寒椿

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 近くのお屋敷にきれいな花が咲いていた。遠くから写したので心配したが、晴天に恵まれているこの2,3日,練馬は晴れが続き、真っ青な空をバックに美しく写せて嬉しかった。少し足腰が弱くなったので、散歩がてら花を探して歩こうと思うのですが、ここ川越街道から吹き込む風が冷たくて、なかなか遠くへはいけません。でも、運動のために歩くことは必要ですね。

by minitayori | 2015-12-31 21:10 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ231

「ミニタヨリ231」
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年末、体調を崩して細かいパソコンの字を見るのが辛く、めったにない経験だったが、ミニタヨリを一回休ませてもらった。と言うより、少し休養をいただいたと言う方が正しいかもしれない。
いよいよ今年最後の日になって、新しい年の準備をするときに、まず教会讃美歌49番を思い出す。是非紹介したいと思ってブログに掲載することにした。
この讃美歌を作詞されたのは、江口武憲先生。私が牧師になった時、最初の一年間、私の指導牧師になってくださった先生であり、また初代のろう者伝道委員会の長として、いろいろ教え、助けてくださった先生だった。
シャープな美しい言葉で説教された。時に自宅に呼んでくださり.牧会の心を教えてくれた。先生は足が不自由だったが、あるときこんな話をしてくださった。「僕の若いころは、信徒の家を訪問するのに歩いて訪問した。靴を何足か履きつぶすくらい歩いて牧会したものだ。牧師の仕事は、訪問にあり、訪問が教会での説教のベースになり、信徒の方々の生活状態を知って、初めてその人にあった説教ができる。」と教えてくださった。
それから30年ほどして、私は長野から熊本教会に転任した。100年続いた教会の牧師の中に、5代目の牧師として江口先生のお名前があり、先生から洗礼を受けた方も沢山おられた。信徒の方々の中に先生の教えが深く浸透しているのを感じた。
 私が熊本教会にいる時に、先生は天に召されたが、お葬儀の時に参加者に配られた小冊子の中に、教会讃美歌49番の秘話が記されていた。
そこには「自分のために5節を作った。」と書かれていた。(教会讃美歌には4番まで載っている。)
 5番
  この世での仕事を果し
  召し給うみ声聞くとき
  あわてずに身を整えて
  主のみ顔仰げるような
  生き方を今年はしよう
 
40年の牧師生活の中で、元旦礼拝は一年のはじめになる大切な礼拝として欠かさず守ってきた。そしてこの讃美歌に出会ってからは、必ず元旦礼拝と次の日曜日にはこの讃美歌を歌うことにしてきた。
 しかし、告別式の日に配られたこの小冊子に出会い、5番があることを知って、その歌詞の中身を知ることによって先生の真摯な信仰に出会ったような気がした。
 「自分のために5節を作った」と書かれていた5番は、先生ご自身だけではなく、すべての信徒のあるべき姿、これからの指針になる大切な教えが記されていると思った。先生は召されたが、讃美歌を通して信仰の大切な心は語り続けられるだろう。願わくは、皆さんに5番があることを知ってほしい。
「この世での仕事を果し/召し給うみ声聞くとき/あわてずに身を整えて/主のみ顔仰げるような/生き方を今年はしよう。」新しい年が与えられることを感謝しつつ、この5番のような心を持って、日々心安らかでいたいと思う。
 新年、皆さんの上に神様のお守りと祝福がありますように!!

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by minitayori | 2015-12-31 21:02 | Trackback | Comments(0)

教会讃美歌49番歌詞曲

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 できれば歌ってほしいので楽譜を載せました。5番もあることを覚えてください。

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 教会讃美歌はルーテル教会が編纂した讃美歌集です。この49番は作詞作曲共に日本人の手による名曲です。

by minitayori | 2015-12-31 20:48 | Trackback | Comments(0)

新年を迎えるにあたって。教会讃美歌49について

新年を迎えるにあたって 教会讃美歌四九番について
 お正月の讃美歌として有名な教会讃美歌49番は、熊本教会の5代目の牧師として活躍された江口先生の作詞されたものです。その秘話について、自伝の中に記されていたので、紹介させていただきます。
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 1973年の末、10年近い歳月をかけたルーテル教会の新しい讃美歌集編纂の仕事も殆んど終りかけていた。全体を見直す段階で新年の歌を入れてはとの話が出た。新年を迎える気持ちは日本人とヨーロッパの人々とは余程異なり、ヨーロッパの讃美歌集には新年の歌は見かけない。新しい日本の讃美歌集だから新年の歌を入れようということになり、私が作詞するようにとのことになった。
その頃、私は田坂誠喜先生(青学文学部教授)と共に讃美歌委員会で歌詞を担当しており、責任上引き受けることになった。
新年の気持ちを素直に詩の形で表現しようと思った。そして一節の「なきものをあるがごとくに呼び給う神」という神への呼びかけが心に浮かんだとき、詩のこころは決まったように思った。「無きものを有るものの如く呼び給う神」(ロマ書4・17)、このアブラハムの信仰を讃えた聖書の個所は常に私の信仰の出発点であり、到達点であった。2節について言えぱ、当時私は五十代の後半で、なほ未解決の問題を多く抱えて生きていた。この2節はその頃の自然な思い、あるいは祈りのようなものであった。
「過ぎ去った日々の悲しみ/さまざまなうれいはすべて/キリストにゆだねまつつて/み恵みがあふれるような/生きかたを今年はしよう」4節まで出来てみると、それは自然と自分の信仰告白になっていた。そんな立派な生き方をしていたとか、しているとか言うのではなく、生きたいと思っているのである。今はその頃より、一層、この詩に近い心で生きているように思う。数年前、自分のために5節を作った。
「この世での仕事を果し/召し給うみ声聞くとき/あわてずに身を整えて/主のみ顔仰げるような/生き方を今年はしよう」
曲は神学大学の山田実先生が作られて、曲名を「EGUCHI」とつけてくださった。生きているうちに墓碑を立てていただいたような気がしている。
多くの人から愛唱しているという励ましの言葉を戴く。想像してもいなかったことだった。昨年(一九九五年)フィンランドのルーテル教会が新しい讃美歌集に採用したとのお知らせをいただいた。言葉を以て教会に仕えてきた者として身に過ぎた光栄である。    (1996・1・22記)
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by minitayori | 2015-12-31 20:40 | Trackback | Comments(0)

庭の花壇のパンジー

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 駐車場の片隅にある花畑。今はパンジーが咲き乱れている。寒さに負けずにきれいに咲いている。小さな花だがかわいらしい花。本当にいろいろな種類があるのですね。

by minitayori | 2015-12-31 20:31 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ230

「ミニタヨリ230」
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 朝夕の風が冷たくなりました。ここ練馬の自宅近くには川越街道があり、広い道を秩父下ろしの冷たい風が吹き抜けていきます。
イチョウの葉もほとんど落ちてしまいました。ずいぶん前になりますが、長野県の飯田で教会と幼稚園の仕事をしていました。園庭には樹齢数十年のイチョウの大木がありました。園児たちが木登りをしたりして楽しんでいました。
イチョウの木は何も言わずに、幼稚園の100年の歴史を、園児たちの成長を見守ってくれていました。
大雪の時にはこの木の根元から、雪を集めて即席のゲレンデを作り、園児たちがスノーボートで滑り降り、時にはひっくり返って雪だらけになっていました。しかし、午後には溶けて周囲が水たまりになりますが、園児たちはそれでも泥にまみれて遊んでいました。
そのゲレンデを作るのは、園児たちがお部屋にいる時間、私が一人で汗だくになって頑張っていました。そのころ遊んだ園児たちは、大学生、または大学を卒業して立派な社会人になっています。
このイチョウの木で思い出すことはいろいろあります。秋のひと時、この木の下に立っていると、黄色の葉がさらさらと体に触れて落ちてきます。周りが瞬く間に黄色の絨毯のようになり、その中に立ちすくむのが好きでした。
最も、その後の落ち葉の始末が大変でした。ビニール袋に入れてゴミに出すのですが、落ち葉とはいえ肉厚の葉はなかなか箒では集まってくれません。集めても重くて、集積所に持ってゆくのが大変でした。ゴミ焼き用の窯の中に入れても煙が出るだけでなかなか燃えません。
悲鳴をあげていたら、畑を持っている方が、肥やしにするからと貰って行ってくれました。畑や果樹園の木の下に撒いて、腐葉土を作るのだそうです。
イチョウの葉が、夏には日陰を与え、子供の遊びに用いられ、落ち葉になって新しい命の役に立ってゆく。自然の営みの素晴らしさを思いました。自分の人生はその様な日々であったかどうか。
神様が用いてくださった人生なら、一日一日がきっと何かの役にたったであろうし、これからも感謝してこの身を捧げて生きるなら、きっと神様は一番良いように用いてくださることを信じ、平安と喜びを持って日々を生きていきたいと思うこの頃です。
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by minitayori | 2015-12-19 20:56 | Trackback | Comments(0)

シャコバサボテン


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 シャコバサボテン(別名クリスマスカクタス)今年もきれいに咲いてくれました。長く頑張ってくれる花です

by minitayori | 2015-12-19 20:39 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月20日 ルカ1章39-45

12月20日 待降節第4主日 ルカによる福音書1章39-45
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◆マリア、エリサベト訪問
1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

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礼拝に備えて」
 待降節の最後の日曜日になりました。クリスマスは聖書の中で「その日」と言われていますが、その日にイエス様がお生まれになったかどうかは明確ではありません。何故なら、イエス様の誕生は、人々の気づかない、小さな町ベツレヘムの家畜小屋で起こった出来ごとであったからです。
 マリアさんは喜びと不安の中、天使のお告げのあった親戚のエリサベツの家を訪ねます。エリサベツも天使のお告げによって、高齢であったにもかかわらず、男の子を宿していました。
 聖書はマリアさんとエリサベツの出会いを生き生きと描写しています。
42 節よりー 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と。―
 エリサベツも不安の中にいた事でしょう。しかし、マリアさんに出会った時
体内の赤ちゃんが踊ったと表現しています。事実その言葉の通りでしょうし、
それはまたエリサベツの喜びの表現でもあったのです。そしてその心は私達が
クリスマスを迎えるときの心を示していると思うのです。
 飾り付けがきれいだからではなく、みんながおめでとうと言うからではなく、
純粋に、イエス様が私の所にも来てくださった!とイエス様との出会いに感謝
し、喜んで一日を共にできる礼拝をしたいと思います。
 クリスマス、イエス様の到来は思いがけない時に私達の前に起こります

    救いの御子の降誕を          詩水野源三さん
 一度も高らかに
 クリスマスを喜ぶ賛美歌を歌ったことがない
 一度も声を出して
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 クリスマスを祝うあいさつをしたことがない
 一度もカードに
 メリークリスマスと書いたことがない
 だけどだけど
 雪と風がたたく部屋で
 心の中で歌い
 自分自身にあいさつをし
 まぶたのうらに書き
  救いの御子の降誕を
  御神に感謝し喜び祝う

瞬きの詩人と言われる水野さんは、床の中で降誕のイエス様に会いました。そこが水野さんに用意されたクリスマス(救い主+礼拝)の礼拝の場だったのです。エリサベツは体内の子と一緒に、イエス様を礼拝しました。羊飼いは家畜小屋でイエス様を礼拝をしました。博士たちは貧しい布に包まれたイエス様を礼拝し、捧げものをして帰って行きました。
あなたはあなたのいる場所で、最高のクリスマスをお祝いしましょう。
あなたにメリー・クリスマス!
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by minitayori | 2015-12-19 20:26 | Trackback | Comments(0)

パンジー

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アパートの駐車場の花壇の花も少なくなってきた。水仙も終りに近く代わりにパンジーが咲き乱れている。今が一番きれいな時かもしれない。この寒さの中がんばっている。

by minitayori | 2015-12-19 20:04 | Trackback | Comments(0)