池袋教会の聖壇の花

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 池袋教会の聖壇に捧げられた花。会員のご婦人が日曜早朝に来ていけてくださる。礼拝への祈りの献花によって礼拝が喜びと花の賛美に包まれる。祈りつついけられる花の美しさ。この日の花は ドウダンツツとトバラ・ケイトウ・ブロベアとか。覚えきれないので書き留めておきました。

 

by minitayori | 2016-11-26 19:46 | Trackback | Comments(0)

みにたより279

「みにたより279」
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 私が働きの中で与えられた、大切なみ言葉があります。耳の不自由な人々との交わりと会話の中で、「私達はどうして生まれてきたの?」との切実な問いかけの中で、神様がこの言葉「私たちは神の作品である」をくださいました。今は高齢者の仲間入りをして、病院通いをし、次々と新しい病名と薬が増えて行くなかで、この言葉をかみしめています。
 私たちの毎日の生活の中には、いつも楽しいこと、うれしいことばかりあるわけではありません。いろいろなことを経験し、悲しんだり、苦しんだり、悩んだりしています。そして、あるときには「自分なんかどうでもいい、どうなってもいいんだ。生きていても仕方がないんだ」と思い込んでしまうこともあります。生きていること自体に嫌気がさしてしまうこともあります。
 自分を中心にして考えると、そのようになってしまうのです。そうしたときに、この「私たちは神の作品である」と言う言葉を思い出すことが大切です。この言葉は、「私たちがどのような存在であるか」をもっとも明確に示している言葉です。
 絵の展覧会にでかけても、どの作品が素晴らしいのか良くわからないような時があります。そのようなときに、この作品はあの高名なだれそれさんが描いたのですよ、と言われると、じっくりと眺めてその作品のすばらしさに気付いていくことができたりします。
 ましてや、自分の存在が「神の作品」と言われるなら、「神様が必要だから今日の命が与えられている。」そう、あなたはそういう存在なのです。その神の作品をおろそかにすることはできないでしょう。自分だけでなく、他の人をもです。私達は人間の尊さを、この「神の作品である」と言う所に根拠をおいて考えたいものです。
 神様が、私たち一人一人を造ってくださったということは、いつも神様の暖かい愛のまなざしが、私どもに注がれていると言うことなのです。神様は、”あなた方は私が造ったものであり、わたしが愛したものであり、失ってはならない大切なものである”と宣言してくださっているのです。私達は、日ごとに神様の愛と慈しみの中に存在し、”在って欲しい、生きて欲しい”との神様の願いの中に存在するのです。

by minitayori | 2016-11-26 19:31 | Trackback | Comments(0)

掌(てのひら)杉の花

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 家の近くに掌杉があった。長い間、白い花をつけていたのでこのままで終わるのかと思ったが、今日見たら花が割れたようになって花が咲いていた。ケアハウスの玄関にあって毎年掌杉の白い花は見ていたが、花が咲くのを見たのは初めてだった。何カ月も白い花のままであったのでこのまま終わるのかと思ったが、このような花が咲くとは、神様のご計画の不思議。花咲き、新しい種を生み出す時が来る。神様の定められたときに。あなたにもその時が来る。font>

by minitayori | 2016-11-26 19:14 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月27日  マタイ福音書21章1~10節

 11月27日 待降節第一主日 マタイによる福音書21章1~10節
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21:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。:3 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」
21:4 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
21:5 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
21:6 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、:7 ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
21:8 大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。:9 そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
21:10 イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。:11 そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。
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>「礼拝に備えて」
 今週から教会の暦は新年になります。クリスマスの前(イエス様の降誕の4週前)に、イエス様をお迎えする準備を始めます。クリスマスはイエス様の降誕、今から2000年以上前に、パレスチナの小さな村ガリラヤの家畜小屋でお生まれになった若い夫婦の幼子を、天使は野原で野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いに、「今日あなた方のために救い主がお生まれになった」と、告げました。羊飼いは天使のお告げを信じ、村外れの小さな家畜小屋で飼い葉桶の中に寝かせられていた幼子に出会い、救い主を礼拝して、喜んで帰って行きました。これが最初のクリスマスの出来事でした。
 デパートでは、もうすでにクリスマスセールが始まっています。また、イエス様のいないクリスマスが、日本では祝われようとしています。クリスマスの意味は、クリス=キリスト=救い主:マス=ミサ=礼拝、が本当の語源です。 クリスマスにはもう一つの意味があります。かつてお生まれになったイエス様が、再び来る、その時に心から救い主を拝する心をもって迎える準備をしておかなければなりません。何故なら、再来の時のクリスマスは、イエス様は裁き主として来られるからです。
 羊とヤギを分けるように、神様の国に入るにふさわしい者、そうでない者とを分ける審判者として来られるのです。でも、イエス様はご自分のご生涯を通して、その準備をしてくださいました。弱い子ロバに乗って、人々の汗と涙のしみた上着の上を歩いて、受難と十字架と死への道を歩まれました。私の罪、あなたの罪を担って。あなたの悲しみの真っただ中を歩いてくださったのです。
 今この時も、イエス様はあなたと一緒に歩いていてくださいます。いや、あなたはイエス様のまなざしの中に生きているのです。「わたしはあなた方のために、全ての苦しみと悲しみを背負って、ロバに揺られて行く。わたしを離れないでいなさい。」イエス様のお言葉を聞いてください。
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by minitayori | 2016-11-26 18:11 | Trackback | Comments(0)

53年ぶりの11月の雪

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 53年ぶりの11月の大雪。見るのは美しい雪の花。しかし、通勤人は大変だったでしょう。せっかく咲いていたバラの花も震えていました。

by minitayori | 2016-11-26 18:03 | Trackback | Comments(0)

寒椿

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 寒椿はきれいだが、散るのも早い、できるだけ一番美しいところを皆さんに見ていただきたいと、散歩のたびにカメラを持って花を見ている。寒椿の木のあるお宅の花がほとんどなくなりあきらめていたが、秋日和の暖かな朝、お宅の前を通ると、一輪だけきれいに咲いていた。待っていてくれたようでうれしかった!

by minitayori | 2016-11-19 18:07 | Trackback | Comments(0)

「みにたより278」

 「みにたより278」
 少し前のことですが、娘夫妻の招きで川越に行ってきました。以前から、昔懐かしい街並みなどを見たいと思っていました。電車で行って本川越の駅で娘夫婦と落ち合い、しばらく街並みを見ながら散歩しました。
昔の家は意外と屋根が低いなぁ、などと思いながら散策していました。ふと見るとおもちゃ横町が目に入りました。ぶらりと入った駄菓子屋さんが懐かしく、しばらく中を見まわっていました。ガラスの入れ物に入った、色鮮やかなコンペートーを見つけたので、自分の分と孫の分を買って帰りました。
e0191585_1750599.jpg 子供の時に買ったものと全く同じで、どうしてあの形ができるのだろうと不思議に思いました。わたしは、あの懐かしいコンペートーのぎざぎざは、ちゃんとした型があって、そこに流し込まれて作られるのだと思っていました。しかし違いました。
コンペートーの初めは、コーヒーなどに使うグラニュー糖の小さな粒だったのです。それが斜めに傾いた大きな回転鍋に入れられ、温められます。その回転鍋に入れられたグラニュー糖がゆっくりゆっくり、ゴロゴロ、ゴロゴロ回されます。その回っているグラニュー糖に、職人さんが砂糖水をピシャッとかけます。ゴロゴロ回る鍋に、ピシャ、ゴロゴロ、と言うことになります。すると、ピシャッとかけられた砂糖水が、グラニュー糖のどこかにくっつき、そして固まります。それを何回も、何十回も繰り返します。なんと、私たちが知っているあのコンペートーができるまでに2週間もかかるのです。
 ある統計学者が、グラニュー糖のどこに砂糖水がくっつき、どんな具合に角ができ、それがどのように成長してあのコンペートーができるのかを、研究したと言うのです。その先生の説明によると、職人さんが良いコンペートーを作るコツは、ゆっくり回転し、タイミング良く砂糖水をかけ、ほどよい火加減を保つこと、この三つだそうです。こうして作られるコンペートーは、出来上がるまでに2週間もかかるのですから、今時コンペートーでもうけを考えるお菓子屋さんは少ないそうです。ですから、あまり見かけなくなったのですね。貴重なコンペートーの粒をゆっくり味わいました。
 こんなことから大切な人間について考えました。つまり、ゆっくり2週間もかけて一粒のコンペートーが出来上がるのに対して、私たちは、何でも「早く、早く」と急ぐわけです。「早く!」には、次のような言葉、気持ちがついて回ります。「早く、ぐずね」「早く、だめね」「早く、のろまね」「早く、ばかね!」と言うわけです。人が思う場合もそうですし、自分自身がそう思って、焦ったり、自己嫌悪に陥ったりします。
 でも人間の成長に対して、神様は実に忍耐深い方なのです。聖書には、「神の慈愛があなた方を悔い改めに導く・・」ロマ2:4と書かれています。あなたの成長を、神様は慈愛といつくしみとをもって、じっと待っていてくださいます。目の前にある小さな事に、愛をこめて生きることを通して、自分と言うコンペートーの形を作っていきましょう。
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by minitayori | 2016-11-19 17:56 | Trackback | Comments(0)

裏庭に白いバラ一輪

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、いっし、

 裏のベランダから見える庭には花がなくなってさみしくなりました。風邪をひいたのか、のどの痛みは取れたが、咳が激しくなり、一週間は大事を取って家に引きこもっていました。今朝秋日和の太陽に惹かれてベランダに出ていると、薄暗い木の下に真っ白なバラの花が咲いていました。慰めに来てくれたのか、励ましに来てくれたのか。よく見えるように白い花にしてくださったのですね。ご配慮を感謝!
 ♪ さみしかった僕の心にバラが咲いた。♪

by minitayori | 2016-11-19 17:47 | Trackback | Comments(0)

 11月20日 ルカによる福音書21章5~19節

 11月20日 聖霊降臨後最終終日 ルカによる福音書21章5~19節
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21:5 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。:6 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」:7 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」
21:8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」
21:10 そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。11 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。:12 しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。:13 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。:14 だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。
21:15 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。:16 あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。
21:17 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。
21:18 しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
21:19 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

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「礼拝に備えて」
 昔読んだ本の中に、「メ・メント・メモリー」という言葉があったのを記憶しています。もう少し正確に、と思って原本を探したのですが、誰かにあげてしまってない。パソコンの中に記録してあったはずだと、見えない目を凝らして探してみたが見つからないのです。
 実は大切なものを記録していたハードデスクが、古くなってしまい、使えなくなってしまったのです。数年分の記録と写真などが入っていたので、復元してもらおうかと思いましたが、今更いらないと廃棄してしまいました。その前は小さなUSBと言う記憶装置に小出しに入れておいたのですが、ハードデスクを買ったので一つにまとめておけばよいと考えて、まとめていれました。それでも、もしものことがあった場合と思って、USBは大切にしまっておいたつもりですが、しまった場所を忘れるという大失態。
 さて、「メ・メント・メモリー」と言う言葉は西欧のある修道院の入口に書いてあったという事でした。修道僧はいつもこの場所で立ち止まり、見上げてから学びの場に入るのだそうです。その言葉の意味は、「死を思いつつ生きる」と言うことだそうです。神様に仕える修道僧が、死を思いつつ生きるとはどういう事でしょうか。
 次の日曜日は、聖霊降臨後最終主日です。教会では、この日をキリストが再来される時として覚えます。キリストが、裁きの主として来られる準備のときが始まるのです。かつて来られた時、それはクリスマスとして祝われますが、再来の時は、裁きの主として来られます。
 人間の一生は、避けることの出来ない死に向かっての一生です。これをある方は、「人間はすべての人が死に至る病を担って生きている。終わりの時は与っている今日の命を神の前で清算する時」とも言われます。私達は「メ・メント・メモリー」を前に生きているのです。
 でも、肉体の死の先には、神様の国で神様と共に生きる、新しい世界が待っています。先日、救世軍のホスピスにお見舞いに行きました。ケアハウス時代のお友達でした。お話をして帰る前に一緒に祈る時間をもちました。死を前にしての祈りの言葉は、感謝と賛美、そしてハレルヤと言う言葉でした。神様の前に精一杯生きた人の祈りの言葉だ、と心に深くとめて帰ってきました。もう一度と思ったのですが、それからしばらくして天に召されていかれました終わりの日に、主の前でハレルヤと笑顔で賛美できるように生きたいと思いました。
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by minitayori | 2016-11-19 17:30 | Trackback | Comments(0)

紅葉

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 近くの公園の木々にも秋が来たようです。木の葉は一生懸命うつくしく散るための努力をしています。何の不安も見せずに。また風が吹いて2,3枚の葉が落ちてきた。

by minitayori | 2016-11-19 17:16 | Trackback | Comments(0)