているというのです。アガペーは、すべての人に無償で与えられる神様の大きな愛を表します。神様はその愛をイエス様の十字架で示してくださいました。すべての人を神様の子として受け入れるため。

by minitayori | 2015-06-27 21:17 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 6月28日  「安息日の心」 

6月28日 聖霊降臨後第5主日  「安息日の心」
e0191585_2115834.jpg
◆手の萎えた人をいやす
3:1 イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。
3:2 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。3:3 イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 3:4 そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。3:5 そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。
3:6 ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

e0191585_2125926.gif

「礼拝に備えて」
イエス様は今日の日課において、安息日の本当の意味、神様が与えてくださった目的を示しています。創世記の2章を見ると、神様は天地創造の業を終えて、7日目にこの日を聖別し、安息の日と定められました。
 神様が聖別して、安息の日とされたのです。誰のためでしょうか。神様がつかれたので休まれるためでしょうか。聖別するというのは、別にしておく、止める、休むなどいろいろに訳すことができる言葉だそうです。大切なのは、「何のために」ということなのです。
もう何十年も昔になりますが、最初の教会での働きは、とても忙しかった。もっとも、教会の働きで暇な働きの場はどこもありませんでしたが、特に、最初の教会の働きは、聴覚障碍者の働きも手探りで、教会用語を探しながら、またみんなにわかる手話を作りながら、の働きでした。
 声で説教しながら、手話で同時通訳する、しかも健聴者にもろう者にもわかりやすいお話をしなければならないという、神経をすり減らす働きでした。日曜日は教会学校に40~50人来ていましたし、礼拝、説教、礼拝後の洗礼準備会、これも手話と同時通訳の場でした。午後の集まりがあり、話したい人との話相手になり、特に青年が多かったですが、青年会、婦人会、聾者部会それぞれ毎日曜の行事でした。みんなが帰る5時ごろには、夜の礼拝に来る人がいます。一日の働きを終えて、疲れた体で夕の礼拝に来る人、この礼拝も少なくても決して手を抜くことができませんでした。
 5時から夕食までの一時間ぐらいがつかの間の休息でした。牧師館に戻り、疲れた体をソファー横たえて仮眠するのが休息でした。しかし、11階建ての女子寮の下にあった牧師館は、ピアノの練習は8時まで。ソファーの横に置いてあったピアノで娘たちはピアノの練習を始める。「お父さんが寝ているから静かに」という母親の注意。しかし、私の束の間の安息は、娘たちの我慢によって得られるものではありません。一生県命練習するピアノの音が安らぎでした。家族の団欒を聞きながらしばしの仮眠を楽しみ、夕食をとって夕の礼拝に行きました。 家族が普通にしていてくれること、その音が安らぎでした。安息日に、禁止事項の中にではなく神様がお望みなのは、愛する子供たちが、愛と感謝を持って神様のみもとに集まることではなかったでしょうか。そのためにイエス様は働かれたのです。日曜日は、神様が私達に一番大切なプレゼントを持って、待っていてくださいます。
 安息日の主イエス様の十字架による罪の赦しをあなたに伝えるために、神様は待っていてくださいます。あなたのために時間を取って。喜んで、感謝して教会に集いましょう。家で、病床で心を神様に向けましょう。神様はあなたと共に居てくださいます。
e0191585_21610100.gif

by minitayori | 2015-06-27 21:07 | Trackback | Comments(0)

ブーゲンビリア

e0191585_20521174.jpg


 近くの洋品店の看板の花。あまりにきれいなので名前を聞きました。ブーゲンビリア、忘れないように口にしながら家に帰りました。でも、別の花の名前を考えているうちに忘れてしまい、結局は家で本を調べなおしました。本当はもっとかわいらしい赤紫に真っ白な押し弁が目玉のように見える面白い花でした。

by minitayori | 2015-06-27 20:58 | Trackback | Comments(0)

胡蝶蘭

e0191585_12555219.jpg


 胡蝶蘭の一鉢の蕾全部が咲きそろった。天使がみんな集まって、祝福している。敬愛する友人が次週、大きな手術をする。そのために祈りの天使(私がこの花に付けた呼び名)が、励ましに来てくれたのかも。確かにそうだと思っている。無事手術が成功するように! 

by minitayori | 2015-06-20 13:03 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ212」

「ミニタヨリ212」
e0191585_1252134.jpg
 やっと梅雨に入った。アジサイの花が輝き始めたように感じる。私の家の祈りの花(胡蝶蘭)もみな咲き、命の強さを感じさせてくれた。
 近所の家の庭に咲く花も、にぎやかになってきた。少し足を延ばせば、アジサイで有名な豊島園のアジサイ園がある。数千本の色とりどりの花が咲いている。東京に戻ってきた時、娘に連れて行ってもらった。今年は近くなったので自分たちで行ってみようと思うのだが、時間があるようでなかなかその時間が取れない。
 このところ足腰が弱ってきたので、介護認定を申請し、要支援が認定されたので、リハビリができる施設に通おうと思っている。いよいよ自分も高齢者なのだと複雑な思いでいる。
 東京都のシルバー無料券をもらった時、都営バスや都営地下鉄でぶらり東京見物をしたいと思ったが、なかなか使う機会がない。でもたまに都バスに乗ってみると、シルバーカードで乗ってくる人の多いこと。みんな元気そう。
 高齢者の多い村では、パソコンを配って安否を尋ねたり、買い物したり、広報を送ったりしていると聞いた。字を大きくすることもできるし、上手に使えば、高齢者が孤立しなくていいと思う。
でも次々と新しくなって、その取り扱いに頭を悩ますし、使い方が分からなかったりして、参考書を見るが、すぐ忘れてしまう。必要最低限で良しとしようと、最後はあきらめてしまう。これでいいんですね。
e0191585_1253853.gif

by minitayori | 2015-06-20 12:54 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 6月21日 聖霊降臨後第4主日

6月21日 聖霊降臨後第4主日 安息日の主と共に生きる
e0191585_11582028.jpg
◆安息日に麦の穂を摘む  マルコ2章23~28
2:23 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。
2:24 ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 2:25 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 2:26 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
2:27 そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。
2:28 だから、人の子は安息日の主でもある。」

e0191585_11594543.jpg

「礼拝に備えて」
 律法を厳守していたファリサイ人たちは、イエス様の弟子たちが安息日に麦の穂を摘んで食しているのを見てとがめた。律法厳守こそ最も尊い信仰のあるべき姿と思っていたファリサイ派の人々は、弟子たちやイエス様の生き方を容認できなかった。
 むしろ、罪を犯していると責めた。このファリサイ派の人々の考えに対して、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」と答えられた。これはファリサイ人たちだけではなく、これから宣教に出て行こうとする弟子たちへの教えでもあった。
 弟子たちはユダヤ教の中に育って、律法の大切さを教えられて育ってきた。私達、現代に生きる世の中にも道徳とか規範がある。  昔、東京に出てきて初めてある教会に行った時、ご婦人たちが紋付の羽織を着て礼拝や聖餐式に参列しているのを見た。壮年紳士達は、どんなに暑くても背広、ネクタイをして、礼拝に出席していた。インターンの時、一度だけその教会で説教をすることが許された。未熟な若い青年の説教に誰も来ないのではと思っていたが、いつものようにそうそうたる紳士、ご婦人達が、ネクタイをし、羽織を着て、姿勢を正して聞いていてくださった。
 私はこの時思った、この方々はイエス様を十字架に付けるほどに私達を愛してくださった神様の前に、精一杯の身づくろいをして出ているのだと。その気持ちを私は忘れないように努力してきた。
 自分と神様の間での信仰の、緊張ともいうべき姿。しかし、それが自分と神様ではなく人に向けられると混乱が起きる。
私が牧会していた教会で、ある時大学生が、若者の好む汚れたジーンズで聖餐式に出てきた。いやな顔をする人もいた。陰で非難する人もいた。時代が変わってきたなと思った。私は彼に、せめて、洗ってきれいにしてから神様の前に出るように、着るものではなくて心の準備が必要だと話した。次からは聖餐式のない時でも、良く洗った、さっぱりした洋服で礼拝に来るようになった。
 安息日は、今は私達には日曜日の礼拝になるが、神様がイエス様を十字架に付けてまで愛を示してくださる日。十字架によって示してくださる神様の愛のお心をいただく日。愛と感謝にあふれた日。その様な日として、喜んで参加し、感謝しつつ帰ることができるようにしたいものです。

by minitayori | 2015-06-20 12:00 | Trackback | Comments(0)

ユリ

e0191585_1148987.jpg


 買い物途中の庭から道路に、みてくれと言わんばかりにユリが顔を出していた。買い物終わってカメラを持って写しに行った。少し威圧感のあるユリの色、大きさだった。しかし、色つやもよく元気を発散させているユリだった。

by minitayori | 2015-06-20 11:52 | Trackback | Comments(0)

胡蝶蘭

e0191585_21442279.jpg


 花の中心を気をつけてみてください。天使が両手を広げて語っています。「恵まれた人よ、おめでとう!神様が共にいます。」祝福と約束の声聞いてください

by minitayori | 2015-06-13 21:48 | Trackback | Comments(0)