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かくれ富士

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       病院の7階より写した富士山?この雲の後ろに隠れていた。

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 このような富士山をお見せしたかったのでうが、目的が別にありましたので仕方ありません。またという機会がないことを願っています。この写真は清瀬駅前の市役所5階から写したものです。

by minitayori | 2016-01-30 21:33 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ236」

 「ミニタヨリ236」

22~23日と順天堂高野台病院に検査入院してきました。入院は何度目になるか忘れてしまったが、検査入院という事で気持ちは楽だった。担当医の指示で{個室}が指定されたので費用の方が心配だったが、ゆっくりと寝てこようと軽い気持ちで入院した。
それと高野台の順天堂は富士山が見えるという楽しみもあった。個室だからきっと見晴らしの良い方に用意されていると思った。確かに7階は富士山を見るのに絶好の高さだった。しかし、案内された所は反対側の中庭に面したほうで、日当たりも悪く、壁しか見えなかった。ちょっとがっかりした。準備の間、面会室で眺望を楽しんだが、丁度その時は雲で富士山が隠れていた。
日の入りが丁度富士山の後ろにかかるので、何か新しい発見ができると思ってカメラを抱えてうろうろしていたら、看護士が呼びに来て、今から準備しますとのこと。慌てて、病室に帰り、着替えて準備していたら、検査道具一式を持って二人の検査技師が入ってきた。
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頭から足まで電極を付けて検査します、と言うので慌ててトイレに行き、ベットに横になった。頭から足の先まで20余本電極が付けられて、網の頭巾をかぶせられ、直立の姿勢で寝かせられた。鉄腕アトムの誕生の時の状況が目に浮かんだ。人造人間誕生ですね、と笑っていたが。食事が来たがおにぎりと小さく切った揚げ物だった。空腹だったのでおいしくいただいたが、洗面所にもトイレにも行けない事に気がついた。
テレビを見る気にもならなかったが、寂しいので画面を眺めているうちに、いつの間にか眠ってしまった。12時過ぎに目を覚ましたら、サッカーをやっていたので見ていたが、状況が状況なので楽しくなくて、目をつむっていたらまた眠ってしまった。それから夜明けまで何度も目が覚めたが、動けないので、聖書の言葉を思い出したり、主の祈りを繰り返しているうちに、いつの間にか朝が来た。
面白かったのは、眠る前に若い研修医が遊びに来て、いろいろな事を尋ねたりしてきた。熊本で入院していた時もそうだったが、研修医が毎日のように来て話を聞いてくれた。元牧師であった事を知って来ていることが分かったので、自分の経験や、患者側から見て医者に望むことなど、いろいろ話し合った。
患者を見舞う時に、立って話さないで、必ず患者の見やすい所に座って話してください。患者はお医者さんが座ってくれるだけで、私のために時間を取ってくださっている、と思って嬉しくなるし、心を開いてくれますからね。「優しい」と言う文字は、悲しみを持つ人のそばにそっと立ってくれる事なのですよ。その様な心を持つお医者さんになってくださいね、などなど。
いつのまにか牧師に戻っているようで、私は患者、生意気を言ってはいけないと反省しました。でも素直に聞いてくださった。「幼稚園の時にカトリック系の幼稚園で育っていましたので、お話懐かしく聞けました」と喜んで帰ってくださった。幼子の時に撒かれたみ言の種が成長できるように、一滴だけかもしれないが注げたことを感謝した。同時に良いお医者さんになってほしいと祈る思いになった。
検査の結果は一ヶ月ほど後になる。わずかな時間だったが、神様の御用ができたことを感謝しました。
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by minitayori | 2016-01-30 21:19 | Trackback | Comments(0)

野菊

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 雪の降る前に、いつもの散歩道に白い菊の花が咲いていた。一本だけの菊の花。周りには枯れ落ちた葉や役目を終えて枯れてゆく草花の変わり果てた姿があった。次の花の季節までこの花の一本が、けなげに庭をまた道行く人々に、今日一日花を咲かそう!と呼びかけているようだった。 

by minitayori | 2016-01-30 21:12 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて  1月31日  ルカ6章17~26 

1月31日 顕現節第5主日 ルカによる福音書6章17~26 
◆幸いと不幸
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6:20 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。
6:21 今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。
6:22 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。
6:23 その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
6:24 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。
6:25 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。
6:26 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
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「礼拝に備えて」
     悲しくて 花を見れば
                詩 星野富弘氏
 悲しくて 花を見れば
 花は共に悲しみ
 嬉しくて 花を見れば
 花は共によろこび
 心荒れた日に 花を見れば
 花は静かに咲く

人生の長い年月の間に、何度か生きることが虚しく思える時があった。その虚しさを吹き飛ばすように、夢中で働きに打ち込んできた。今静かにゆっくりした時間を持てる、引退の時期を過ごしているが、時間があるからと言って、自分の心が豊かになるとは限らないことを知った。
むしろ、一時、喪失感の中で苦しんだ時もあった。そんな時に、振り返ってみて、高齢の方の寂しさや孤独感に、知ったかぶりをしていた自分の愚かさや、虚しい励ましの言葉を思い出して、申し訳なかったと思うようになった。年齢のせいなのか?
そんな時に、私は花園の中に立てられていたケアハウスに入れていただいた。改めて、自然の中に神の声を聞く事の素晴らしさを知った。雨の時も晴れの時にも、臆せずに咲いている花の美しさの魅力に取りつかれた。
夢中で花に向き合い、花と話し合い、花から神様の声を聞いた。冒頭詩は星野富弘さんの詩、私の好きな詩の一つだ。時が来るまで土の中で過ごし、わずかなひと時でも、文句を言わないで一生懸命咲いている花を見ていると、何度も勇気を与えられた。
泥水の中に咲く蓮の花の美しさ。臭いと言って嫌われながら十字の形の花びらでイエス様をたたえているどくだみの花。その様に見る目を私は星野さんの詩から学ぶことができた。
「辛い」と「幸い」とは、字が似ている。何かかけているのか。その様な問いかけの詩にも出会った。幸いを花と例えれば、辛いは花の蕾のようなもの。もう少しで幸せになれそうな気がする。
「イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。」貧しさ悲しさ、辛さの中に十字架のイエス様の愛をいただいてこそ、人は本当の幸いの中に生きることができる。「辛い」と「幸い」との違いはそこにあるのではと教えられた。
平安でいなさい。神様はイエス様をあなたにくださる事をお望みなのですから。イエス様の十字架は、「あなたは神様の大切な子、愛されている子」と語っている。イエス様の十字架をその様に見る時、心が、いや人生が変わる。安心して、イエス様と共に今日の自分の花を精一杯咲かせましょう。

by minitayori | 2016-01-30 21:04 | Trackback | Comments(0)

大雪

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 今年もまた1月25日大雪に見舞われた。入院から帰って疲れて外に出られなかったので、玄関から裏の庭くを写しました。誰も雪かきする人がいなかったので、後で凍って大変でした。昔東京の教会で働いていたころは、雪が降ると早朝から教会の前の歩道の雪かきをしました。教会の前で滑ってけがをさせては申し訳ないと思いつつ! 今は腰を痛めて雪かきはできません。

by minitayori | 2016-01-30 20:43 | Trackback | Comments(0)

天使の花・祈りの花

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 天使の花・私にとっては祈りの花。
21:3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」黙示録21章1~5参照

by minitayori | 2016-01-23 21:40 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ235

「ミニタヨリ325」
 讃美歌第2編の26番にアメジンググレイスの日本語の讃美歌が出ていましたので、前回のと合わせて歌ってみてください。
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ユーチューブには、いろいろな方がこの歌を歌っています。パソコンの操作の出来る方は聞いてみてください。はめ込みたいと思いまあしたが、方法がわかりませんでしたし、金曜と土曜日一泊二日の検査入院をしていたので調べる時間がありませんでした。検査は無呼吸症候群の疑いがありということで、精密検査を受けたのですが、体中に20数本の電極をつけての一泊は、思ったより体にこたえました。

by minitayori | 2016-01-23 21:26 | Trackback | Comments(0)

コチョウランの秘話

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 この胡蝶蘭を持ってきてくださった夫妻の、ご主人が昨年10月末に急逝された。藤沢に移り住んで24年間湘南室内合奏団を結成し、24年間主催者として活躍された。忙しい中、小石川・飯田。熊本とわたしの任地に来てくださってチャリチィーコンサートをしてくださった。奥様は10年前に大腸がんを発症しつつ、手術を繰り返しながら演奏活動を続けてきた。そんな奥様を支えながらかっ合奏団の責任者として、指揮者として、音楽大学の教授として活躍されたご主人だった。今年は最後のニューイヤーコンサート、万席の中、多くの苦難を背負われたご婦人は演奏会場を感動の渦に巻き込まれた。ご主人のしのぶ会でもあったが、お葬儀の責任の一端を担ったものとして悲しみを超えて、強く歌い上げられたご婦人に、さらなる神様の祝福を祈りたい。
 この日帰ってきたら、ご夫妻にいただいた胡蝶蘭が花を咲かせていた。天使が両手を広げて、「確かに受け止めました。」と言ってくださっているようだった。

by minitayori | 2016-01-23 21:17 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 1月24日 顕現節第4主日  ルカ5章1~11節

1月24日 顕現節第4主日  ルカによる福音書5章1~11節
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◆漁師を弟子にする
5:1 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。:2 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。:3 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。
5:4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。:5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。:6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。:7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
5:8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。:9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。:10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」:11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。

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「礼拝に備えて」
 東海教区出身の牧師志願者は、献身を決意してから聖書学院で1~2年の学びをし、1,2年の伝道師の働きをして、牧師としての適性を見られてから、神学校に送り出された。私の時代、多くの若者がそうだったが、その半数以上が家族の反対に会い、勘当されるか、家出同然で聖書学院に入学してきた。
 私も家の方針、親の期待に反してこの道に入ったので、仕送りもなく、皿洗いやスリッパ作りのアルバイトをして学費や生活費を稼がなければならなかった。学院の方も学生の状況をよく知っていたので、草取りやガラス拭き、宣教師館の留守番などのアルバイトを用意してくれた。
 私は家が職人の家なので、働くことに抵抗はなかったから、皿洗いや、スリッパ作りに精を出した。いろいろな経歴の人が集まっていたので、学院長の家に集まると自分の経験を話しあったものだ。辛い経験をして家を出てきた人が多かった。清瀬の老人ホームでは、展示会後に寄贈下一枚のイエス様の横顔の前で田氏どまって祈る老婦人がいると聞いた。そこでイエス様にあってくれたら嬉しい。e0191585_20493685.gif
 神様の召しはどこで来るかわからない。私は表具師の家に生まれ、家の仕事をすべく見習い奉公にも行った。その中で召しだされたわけだが、学歴もなかった私にはこの道は険しかった。
今日の日課では漁師をしていたペトロや、他の仲間が召されている。その場からイエス様の弟子になり、イエス様と行動を共にして、神様の御心を学んでいった。
 その後は伝道に出るわけだが、神様は聖霊を通して、弟子たちの行くべき道、選ぶべき道を示された。弟子たちの宣教の旅は、イエス様と共なる旅であり、聖霊の導きに身をゆだねた生涯であったと思う。そこには確かに神様の恵みの大きさを伝える足跡があった。
 召命は牧師だけではなく、イエス様に従うことを決心した全ての人に与えられている。今いる場が病床であろうが、主婦であろうが、会社員であろうが、その中に召されている。高齢者だから何もできないのではない。私の知っている方は、108歳になってなお元気で、自分で車いすで動いていた。讃美歌を歌い、廊下で出会うと、車を止めてじっと見て「ハレルヤ!」と話してくれた。神様が祝福し神様に用いられる素晴らしさを私の心に残してくれた。
 今は振り返ることも少なくなったが、遠い昔のことを思い出す時、あの弟子たちのようにイエス様が共に居てくださり、時に応じて聖霊が導いてくださり、道を開いてくださった。昔習った尺八で讃美歌を吹き、外国でご奉仕させてもらった。表具師の経験はキリエを作るのに生かされた。そしてそれらを用いて神様の御用をする道が、神様によって備えられていた。
 先日一枚のキリエをインターネットで紹介したら、フィンランドから私の友人の家に同じキリエがあった、と報告してくれた。小さな働きだが、神様が用いて下さればきっと大きな働きになる。改めて、み手の中で用いられてきた事を覚え感謝したものです。
 道端の小さな花でも、道行く人の目を楽しませ、心を和ませてくれる。あなたはどのような足跡を残せるのでしょうか、いや神様があなたの一時一時を用いて、恵みの足跡を残してくださる。信じて今日を生きよう。
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by minitayori | 2016-01-23 20:50 | Trackback | Comments(0)

胡蝶蘭と老友の思い出

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 6,7年前になるか、ケアハウスにいた時敬愛する白石夫妻がわが部屋に来てくださった。その時にいただいたのがこの胡蝶蘭の鉢植えだった。初めて身近に見るきれいな花に感動した。その後、満開の花を見ていた隣室の94歳を超えていた友人が、「小嶋さんこの花の中に天使が手を広げているよ。」と言われた。」改めてもると、確かに天使が手を広げているように見えた。この花を見るたびに「Sさん神様はあなたを待っているんですよ。」と話し、この花を持ってきてくださった夫妻について話、私たち夫婦のための祈りの花。奥様は大腸がんになって7年、それでも歌姫として会衆に夢と喜びを与えておられるのですよ、と話すと一度聞いてみたいものですね、と言われたのでDVDでお見せしたらえらく感動しておられた。わたしたちがケアハウスを退所する時、とてもさみしそうにしておられたので、胡蝶蘭を一鉢置いてきた。Sさんのこと天使が舞っているからね、という言葉とともに。その友人も昨年97歳で召された。一週間前に会い、外に食事に行こうと誘われたがきつそうだったので、懇談室でお茶を飲んでわかれた。次の日に入院、一週間後召されたことを知った。よい友だった。

by minitayori | 2016-01-23 20:14 | Trackback | Comments(0)