ミセバヤ

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 ケアハウスにいるとき、隣室の今は亡き良き友人が家内の誕生日を知って、散歩の途中で買ってきてくれた。今も練馬の家にはこの花が残っている。写真の花は公園の近くの団地の中の庭にあったものだ。「はいこれ!」とにこにこ笑いながら下さった柔和な顔が思い出される。

by minitayori | 2015-09-26 20:19 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ218

「ミニタヨリ218」
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 夏が知らぬ間に過ぎ、秋が始まったと思ったら、もうすぐ冬が来るという。時の流れに身をまかせて生きたいが、あまりの急激な変化に置いてきぼりになってしまいそうな気がする。
 世の中全体が、急激な変化と言おうか、今までの経験から少しずつ変化してゆく、というようにはなっていないようだ。
現役の頃は、教会の中だけで懸命に働き、家の中の事や世間様とのお付き合いには関心を持つゆとりがなかったので、引っ越し後のいろいろな手続きの難しさにお手上げの感じ。
 これではいけないと区役所に行ったり、自分の事は自分で出来るだけしようと思って出かけるが、書類書きが大変!郵便番号は?住所の番地は? 電話番号は?などなど矢継ぎ早に聞かれるとなかなか出てこない。 これではいけないと、役所に行く前に、名刺を見て郵便番号や住所、番地、電話番号などぶつぶつ言いながら覚えていく。こんな状態だが不思議なもので、昔の教会の電話番号、故郷の電話番号などはすらすら出てくる。
 脳の訓練方法はいくつもあるようなので、テレビで一生懸命に見て覚えようとするが、いざ実技となると、思い出せなくなる。だが不思議に、40年近く使ってきた手話は、身についているのか忘れない。
 母が80歳ごろから、自分の子供や孫の名前を、あまり言わなくなったが、みんなに忘れたと思われるのが嫌だったのだろう。今思うと、笑わずに受け入れてあげればよかったと思う。
 私など、たった二人の娘の名前を間違えて、それは妹、それはお姉ちゃんと注意されていたが、最近は注意しないところをみると、もうあきらめられたのかもしれない。
 シルバー川柳の「万歩計 ほとんどみんな 物探し」を、かつてはにやりとして読んだものだが、他人ごとではなくなった。確かに、残り少ない人生の時間、物探しに使いたくないが仕方がないですね。
 何ができなくなっても、手を合わせて祈ることは出来る。家族のため、兄弟のため、教会のため、日本・世界の平和のために、祈り続ける者でありたい。
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by minitayori | 2015-09-26 20:12 | Trackback | Comments(0)

キリエ「幼子を祝福される」

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 このキリエには、二つの意味が込められている。幼子は神様から預けられたもの。神様に返す気持を忘れないこと。もう一つはイエス様は幼子にいつも目をとめて、愛してくださっているということ。あなたもイエス様の愛される子供です。「これはわたしの愛する子!」神様のお声です。

by minitayori | 2015-09-26 20:03 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 9月27日  マルコ9章30-37

9月27日 聖霊降臨後第18主日 マルコ9章30-37
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9:30イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
9:31 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。 :33 一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。:34 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。:35 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」
9:36 そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
9:37 「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

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「礼拝に備えて」・・イエス様の心・人の心・・
 イエス様は旅の道すがら、ご自分がやがて苦しみを受け、十字架にかかり、死なれることを弟子たちに話された。これを聞いた弟子たちは、それがどんな意味を持つか恐ろしくて聞けなかった。
 彼らは、今まで何度も、イエス様がエルサレムに上られる目的が受難であることを教えられた。しかし、弟子たちは、違ったふうに受け止めていた。エルサレム入城は、イエス様が王となる時、メシアとなるときと考えていた。彼らの関心はイエス様の心と一つになることではなく、自分の心の欲望が実現することであった。
 イエス様は幼子を抱かれ、弟子達の真中に立ち、「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」と言われた。
 イエス様の弟子とは、自分の栄達ではなく、助けを本当に必要としている人に手を差し伸べる、憐れみと優しさを持つ者である、と教えられる。
 この教えは、今の私達の教会にも語られるイエス様の願いではないだろうか。教会学校を通して幼子に福音を伝えることは、実りが遅いと敬遠され、障害者はなおざりにされている。高齢者は家で祈ることしかできないし、足の悪い人は教会の階段を上がることができない。このような現実を教会はどう受け止めているだろうか。
 このようなことに痛みを感じなくなったら、教会にはイエス様の心は失われたと言わざるを得ない。世界に出て行って、全ての人に福音をつたえよ・・とイエス様は弟子達に、いや教会に命じられた。このみ言に生きているかどうか、自分の心に自問自答をし続けたいと思う。


by minitayori | 2015-09-26 19:57 | Trackback | Comments(0)

キンモクセイ

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 近くの公園に行ったら、よい香り、懐かしい香りがしてきた。たくさんある木の日本がキンモクセイで、きれいな花と香りを振りまいていた。人が振り向くような香り、私に出ているだろうか。イエス様の愛の香りを出すものでありたい。

by minitayori | 2015-09-26 19:50 | Trackback | Comments(0)

ムクゲ

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 花言葉は「信念」。何事にもいま生きることに、自分の心の中に生かされている喜びと「信念」を持って生きていたいと思いました。

by minitayori | 2015-09-19 19:52 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ217」

「ミニタヨリ217」
 国会の狂気に満ちた騒乱を、テレビを通して見ていた。会議ではなくて騒乱だった。生徒会でこのような暴挙が起こるだろうか。国の将来を託された議員達が本当に国民のためを思っているなら、このような重要な法案は、充分な時間をかけて審議をし、国民を納得させる努力をもっとして欲しかった。今の内閣や国会を見ていると、この国の将来が不安になる。
 しかし、いくら国会の騒乱を批判しても、あの議員達を選挙で選んだのは私たちである。次回の選挙で、次の政権を任せることの出来るような野党がないことにも、今は無力感さえ感じる。
平和憲法は日本の宝物。いや世界の宝物。イエス様は無抵抗で十字架にかかり、その愛の業は世界に広まった。イエス様の教えにしたがった、マルティン・ルーサー・キング牧師が歩まれた道、マザーテレサが歩まれた愛の道は、小さくても非常に強い力となった。平和を願う心はたとえ小さくても、多くの人々の心に広がって行くときに、大きな力となり、うねりとなることを忘れないでいたい。
 長く続いた雨がやっと上がり、今日は朝から秋の空。5連休に心が弾む人もいるだろう。しかし、今この時も、豪雨の被害に苦しんでいる人が沢山おられることが忘れられない。ボランティアの人々が沢山駆けつけているという。その中に、高校生や若者たちも沢山いることに心慰められる。私も何か手伝いたいと思うが、かえって足手まといになってしまうだろう。私にできるやり方で被災地の方々のことを考えたい。せめて電気、ガス、水が早く復旧することを祈る。
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by minitayori | 2015-09-19 19:46 | Trackback | Comments(0)

並んだ水滴

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 バラの家のお宅の前を通ったら、バラの枝にきれいにならんが水滴を見つけた。しばらく眺めていたが、落ちることもなく、競争することもなく静かに整列していた。いつのことか忘れたが、外国の方が、日本の電車に乗る人を見て、その整然とした並び方、乗り方に感心したと言っていた。たぶん通勤ラッシュのときではないと思うが、やはり整然と並んでいる姿は、人々の忍耐の強さを示しているのだろうか。

by minitayori | 2015-09-19 19:41 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 9月20日 マルコによる福音書8章27-38

9月20日 聖霊降臨後第17主日 マルコによる福音書8章27-38
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8:27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。
8:28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
8:29 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」8:30 するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。 8:31 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。:32 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
8:33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」
8:34 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 8:35 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
8:36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。8:37 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 8:38 神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」

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「礼拝に備えて」
 教会の暦は、大きく二つに分けられる。1つはイエス様の出来事を記念する半年と、もう1つは、その出来事とイエス様の教えを学んで、信仰の成長を考え学ぶ半年である。
 前の半年は、イエス様のご生涯の出来事を、降誕から受難において、待降節とクリスマス、顕現節、受難節と受難週、受苦日、主の復活、ペンテコステ(聖霊降臨)となる。その後は聖霊降臨節に入り、後の半年がイエス様のご生涯とその教えを学ぶ時となる。
ルーテル教会では、聖書日課があって、3年間で旧新約聖書を読み通すことができるようになっている。それぞれマタイ・マルコ・ルカが隔年で用いられ、特別な祝祭日にはヨハネの福音書が用いられる。
 今年はマルコの福音書を通して、イエス様の教えとお働きを学んでいる。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人の福音書記者は、それぞれ異なった対象者、読者を意識しながら福音書を書き、福音書を読む読者たちを励まし、支えようと意識している。
 一般に、最初に書かれた福音書はマルコであり、次にマタイ・ルカと続き、最後にヨハネが書かれたといわれる。確かに、マルコは 急いでこの書を記して、弟子達、信徒達を励まそうとしている。記された出来ごとの進み方が、少し性急に感じられることからもそう言われる。
 今日の日課では、イエス様は弟子達に、ご自分について人々はどのように言っているかと尋ねられた。イエス様はペテロの答えに満足された。しかし、ペテロの答えに懸念も示された。どこにそう感じられたのであろうか。ペトロはイエス様の事を「メシア」と言った。この言葉は旧約聖書が書かれたヘブライ語で「油注がれた者」、王とか大祭司がその職に任ぜられるときに行われる儀式に由来する。
 ギリシャ語でいえば「キリスト」=「救い主」になる。「メシア」という言葉を使ったということは、ペトロはイエス様の本当の目的が何かを、理解していなかったのではないかと思われる。イエス様はご自分が間もなく苦しみを受け、十字架に付けられることを話されると、ペトロはイエス様を脇に引き寄せて、「いさめた」と書いてある。このペトロに向かってイエス様は「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」と叱責された。これは厳しい叱責の言葉。神のみ心が行われることを考えないで、自分の思いを優先させる、それこそ原罪、アダムが最初に犯した罪であり、旧約聖書の民が過ち続けた道であった。
 イエス様はこの道ではなく、神様に従う道を選ばれた。どこまでも神様の御心を求め、十字架への道を歩まれた。この道こそ、神様の求める道、平和を作りだす道である。教会も私達も、自分の心を中心にしないで、神様のお心に従って、この世界を神様のみ心に適う、愛に満ちた世界にしなくてはならないのである。
 み国を来らせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせ給え、と祈りつつ!
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by minitayori | 2015-09-19 19:32 | Trackback | Comments(0)

紅白の彼岸花

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 近くの区営住宅の庭に珍しい花を見つけた。彼岸花は珍しくはないが、白い彼岸花があることは初めて知った。少年のころ、この時期になるとお墓によく咲いていたので、何となく不吉な怖れを感じていたが、きれいなものですね。

by minitayori | 2015-09-19 18:02 | Trackback | Comments(0)