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サザンカ

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 サザンカが咲き始めた。以前の任地である熊本は暖かかったのであまり見る機会がなかった。わたしの故郷でもそうだった。東京に来て清瀬に住んだ時、生け垣がみなサザンカだった。小雪が降る中、真っ赤な子供の手のような花が寒そうに咲いていた、寒さの中できれいな花だと思った。

by minitayori | 2015-10-30 21:44 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ223」

「ミニタヨリ223」
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 何年か前に、救世軍の特別養護老人ホームを訪問した。100歳を有に超えておられた、妻の大学時代の恩師のお見舞にうかがった。ほとんど寝たきりで、話ができる状態ではない、と言われたが、妻が「先生、先生、私です。お世話になった○○です。」と声をかけると、目をぱっちりとあけて、声の主を探すようにして、手をしっかり握り、「ハレルヤ。感謝します」と言われた。
 あの年齢とお体の調子の中で、「ハレルヤ!感謝します。」と言える信仰を私も持ちたいと思った。その後丁度空いた夫婦部屋に入るようにとお電話をいただき、働きを終えて一番疲れていた時の憩いの場として、ケアハウスにお世話になった。雨が降っても、嵐が来ても、晴れても、いつも「ハレルヤ!」と神様を賛美できる信仰に立ちたいと思った。

引退してもう牧師ではないと、ある雑誌の自己紹介に書いたら、「先生、牧師は定年はあっても、牧師職からの引退はないのではありませんか、と編集の方に言われてしまった。確かに、事務所から送られてくる手紙には『定年牧師の皆さま』と記してある。牧師職は一生の献身、一線は退いても可能な限りこの働きを背負って生きていかなければならないと改めて思った。
 その後、九州で結婚式、東京で三人の方の見取りと、葬儀を二度行わせていただいた。この年齢でなければわからない、様々なことが見えてきた。人に関わることは全てにおいて、自分が優しくあらねばならないと教えられた。それが私の咲かすべき花の色だと思った。
 『優しい』とは、『憂い』を持つ人のそばにそっと立つ事、それが『優しい』と言う漢字の語源と言われる。身にしみて感じる今日この頃です。
 我が身は老い、弱く、力無けれども、両の手を合わせて祈る『祭司』の
働きはまだできる、最良の業、祈ること。忘れまい。
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by minitayori | 2015-10-30 21:38 | Trackback | Comments(0)

キバナコスモスとミツバチ

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 空き地に咲いていたきれいな花「キバナコスモス」に、蜜蜂がとまっていた。寒さに備えて家族を守るために夢中で蜜を吸っていた、邪魔をしないからね!と言いつつ、近くによって写真を撮った。花の少なくなった今、寒さに備えて働くミツバチに、がんばれ!と心に呟いた。

by minitayori | 2015-10-30 21:28 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月1日 全聖徒の日 「幸いなるものよ」

11月1日 全聖徒主日 マタイ5:1~12 山上の説教「幸いなるものよ」
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5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。:2 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
5:5 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
5:7 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
5:8 心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
5:9 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
5:10 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
5:11 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
5:12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

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「礼拝に備えて」
 この日曜日は教会では全聖徒の日と言う名前で、特別の礼拝をします。礼拝堂の前に、先に召された方々の写真を飾り、信仰にあっての友を心に覚えつつ礼拝をします。
 それはただの式典ではなく、十字架と聖壇を前に、その後ろに立たれる先に召された方々と、今この世界で生きることを求められている私達とが、
信仰に置いて一つの交わりが行われる、その様な礼拝(交わり)なのです。
 教会では、この日に日本の教会でも墓前礼拝をおこなう所が多いようです。西欧のキリスト教国では、家族をあげて礼拝に集い、墓を囲んで讃美歌を歌い、キリストにあって死を超えた永遠の交わりがあることを心に覚えるのです。
 私にとっては、今年は特別の年になります。宗教改革日の土曜日に、最初に遣わされた教会で、大変お世話になった方のお葬儀があります。教会で代議員をされた方で90歳を超えるまで現役で働き、101歳になってこの世での働きを終えた方の葬儀です。
 若い牧師であった私を、時に厳しく、また時に優しく支えてくださった方でした。耳の不自由な方たちとの合同の礼拝を試みていた時でした。拙い手話と音声の同時通訳での説教でした。慣れない同時通訳の説教をして、疲れ果てている私をよく励ましてくれました。
 ある時の事、その方が礼拝堂の説教題の前4番目の席に座りました。3番目くらいまでは、手話と口の動きがわかる場所なので、耳の不自由な人々の優先席になっていました。
 讃美歌が始まり、歌い始めました。耳の不自由な方たちも一生懸命声を張り上げて歌いました。しかし、自分の出す声の調子が聞こえませんから,テンポがはずれ、音程が外れます。それでも彼らに私は心から賛美の歌を歌うように、外れても神様はその声を喜んでくださると、声を出して歌うことを勧めていました。
 後ろに座ったその方はしばらく一緒に歌っていたのですが、外れた音程についていけなくなったのか、讃美歌の本をぱたんとしめて、目をつぶってしまいました。
 礼拝後、何を言われるだろうかとその人の近くに行くと、「先生、今日私は本当の、心からの賛美の歌を聴くことができました。」と涙を浮かべて言ってくれました。ろう者の歌声を心からの賛美として受け止めてくださったこの方を、私は本当に心の優しい、純真な信仰を持った方だと思い、私も学ばされました。
 その方が、召されて明日土曜日天に帰られる。心貧しく、優しく、曲がったことの嫌いなこの方が、お迎えに来てくれるイエス様と一緒に天に帰られると信じて、「また会いましょうね。」と別れの言葉をかけたいと思います。
 次の日曜は、先々週召された敬愛する友人の納骨式。
聖書に、自分の残された年月を数えることができる人は賢い人、と記されています。自分も与えられた年月の残された日々を、謙虚に受け止めつつ、大切に生きることを心がけたいと思います。
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by minitayori | 2015-10-30 21:22 | Trackback | Comments(0)

マンリョウ

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 近くの家のお庭にマンリョウの実が真っ赤に実っていた。昨年も同じところに実っていた。厳しい季節を乗り越えて、草花は自分の時に、精いっぱいの生きているあかしを見せてくれる。みていると励ましていてくれているように思えてきた。

by minitayori | 2015-10-30 21:11 | Trackback | Comments(0)

コスモス

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 今が旬なのか、時期遅れなのか分からなくなったが、コスモスがきれいに咲いていた。どなたかが丹精を込めた花なのか大きな植木鉢に咲いていた。日光の光を当てようと言う持ち主の愛情なのかと思った。水をやり日に当て、寒くなると家に入れる。花も生き物、愛がないと育たないのでしょう。
 だれかが、きれいだねと水をやりながら毎日声をかけると花の色がきれいになると言っていたが、ほんとなんだろうね。

by minitayori | 2015-10-23 17:16 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ222」

ミニタヨリ222
 秋晴れのすがすがしい青空に、思わず大きく息を吸いたくなります。最近アパートの裏庭に、名も知らぬ鳥が来て鳴いています。口笛で鳴き真似をすると、まるで答えるように鳴きます。2~30分は楽しい時間を持たせてくれます。
 鳥と話ができるの?と不思議そうに聞かれるが、そんな能力はありません。それでも優しく、害のない者だからね、と言う思いを込めて口笛を吹いていると、なんとなく心が通じたような気持ちになって嬉しくなります。
清瀬に居た時も食堂のすぐ近くの木にいろいろな小鳥が来ていました。「われと来て、遊べや親のない雀」と言う句を思い出します。今は、自分が雀になったような気持ちです。来て!遊ぼうよ!
 こんなことを考えて生活していると、いろいろなことが楽しくなります。近くの小さな病院に行くと、顔見知りの方が話しかけてくれ、病気の話や身体の不具合を話してくれます。
 最近行き始めた、介護施設のリハビリでは、親切で明るい職員が語る参加者への話に耳を傾けます。帰りの車の中では、佐賀出身の老女とよく話し合います。90歳を越してもなお冗談を解し、語り合えるのを見ると、自分はまだまだだと思います。
 最近、我が家の近くに、不審者がよく出て、小学生に「お小遣いをあげる。」などの声をかけるという警報が回ってきます。近くの公園で動物の死骸が見つかった、などと言うことを聞くと孫の事が心配になったり、自分も散歩もできないなぁと思ったりしてしまいます。
 この辺りは住宅とコンクリートの道ばかりで、花は家々の小さな庭に咲いています。外に出ている花は写せるが、庭の花は了解を得て取るようにしています。下手にカメラを向けていると不審者に見られそうで・・。
 
近くにはグリーンベルトという道路があり、近隣の家の人が道路わきに花を植えていると聞いたので、行ってみたが、この時期はきれいな花はみつかりません。
 ケアハウスに居た時は、近くの病院の敷地に花が沢山咲いており、この季節だともう紅葉が始まっていると思う。紅葉は落ち葉になるので、街中の公園では枝が刈り取られてしまっています。
 でもこの近くは、まだ大根畑があり、青空があり、静けさがあり、小鳥の鳴き声が聞こえます。道端には、少しの土で生きるたくましい雑草や、小さな花があり、その花で生きている蝶や虫がいます。素晴らしい命の営み。一日一日、出来るだけ良いことを探して、感謝して生きていきたいですね。」



by minitayori | 2015-10-23 17:07 | Trackback | Comments(0)

コルチカム

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 どんな花にもその花にふさわしい美しさがある。花はそれを知らないが、自分の置かれたところで精一杯自分らしく、自分の花を咲かしている。羨むことなく、卑下することもなく。

by minitayori | 2015-10-23 16:47 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 10月25日 宗教改革主日 マタイ5章1~6

10月25日 宗教改革主日 マタイ5章1~6
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◆山上の説教を始める
5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
5:2 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
◆幸い
5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
5:5 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。

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「礼拝に備えて」
今日(25日)は宗教改革記念日を覚えての礼拝が行われます。実際には、10月31日が宗教改革発端の日になりますが、教会ではその前の日曜日を、宗教改革主日として礼拝をおこないます。
 ルターがドイツの城教会の大扉に95カ条の質問状を貼ったのが始まりでした。なぜこの31日かと言うと、11月1日が、全聖徒の日として、ほとんど全家族が教会に集まる日であったからです。
 教会の周りには墓地があり、そこに集まり礼拝をすることによって先に召された方々を思い、偲び、感謝の一日を礼拝の中で過ごしたのです。
 この日に、ルターが教会に対して質問状を貼りだしたのは、様々な疑問に対してそれを表明し、公に討論することを求めることができるならわしがあったからでした。
 教会がいろいろ定め、行い、信徒に課していた事柄への95条の疑問などを問いただす為でもありました。それが丁度その時に発明された印刷機によって、あっという間にドイツ全土に広がっていきました。
 その内容は簡潔に言うと救いとは何か、信仰とは何かということでした。私達にとって一番大切なこと、「人は何によって救われるか」と言うことでした。 教会の定める良い行いによってか、良い信仰生活によってかという根本的なことを、何から学ぶべきか。教会の教典からか。いな、ルターは「ただイエス様を救い主と信じる信仰によってのみ人は救われる」「その救いは、教会の教典ではなく聖書から学ぶべきだ」「そして、その救いは、人の行いの代償ではなく、神様の深い愛によって全ての人に与えられるものである」と教えました。
 今日の聖書の中に、繰り返し「幸いなるかな!」と言う言葉が繰り返されています。神様は全ての人に、教会の権威や人(聖人や神父)を介さないで、平等に恵みを与えて下さるというのです。
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貧しいことも、悲しんいることも、苦しんでいることも、差別されていることも、みな神様は知っていて、そのことを通して、すべての人が神様に近づけるようにと招いてくださいます。そのままのあなたで、神様の前に出なさい。悲しみも苦しみも、全てイエス様が一緒に背負ってくださるのですか

by minitayori | 2015-10-23 16:42 | Trackback | Comments(0)

チィカカズラ

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 近くの公園横にある空き地に咲いていた。竹が生い茂って森のように見えるが、駅近くの一等地。こんなにしておくのはもったいないと思うが、遺産相続の時の物納にとっておかれるところが、このあたりでは多いようだ。昔は大地主で広大な畑を持っていた人が多いとの由。持てる者のつらさでしょうか。、

by minitayori | 2015-10-23 16:31 | Trackback | Comments(0)