ドウダンツツジ

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 たくさんの花をつけるモッコウバラの横に、かわいらしい花をつけた気が見えた。すずらんのような花がかわいらしかった。きらびやかな花のそばで、ひっそりと自分の花を咲かせているかわいらしい花に、妙に心打たれました。

by minitayori | 2016-04-30 18:37 | Trackback | Comments(0)

ミニタヨリ249

 「ミニタヨリ249」
 4月の終わりは、気候の変動が激しくて体調が良くなかった。こんな時に限ってパソコンは言う事を聞かなくなるし、頭は働かないし、いろいろすればするほど、泥沼にはまったようになってしまいます。昨日の金曜日は強風でどこにも出られず、機械と格闘していました。熊本の被災された方々の事を思うと、何を贅沢言っているのだと思い、そんな自分を嫌悪してしまいます。
 私が通っているリハビリの施設の壁に、あきらめの三カ条と言う言葉が張ってありました。
1)昔は・・・だったのに・・・
2)年をとったから・・・  
3)年だから・・・
という段階的に老いてゆくのだそうです。精神的にも肉体的にも衰えて行く、下り坂の構図になるようです。説明の中に、「肉体も精神も衰えることは確かですが、心の持ちようで、明るく楽しく生きられるようになります。だから体を徐々に鍛えて行きましょう」というような趣旨が書いてありました。
 確かに昔を振り返っても、時間は取り戻せないし、体力、知力も衰えてきます。しかし、この時に自分の今の状態をいかに大切な時、大切な命を預かっている時と考えることができるかどうか、神様から今日の命を預かっていることは、昔の様にではなく、「今」を生かす努力と心構えが必要なんだと思いました。
 「懐古趣味」と「あきらめ」、「現状放棄」が人間の心を駄目にしてしまいます。私もそんな崖っぷちに近づいているような気がして、改めて今の自分を大切に生きることから始めようと思っています。むしろ肉体にも精神にも、今まで蓄積したものがある、それを大切に生かし、育て、強めて行く様にしなければなりません。
 心機一転して、≪頑張ろう≫とリハビリの運動マシーンに挑戦しました。しかし、それは一朝一夕にできるものではないことを思い知らされて帰ってきました。その時は無理できるのですが、その後に疲労が出てきます。春の嵐の2日間は神様が休息のために下さったと感謝し、心機一転しようと思っています。
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 そんな嵐の日、隣室の方が袋が飛んでいたよ、と花の入った手提げ袋をもってきてくださいました。中には香りの良いスズランの花と私の好きな青い色の勿忘草の花が入っていました。嵐の中をだれが持ってきてくれたのだろう・・。きっと神様のお使いが励ましに来てくださったのだと、改めて、傍にいてくださる神様の事を思いました。
 「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、28:20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マタイによる福音書の最後の言葉、弟子たちへの約束のお言葉です。いつも助けていただいたお言葉です。現役を離れてからも何かの時に聞こえてきたお言葉でした。昨日も聞こえました、嵐の風の中に、確かに。
神様はあなたにも語りかけてくださいます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と。

 
 
 

by minitayori | 2016-04-30 18:28 | Trackback | Comments(0)

花畑の夫婦鳥

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 近くを散歩していたら、お花畑がありました。この大東京の中にこんなに広いお花畑があるのに不思議な感じがしました。最近このあたりでは畑がアパートになってゆくことが多く、小分けにされた土地に小さな家やアパートが立ち並んでいる光景も見られるようになった。木造なので何かの時に類焼が心配という声も聞く。まだ、小鳥が虫をついばむ姿が見られるのが、ここ練馬のよいところでしょうか。「仲良きことは、好きことなり。」ですね。

by minitayori | 2016-04-30 18:22 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 

5月1日 復活後第5主日 ヨハネによる福音書14章23-29節
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14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。 14:24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
14:25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。14:28 『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。 14:29 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。

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 「礼拝に備えて」
 「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」年齢と共にこのみ言が身にしみて感じられようになりました。しかし同時に、自分が本当に父なる神様の所に行けるのだろうか?そんな資格があるとは思えない、と恐ろしくさえあります。
 「私の言葉を守る」とは、イエス様のお心で規則を守るようにきっちり守る、ということなのだろうか。それなら、私は難しい。私の名前は三義だが、一つも義なるものはない。名前負けしているように思う。しかし、この「義」と言うのは、正しいというのではなく、主を我の上に置いて生きるということだと日本の漢字は書いていますが、まことにキリスト教的、イエス様のお心を表していると思うのです。
 イエス様は弟子達を愛されました。最後まで愛し通されました。この愛の中には12弟子ペテロも裏切りのユダも入っていたのではないでしょうか。
イエス様は弱い弟子たちがいることを承知された上で、「弟子達を愛し抜かれた」とヨハネはイエス様の愛の大きさを書き記しています。(ヨハネ13章1節)このイエス様の愛のお心のすべてを信じ、受け入れて主を自分の上に置いて生きることこそ「罪人にして義とされる」という、ルターの信仰の原点ではなかったかと思います。

by minitayori | 2016-04-30 18:09 | Trackback | Comments(0)

モッコウバラ

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モッコウバラ(木香バラ?)。東京で初めて見た花だが、身近な所に咲いていた。わたしの住んでいるアパートの塀沿いに見事に咲いていました。みんなで仲良く美しく!という感じでした。

by minitayori | 2016-04-30 18:05 | Trackback | Comments(0)

白い花水木

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 私の住んでいる街の街路樹に白い花水木の木があった。青い空に白い花が印象的でした。熊本の地震で被災した人々の心に、この花の花言葉『華やぐ心』が一日も早く戻ってくるように、祈りつつ。

by minitayori | 2016-04-23 13:06 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ248」

 「ミニタヨリ248」
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 家の前の草むらに、かわいいポピーが咲き始めました。道路に落ちた土が風に吹かれてたまっている所に、たくましくも咲いています。朝出かける時に咲いていたので、夕刻に写真に撮ろうとカメラをもって出かけたのですが、もうしぼんでいて写せませんでした。何度か繰り返しているうちに、花は実になり種になり、地に落ちてしまいました。
 花が美しいのは本当に短い。しかし、名もない雑草たちは、それぞれ自分しか咲かせられない花をもっていました。それを誇りにして、これから長い時間、来年の花咲く時の一週間のために、自分が美しく咲く時をじっと待っています。その間の緑の時もまた美しい。
 人間の一生を考えます。人生で花咲くと思える時は決して長くはありません。先日も「黒いいぼ」のようなものができ、少し大きくなったので皮膚科で見てもらったら、「加齢によるものです」と言われ、気になるなら取りましょう、と冷凍手術で切除しました。
 聖書ではこのようなシミを「アメンドウの花」と美しい呼び方をしています。人の人生の中でも、それぞれに違う花を咲かせる時があるのですね。東京に来てハナミズキの花に出会いました。上京してきた最初の土地、清瀬の団地の中に私達を歓迎してくれるように、美しく咲いていました。なんともいえないさわやかな香りがしていたのを思い出します。
 毎週池袋の教会に行く途中に、白とピンクのハナミズキが、道沿いに植えられています。先週は雨風が強かったので、ハナミズキの香りを感じることができませんでした。桜の満開の時には、かすかに桜の花の香りがします。花には花の香り、新緑になるとまた新緑の香りを風が運んでくれます。
 花は一生の中で、それぞれの時に異なる香りを運んで、人の心を慰めてくれます。私の人生の中でその時々に愛の香りを人に与えてきただろうか。いや今、私はアメンドウの花を咲かせながら、人に喜ばれる香りを周りの人に与えているだろうか。
 雑草のような小さな花が、元気を与えるように、今日の命を一生懸命生きているだろうか。弱気になったり、生きる希望を失ったり、悲しんだりして、暗い香りしか与えてはいないだろうか。今日しかできない私の美しさがあることを忘れないように、日々を大切に生きていきたいものです。
今日と言う命は、神様が私にしかできない御用と共に与えてくださった大切な命。感謝と言う花、生きている喜びと言う花、神様に必要とされている恵みを、私の花、私の香りとして隣人に届けるような生き方をしたいものです。あなたも私も神様の大切な命を預かっている、神様の愛する子なのですから。
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熊本市の中心、お城の見える大通りの会館の前に立っていた少女の祈りの像、地震にも耐えて、熊本の人々、被災者の皆さんのために今も祈ってくれていてくれ!と願う。


by minitayori | 2016-04-23 13:00 | Trackback | Comments(0)

吹き溜まりの中の小さな花

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 前の道の隅に集まった吹き溜まりの土の中から芽を出した雑草。どこからか飛んできたポピーの花を咲かせていた。雑草と思っていたが、この草にしか咲かせない花があったのだ。自分の運命に文句も言わずに美しい花を咲かせている小さな花の強さに、力をいただいた思いです。

by minitayori | 2016-04-23 12:47 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 4月24日 復活後第4主日    ヨハネ13章31~35節

4月24日 復活後第4主日    ヨハネによる福音書13章31~35節
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◆新しい掟 
13:31 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。 13:32 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。 13:33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 13:35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

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 「礼拝に備えて」
 ヨハネによる福音書の著者であるヨハネは、自分の福音書の中でイエス様の受難の出来事を詳細に記しています。それはイエス様のご生涯、つまり、受難と十字架の出来事こそイエス様を通して示される、神様の最大の愛のみ業であることを知らせたいからです。
 その愛は、イエス様の自己犠牲によって初めて完成される、特別な愛の姿でした。私が聴覚障害者伝道の中で、手話で神様のお話をするときに、神様のお心を具体的にどう表すかをいつも苦しみつつ学んできました。お話を用意する時、手話ではどのようにあらわすのかを考えながら原稿を書き、思いついた手話を赤ペンで傍らに書き記していました。
 毎年、新年に厚いノートを買い求め、その白紙のノートを説教の原稿で埋められるか怖れつつ、祈りつつ新年を始めたものです。一つの言葉の手話訳に納得できなくて、次の年度の新しいノートに受け継いでいくこともありました。その中の一つに「愛」と言う言葉がありました。手話では(私が習ったころは)愛は、子供を可愛がる、いい子いい子する動作でした。他にもあったかもしれないのでいろいろ手話辞典を探しましたが、なかなか見つかりませんでした、イエス様は新しい掟として、「互いに愛し合いなさい。」と弟子達に教えられました。愛する、仲間になる、友となる?弟子達はどのように感じたのでしょうか。彼らはこの最後の晩餐の始まる前に、誰が神様の国で一番偉くなるか?と論争していたのです。つまり相手を蹴落としてでも、自分が一番偉くなりたいと思っていたのです。イエス様は最後の晩餐の時に、弟子たちの足を洗って、「わたしが仕えたように、互いに相手に仕える心を持ちなさい」と言われ、また15章では「わたしが愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」と教えられました。自我を捨てて、人に仕える心の中に愛があると教えられたのです。
 女医で、長島愛生園というハンセン氏病の施設で治療にあたっておられた、プロテスタントの信仰者に、神谷美恵子と言う方がいらっしゃいました。この方がお書きになった「生きがいについて」(みすず書房)と言う本の中には、「愛するとは、互いにかけがえのないものとして相手をいとおしみ、相手の命を、そのもっとも本来的な使命に向かって伸ばそうとする心である」とあります。
 1549年、フランシスコ・ザビエルがキリスト教を日本にもたらしました。そのとき、日本語学校も辞書もなく、宣教師たちは言葉で大変苦労をしました。彼らが使用した辞書の中に、宣教師たちがなにをおいても伝えたいと願っていた神の愛を「デウスのご大切」という言葉で表していることが残っています。
 私は、この本と言葉に接し、イエス様の教えられる「愛とは」、相手をかけがえのないものとしていとおしみ、「大切にする」事と考え、それから愛という言葉を「大切にする」、神様が私を大切に思い、そのためにイエス様をくださった、と表現することにし、その様に「愛」について教えてきました、いや、わたし自身が神様にそう思われ、私が出会う全ての人が神様に大切に思われている人、と考えてきました。
 あなたは神様の大切な人、神様に愛されている人、何と嬉しい言葉でしょうか。今も同じように、あなたも神様が「わたしの大切な子」と考えていてくださるのです。
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by minitayori | 2016-04-23 11:57 | Trackback | Comments(0)

花水木紅色

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 花水木には紅色と白とがあるようです。わたしが最初に見た花水木はもう少し薄い紅色、ピンク色と言ったほうが正しいかもしれません。なぜか凛とした美しさを感じました。花言葉は『華やぐ心』。なぜかそのような気がする花ですね。

by minitayori | 2016-04-23 11:49 | Trackback | Comments(0)