キキョウ

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 なんでこんなところに、と思えるような雑草の中に咲いていました。雨にぬれて静かに!静かな美しさと表現したらよいのでしょうか。花言葉は「清楚な美しさ」だそうです。ぴったりですね。花は自分の咲くところを選びません。おかれたところで、精いっぱい自分の花を咲かせています。静かに、自分らしく!

by minitayori | 2016-06-25 18:19 | Trackback | Comments(0)

 「ミニタヨリ527」

 「ミニタヨリ527」
 月曜日、病院に行って心電図の検査と、心臓のエコー検査を受けました。そして24時間心臓の検査をする、ホルダーを付けてもらい、サイボーグのような姿で帰ってきました。孫に見せて、「どう?鉄腕アトム誕生だ!」と冗談を言ったつもりでしたが、今の子供(孫)は鉄腕アトムを知らなかったみたいで、キョトン!としていました。
 時代はどんどん進んでいきます。しかし、漫画作家の想像力はすごいと思うようになっています。ロケットもロボットも私の少年時代には漫画の世界だけでしたが、そのほとんどが現実になっています。近くの文房具店には、ロボットが立っています。欲しいものの案内をしてくれると思って、話しかけましたが、どこにあるか、教えてくれませんでした。店番のおばさんに聞いたら、「客寄せに置いただけです。使い方が分からないのです」と言う事でした。
 今では、パソコンを使えるのが当たり前になっていますが、私が牧師になった当時は、ガリ版でした。蝋引き原紙にガリガリ書いて、手刷りの印刷機で一枚一枚印刷したものです。その後、日本語のタイプライターを中古で買ってきて、夜遅くまでガチャガチャ原稿を作りました。
 その後、1行画面のワープロができ、次に大きなワープロができ、そしてパソコンへと変わってきました。書類作りのプロセスを、一通り苦労しながら通ってきましたが、今は昔に戻って、手紙や原稿は、毛筆で書くようになりました。目が見えにくくなって、ボールペンの字は見えにくく、考えていると書けなくなるのです。毛筆ですと、速く大きく書けるので、読む人の迷惑も考えずに、自己流の字で書いています。
 この頃、昔を振り返ってみることがよくあります。いろいろな経験をしてきましたので、思い出すことが多くて、時々懐かしく思い出に浸っています。今使っているパソコンも、中古で買って4年、そろそろ反応が鈍くなりました。使う者と足並みをそろえてくれています。良い仲間です。
 熊本の敬愛する仲間の事を思います。大地震の復興もまだなのに、このところの大雨被害に心が痛みます。屋根瓦の崩れた家々、熊本城の瓦の崩れた天守閣に、無情な雨が降りしきる様子を見ると、悲しくなります。大雨で、熊本の市電が止まったとニュースで見ました。九州熊本の皆さんが、神様のみ手によって守られますようにと祈りつつ!

 
 



by minitayori | 2016-06-25 18:12 | Trackback | Comments(0)

アガパンサス

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 梅雨の雨に誘われたように、アガパンサスの花が咲き始めた。東京に来てケアハウスに入って初めて出会った花でした。練馬のアパートに来て、裏庭にもきれいに咲き始めました。まだつぼみですがきれいに咲いた花が美しい。またお見せします。この名前の由来は聖書の『無償の愛』をあらわすアガペーからきているそうです。花言葉は「清らかな愛」。

by minitayori | 2016-06-25 18:06 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 6月26日  ルカ福音書7章36~50節

 6月26日 聖霊降臨後第6主日 ルカによる福音書7章36~50節
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◆罪深い女を赦す
7:36 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。
7:37 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、:38 後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
7:39 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。 7:40 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。
7:41 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。:42 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」:43 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。
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7:44 そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。:45 あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。:46 あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。
7:47 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」:48 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。:49 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。:50 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

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 「礼拝に備えて」
 罪とか罪の赦しと言う言葉を聞いて、初めて教会に来た人々は、奇異に感じることがあるだろうと思います。事実、聖書の中でイエス様のお話を聞いたユダヤ人は、自分たちは罪を犯していない、だから罪の赦しを受ける必要がない、と思っていた人々もいたようです。
 私は、ろう者の人々へのお話の中で、こんな例えでお話をしたことがあります。「罪」と言う言葉を英語で表すと、「SIN]=神の掟にそむくこと(英和辞典による)です。この意味はどんな事でしょか。SINは、SとNの真ん中にI(=私)があります。全ての物の中心に「私」を置くこと、これが罪の根源だと思うのです。
旧約聖書の中から、一つの具体例を考えたいと思います。最初の人間のアダムはエデンの園に置かれ、豊かな木々の実りを糧として与えられました。そして神様は、その状況を享受し続けるために、一つの約束をされました。園の中央にある「命と善悪を知る」木から取ってはならない、と言う事でした。それはアダムにとっては、難しい事ではありませんでした。何故なら、園には他にも豊かに実った木々がありました。また善悪は、神様に親しく聴けば良かったのです。
 しかし、神様との約束に従うよりも、神様のようになりたいと思ったアダムは、神様との約束に背いて、木の実を採って食べてしまいました。ここに人間の罪の初穂があります。人間には、神様から与えられている良心が、心の中心にあります。そこで神様の声を聞いています。しかし残念ながら、その神様の心、願いに聞き従えないのが、人間の弱さです。平和を願いながら争いを作りだし、人と仲良くしたいと思いながら、人を憎んでしまいます。それが人間の弱さです。その根源は、人間の中にある「神のようになりたい=自分が一番正しいと思う心」から生まれてきます。自分の願う平和が一番正しいと思い、その実現のために他人を憎み、争いを起こします。愛すると言いながら、いつの間にか人を憎んでいます。
 今日の聖書の中の罪の女の人は、自分の罪を知るが故に、イエス様の赦しと愛の大きさを感謝し、イエス様の足を涙でぬぐい、髪の毛でその足をぬぐったと記されています。この婦人の感謝の心、喜びの表現です。それは、自分の罪の深さを知ることができていたから、そのような行為ができたのです。
 私達は、教会に礼拝に行きます。礼拝堂には、神様が待っていてくださいます。正面の十字架は語りかけています。「わたしは大切な独り子を十字架につけるほどにあなたを愛しています。たとえあなたがどんな状態にあろうとも」と。この神様の語りかける声を聞きましょう。
そのお声を聞いて神様の前に出るあなたに、神様は「あなたの罪は赦された。」つまり、イエス様によって、あなたはわたし(神様)の子になっているのですよ、とのお声をかけてくださるのです。



by minitayori | 2016-06-25 17:58 | Trackback | Comments(0)

ノウゼンカズラ

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 近くの家の塀のところに昨年と同じように、きれいな花が咲いていました。多少の天候の変化にもかかわらず、花は自分が咲くべき時を知っているのですね。「今年もよろしく!」と挨拶をしてきました。

by minitayori | 2016-06-25 17:48 | Trackback | Comments(0)

野ユリ

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 アパートの駐車場の車と塀の間の小さな花壇にユリの花が咲いていた。多分のユリだと思います。昔ときどき口ずさんだ歌を思い出しました。

   野に咲くユリの花♪ 
   1、野に咲くユリの花は み神の命のままに
     誰も見ていなくてもきれいに装うでしょう
   2、青空飛ぶ小鳥は み神の命のままに 
     誰も聞いていなくても きれいに歌うでしょう
   3、明日は明日のこと この日を大事にして
     誰も見ていなくても つと絵に励みましょう
   4、夕焼けのもえるころは ユリの花も小鳥も
     ひと日の業を終えて静かに祈るでしょう
   5、み神のむねの中に すべてをゆだねきって
     心からささげましょう 感謝の祈りを


by minitayori | 2016-06-18 20:39 | Trackback | Comments(0)

「ミニタヨリ526」

 「ミニタヨリ526」
 昨日は梅雨らしい、蒸し暑い一日でしたが、今日土曜日は快晴で、30度近くまで気温が上がっています。家の中でも29度を超える暑さです。熊本の被災された方々は、まだ車中泊をしている方もいる、という話を聞きますと、この暑さの中、どんなにつらい思いをしていらっしゃるか、心配になります。
熊本に6年いて、熊本の梅雨の蒸し暑さ、真夏の焼けるような暑さ、冬の底冷えのする寒さを経験してきました。極端な寒暖の差だけに、厳しく感じました。でも、九州特有の、人の心は温かく、いろいろな励ましや慰めを与えられ、良い経験を与えてもらいました。それだけに、この震災を早く乗り越えて、いつもの明るい熊本になってほしいと、心から願っています。
 熊本市という観光都市の真ん中にいましたが、天草や阿蘇の山に、お客様を連れて一緒に行ったくらいで、ゆっくりとした観光は出来ませんでした。でも、教会から散歩程度で行ける熊本城は、私にとって憩いの場でした。梅雨の時期のアジサイ、そして新緑、また桜の時期の城内の散歩は、しばしの息抜きの場所でした。
3年前に結婚式のために訪ねた時、お城の前のホテルを予約してくださり、2泊しました。最後の時と思いつつ、働きが終るとどっと疲れが出て、ホテルからお城を眺めて身体を休めていました。今回の地震でその思い出の城が、大きな被害を受けてショックでした。
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 熊本の人々は強くやさしい。きっと立派に復元してくれると信じ、願っていますが、私はもう、復興した立派な熊本城の姿を見ることはできないでしょう。写真を見ながら記憶をたどり、復興を願っています。
先日病院で検査を受けました。血液検査ですが、悪玉コレステロール値が高いと言われて、ショックを受けて帰ってきました。このコレステロールは、食べ物と運動に注意しなければいけないといわれました。悪玉コレステロールはいろいろな食べ物が原因とされていますが、その一つに「うなぎ」が入っていました。
実は、検査の前日、教会の帰りに近くの安い食堂で「ウナ重」を始めたので、昼食に食べた所でした。小さなうな重でしたが、次の日が検査でしたから、残っていたなーと、頭をカキカキ、お医者さんの注意を聞いていました。これでこの夏は、「うなぎ」は食べられないのかなー、としょげています。
高齢になると、消化しにくくなるのかもしれませんね。50代の頃は、焼き肉の食べ放題で、若い人たちと競争したものですが、最近は焼肉屋にも興味がなくなりました。でも、少量の上質なお肉なら、まだまだ食べたい思いは満々です。食べ物を気にするのは、まだ、生きることに執着している証拠かもしれませんね。執着と言うよりも、生かされている間は、元気に御用ができるように身体を整えるのが、命を委ねられている者の勤めでしょうか。
 昔、中古車ばかり乗り継いでいた時、次回の車検通るかなー、と心配していましたが、こればかりは自分で決めることはできません。修理会社の職人さんの腕と、車検場の人の正確な目が、当否を決めてくれるもの。自分の身体の車検は、すべて神様のみ手の中。安んじていましょう。

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by minitayori | 2016-06-18 20:29 | Trackback | Comments(0)

雨に打たれたアジサイ花

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  梅雨の雨に打たれた紫陽花。まるで雨に化粧されているようでした。花や葉にできた雨のしずくは喜びの涙でしょうか?

by minitayori | 2016-06-18 20:18 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 6月19日 ルカ福音書7章11-17節

 6月19日 聖霊降臨後第5主日 ルカによる福音書7章11-17節
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7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。:12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。:13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。:14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。:15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。
7:16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。:17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。

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 「礼拝に備えて」
  やもめの息子の蘇生(11‐17)
 先週の、百人隊長の僕の癒しに続いて、今週の日課でルカは、イエス様と一人の母親との劇的な出会いへと、読者を導いています。この短い個所で、ルカは、「母親」と言う言葉を、4回も用いています。イエス様と母親との出会いと会話に、そして、その間に起こった出来事に、私達が心をよせるようにと導いているのです。
百人隊長の僕から、やもめであった一人の「母親」に、イエス様の心が集中していることを示そうとしています。父親を失って、たった一人で、息子を必死に育ててきた母親に、イエス様はその思いを集中しています。ただひたすらに〈憐れに思い〉と、イエス様の人を見るお心が示されてます。この言葉は、イエス様の愛と奇蹟の動機となっています。この言葉は、ヘブル人が感情の座と考えた、「内臓,はらわた」と同語源語で,はらわたが揺り動かされるような深い同情や、あわれみの感情を表しています。
 悲しみにある者にとっては、単なる同情では、その心をいやすことはできません。私が牧会したある教会で、子供の誕生の前から、脳に障害があり、誕生しても生存率が大変低い、と言われた母親がいました。家の近くの、教会の会員の方が経営する保育園の、園長に相談に行きました。「神様が預けてくださった命、私達がお世話しますから、産みなさい。」そう言われて勇気を与えられ、その子を産みました。
その後、母親が教会に来られて、その悩み苦しみを聴く機会が与えられました。寝たきり、言葉も語れない、人形のような娘を、保育園は本当に大事にしてくれました。お母さんは、娘さんにマリアと名付けて、大切に育てました。実際に訪問し、誕生から9年余、その日一日の薬と食事を用意する毎日に、追われているお姿を拝見しました。お母さんは、「たとえ一日しか生きて居れない命でも、神様が私に預けてくださった命、神様のお召しがあるまで、私に与えられた宝として、大切に守って行きます」とおっしゃっておられました。
それから二年ほどして、施設で食事をのどに詰まらせて、昏睡状態におちいりました。お母さんから、この子を神様に返す準備をしたいので、洗礼を授けて欲しいと言われました。早速病院に行き、お母さんと上の娘さんと一緒に話し合いました。「神様にひとりで返すのですか。お母さんやお姉さんが、後で行くからね、と言ってあげれるように、一緒に洗礼はいかがですか?」、私は心をこめて母親に言いました。
緊急を要するので、緊急治療室の器具に囲まれた中で、娘さんの洗礼式を行いました。その後、マリアちゃんは静かに息を引き取りました。葬儀も終わったあと、母親とお姉さんが教会に来られ、マリアちゃんと同じ道を歩みたいと、洗礼を受けられました。e0191585_20133256.gif
 死に勝利する、力ある主は、また,憐れみの主です。今日の聖書では、息子は生き返らせられました。私の出会ったマリアちゃんは、天使に囲まれて静かに召されました。脳に重い障害を持った短い一生でしたが、彼女は精一杯生きて、彼女の果たすべき神様の使者としての働きを、立派になし終えて、召されて行きました。
しばらくして、お母さんは大学で福祉を学び、自分の経験を生かして、命の尊さを多くの方に語り続けています。一粒の麦が地に落ちて、多くの実を結ぶ、マリアちゃんの一生は短いものでしたが、語ることもなく、時々見せるうっすらとした笑顔が、神様に守られていることを、母と姉に伝えていました、
 この世の命を失うことが、死ではないと思いました。召されることによって、新しい命を生み出してくれる、イエス様のお働きを思い出させてくれます。日課の母も息子も、後には死を避けることはできなかったでしょう。でも、イエス様と出会った喜び、イエス様のやさしさは、今も聖書の中に記されて、多くの人々に希望を与えてくれるのです。
イエス様は、死者を生者にして母親に返されました。目撃した人々は、イエス様の内に、神様の力と「あわれみ」を見たのです。そのイエス様は、今もあなたと共に居てくださいます。肉体の死を超えて、新しい神様の国に生きる、喜びと希望を与えてくださいます。あなたも、イエス様の愛に満ちた、優しいまなざしの中で、生きて欲しいのです。新しい希望に生きるために。


by minitayori | 2016-06-18 20:14 | Trackback | Comments(0)

花菖蒲

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 神宮外苑の菖蒲園の花菖蒲。東京に来てすぐんに娘に連れて行ってもらった。一面の菖蒲園に多くの人が見物に来ていた。東京の人の多さを実感した一日だった。数年前だったが。今年行こうかと思ったが、外国の方の見物客が多いとか聞いたので、今年はやめました。

by minitayori | 2016-06-18 20:04 | Trackback | Comments(0)